『なまけ者のさとり方』 by タデウス・ゴラス

なまけ者のさとり方
デウス・ゴラス
山川紘矢・亜希子 訳
地湧社
1988年4月25日 初版発行
1991年7月10日 19刷発行
The Lazy Man’sGuide to Enlightenment (1971)

 

先日の屋久島旅行の際、立ち寄ったカフェ「Sea and Sun」で、見つけた本。

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小さなお店の中には本棚が一つあって、屋久島に関する自然の本とか、宇宙の本、子育ての本、、、色々な本が置いてあった。そのなかで、ふと、目に入ったのが、本書『なまけ者のさとり方』だった。
注文したトーストができあがるまでの間、パラパラとめくって読んでみたら、面白そうだった。そうこうしているうちに、お料理が運ばれてきたので、途中まで読んでやめたのだけれど、やっぱり、心のどこかで気になった。

 

地湧社なんて、きいたことのない出版社だし、著者のデウス・ゴラスだって、誰だか知らない。。。なんか、信仰宗教家か?!?!なんて気もしなくもないけれど、いたって普通の悟りの本のような感じもする。

 

結局、旅の途中で、中古本をポチった。

 

届いた本は、驚くほどボロだった・・・。背表紙は、茶色く日焼けしている。かつ、破れている・・・。中のページもだいぶ茶色い・・・。1991年の発行なんだから、さもありなん、、、。中古で、送料込みの328円。文句はいえない、、、やね。

そして、読んでみて、あぁ、なるほど、って思った。

 

目次
はじめに
第1章 私たちは誰か
第2章 ママ、 僕、 わかっちゃった!
第3章 楽しい日々を送るには
第4章 困難に直面したら
第5章 なぜ私たちはここにいるのだろうか?
第6章 自己改革
第7章 振動数と時間の流れ
第8章 変化のプロセス 
第9章 現実とは 
第10章 さとり方について
寓話
もっとなまけ者の人のために
訳者あとがき

 

感想。
あぁ、、、なるほど。
これは、もしも、ブルーな気分で落ち込んでいたら、すごく、心癒されると思う。
そして、別にブルーな気分でない私にとっては、あぁ、、、そっか、それでいいんだ。やっぱり、それでいいんだよね、、、って、強く共感し、心に安堵感をくれる一冊。

328円、ボロボロだけど、価値あったよ。

 

著者のタデウス・ゴラス についての説明はない。本書は、現在はPHPからも出版されているそうで、そこでの説明文によれば
”本書は、つらい時、苦しい時、途方に暮れた時に心の迷いを晴らしてくれる、世界一やさしい人生のガイドブックアメリカの片隅で生まれ、多くの人に読み継がれた50万部のベストセラーが日本に上陸して17年、ロングセラー待望の文庫化です。”って。


HMV&BOOKSのHPでは、タデウス・ゴラスについて、
”1924年6月15日生まれ。ニューヨーク市コロンビア大学卒。両親はポーランド系で、20世紀初頭アメリカに渡る。タデウスは、ほとんど一生涯、出版関係の仕事に従事していた。1997年没”と。

本書が唯一の著書のようだ。

 

はじめに、では、本書をよむことで、誰か一人でも前より気持ちが楽になれば、、とおもって筆をとったことがのべられている。

 

第1章で、
「私たちはみな平等です。そして宇宙とは 私たちのお互い同士の関係です。宇宙はただ1種類の実体からできていて、その一つひとつが生命を持ち、一つひとつが自分の存在の仕方を自分で決めています」とあり、理解するべきは、たったこれだけのことだと。

 

生きものの基本的営みは、拡張することと収縮すること。拡張した生き物は「スペース」になって四方に浸透し、収縮した生き物は濃縮して「かたまり」になる。

収縮すると固まっちゃう。

そして、私たちは、個人としても、グループとしても、「スペース」「エネルギー」「かたまり」のうちのどれかになって見えるのだと。そして、それは、自分で選んだ拡張と収縮の割合によって決まってくるのだと。

その時、どんなバイブレーション(振動波)を私たちが出しているかによって決まってくるのだ、と。

そして、大事なのは、だれもがそのうちのどこかにとどまっているのではなく、「スペース」にいったからと言って、それが維持されるわけでもなく、それが「さとり」の境地なわけでもない。

ゆらぎ。
変化。
それがあるのが、宇宙。

 

エネルギー状態が、低く固まってしまえば、、、心が凝り固まっている感じ。ちょっと、わかる。エネルギー状態が、高く拡散していれば、心に余裕があって、地球を愛せる人に慣れる感じ。

 

エネルギー状態は、変化する。私たちの気持ちも変化する。

 

そして、そのエネルギー状態を決めるのは自分であって、環境でも、他者でもない。
他から、コントロールされていると感じているとしたら、自分で自分を塊の状態にしているから。塊の状態にしているのは、自分ってこと。


悟りとは、意識が広がっていくプロセス。だから、変化するのだ。


みんなそれぞれのバイブレーションがあって、それを認めることも大事。
自分が、ひとたび悟ったような気になり、「スペース」の状態に至ったとおもうと、そうでないバイブレーションにいるみんなにむかって、お説教をはじめたりする、、、、。

この世はいかに邪悪か、都会はいかに腐敗しているか、いかに人々が罪深いか、みんなに向かって お説教を始めたりする。


あぁ、、、、あるある・・・。
自分はわかった人のような気になって、人にお説教をする。。。

 

他人に、説教などするものじゃない、と、本書でははっきり言っている。
さとったひとは、人に自分の考えを押し付けたりしない。

 

自分のことも、相手のことも愛すること。そのままで愛すること。それに尽きる。バイブレーションのレベルを上げるために、セミナーに出てみたり、ヨガをしてみたり、どのような方法が効果があるかは、その人次第。

 

どんなことも、あなたが、本当に興味とやる気を持っていないと、役に立たない。”って。

だから、その人がやる気にならないことをすすめても、お説教にしかならないということ。

 

他の人に精神的な解決方法を進める時は( 精神的でないアドバイスの場合も当てはまりますが)必ず、 その人が楽しく、生き生きと感じていること、 つまり その人の エゴの構造体を捨てるように、と要求しているのです。
これは、危険です!
気を付けてください!
と。

 

そして、他の人があなたに何をしようと、あなたに起こることは、あなたの責任です、と。

相手を自分と同じバイブレーションレベルにひきずりおとそうとしたら、上げようとしたりするのも、愚かなこと

「人はみな平等だという法則に反するような行動」は慎むべきだと。

上から目線も、下から目線もいらない。
自分が誰かを助けられるかもなんていうのも、思い上がりかもしれない。

もっとも深い罪は、「人間を罪びとと信じていること」だそうだ。

なるほどなぁ、。。。

共感する言葉がたくさんある。

 

そして、第四章では、困難に直面したら、これだけを覚えていて、と。
「さからわないこと」
「今のあなたのままで、できる限り愛しなさい」
「あるがままを愛しなさい」
「自分を愛しなさい」


最後にある、「もっとなまけ者の人のために」といページには、本書の中からの抜粋の言葉だけが、5ページにわたって、記されている。でも、空白だらけの5ページなので、本当に抜粋。

なんだか、不思議な本だった。 

 

2020年、コロナ禍の中で脱サラした私は、様々なコンサルタントとしても仕事をしてきた。主には、技術コンサルだった。でも、キャリアコンサルとか、コーチングのようなこともやろうと思ったけれど、たくさん本を読んでいるうちに、「コンサルやコーチング程余計なお世話なものはないのではないか、、、」という気になって、すっかり興味をうしなった。

 

相手から求めらえれば話を聞くし、話すけど、やっぱり、「アドバイス」って一歩間違えると「毒」でしかない気がする。ダイアローグしているつもりが、いつの間にか自分の言いたいことを言っている自分にハタと気づくと、ぞぉっとする。お前、何様だよって、自分に思う。

 

「意見は聞いても、アドバイスは疑ってみろ」って、とても正しい。

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人それぞれに、上質世界があるし、その世界も変化するってこと。

そっと、その変化を見守るのが、そばにいる人のやるべきことのようにも思う。

 

面白い一冊だった。

ボロだったけど・・・・。

 

読書は楽しい。

 

 

『さいはての彼女』(原田マハ) ナギちゃんのもう一つ能力は?

さて、、、『さいはての彼女』ナギちゃんのもう一つ能力は?

なんだと思う??

 

原田マハさんの『さいはての彼女』を読んだという英語の先生が、

「What is ナギチャン's second 能力?」って、訊いてきた。

彼は、

”They didn’t tell.
That’s annoying!!”
って。

 

私が大好きな本だよ、といって薦めておきながら、訊かれて答えられなかった。。。

え~~?そこまで覚えてないよ。。。

けど、笑っちゃった。さすが、若者だ。答えが欲しいんだね。

 

ってことで、再び、原田マハの『さいはての彼女』をよんでみた。
短編集の中の1作目。

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女社長の涼香が、憂さ晴らしに秘書に取らせた旅先が、ラグジュアリーリゾートのはずが「女満別」でびっくりして、おまけに、ポンコツレンタカーに八つ当たりしていたところで、ライダーのナギちゃんに出会い、癒されていくお話。

 

ナギちゃんは、耳が聞こえない。
最初はそれに気が付かなかった、涼香。
でも、ナギちゃんが通うログハウスのおじさんから、

「小学生のときに聴力を失って、それっきりなんだ。でも、あの子にはなくした聴力を補う能力がふたつある。一つは読唇できること。だから、会話をするときは正面をむいて、できるだけゆっくり、口を大きく動かして話してやってくれないか」
と、いわれてておどろく涼香。

そして、もう一つの能力は、、、「あんたが自分でみつけてやってくれ」と。

 

いっしょにライダーの泊まる宿にとまったとき、涼香はナギの後姿に大きな火傷の後をみてしまう。それは、16歳の時にトンネル火災事故に巻き込まれてしまったときの傷だ、とナギは涼香に話す。父は、全身で娘をかばい、燃え盛る炎に包まれながら、「ナギ、生きるんだ。越えていくんだ。」と、、、。ナギちゃんに、読唇を強く勧めたのはお父さんだった。

ナギちゃんは、「だから、この背中の傷は、お父さんだと思って、大事にしているの。」「私、ずっと走り続けるって、決めたの。やっと吹き始めた風を、もう止めたくないから」と。

ナギちゃんと二人のタンデムツーリングがつづくのだが、、、途中で、ヤンキーのような男性団に嫌がらせをされて、ハーレーのキャブレターが壊れてしまう。しかも、涼香の帰りの羽田行の飛行機に間に合わせようとした矢先に。

 

でも、ナギちゃんは、キャブレターを手持ちの整備道具で修理する。ぜったいに涼香を無事に飛行場までおくりとどけるのだと、目の前の絶体絶命の状況に立ち向かうナギちゃんの目は、輝いていた。

そんな、ナギちゃんを応援するだけで、何もできない自分、、、。それでも、ナギを信じて祈ろう!そんな気持ちになれた涼香。

そして、ナギちゃんは、見事に修理を完了。だがしかし、エンジンがかからない。キックしても、キックしても、カッッ、カッッ、カッッ、カッッ、カッッ、。。。
「わたしにやらせて」といって、ナギちゃんにかわってグリップを握り、ペダルを踏み込む涼香。

 

”私は、ナギがやっていた通り、根気よくペダルを踏み続けた。
どっと汗が吹き出す。肩が、腿が重くなってくる。それでも私はペダルを踏んだ。踏み続けた。命を吹き込むように。一回踏み込むごとに、ひとつ、何かを越えるように。
父のこと。
母のこと。
彼のこと。
高見沢のこと。
いままでの、私のこと。
みんな、みんな、みんな。
越えていくんだ。
生きるんだ。
カッ、と一瞬ペダルがかるくなった。
あっ。
パラッパラッ、パラパラパラララララ。

とうとう、エンジンがかかる。

そして、ログハウスへ戻り、おじさんにおどろかれる。
「おいおい!オイルだらけじゃないか!何が起こったってんだまったく!」

 

そして、ナギちゃんとのツーリングを楽しんだ私の顔をみて、おじさんは、
「どうだ、わかっただろう。ハーレーのよさが」
「うん」
「で、あっちの方もわかったのかい?ナギちゃんの第二の能力」

涼香は、こくんと首を縦に振る。

 

そう、答えはでてこない!!!
確かに、、、。

 

最初に読んだ時は何とも思わなかった。

「人を幸せにする能力」とか「こんなんに立ち向かう勇気」とか、、、「風を感じることで音を聞く能力」とか、、、。


さて、ナギちゃんの第二の能力はなんでしょう?

「越える勇気」を「人に与える」ってこと?

あるいは、「壁を越える能力」そのものか。

 

『さいはての彼女』、読んだ人にきいてみたい。
別に正解をもとめているわけではないけどさ。

 

二度目に読んでも、泣けた。

やっぱり、原田マハさん、好きだわぁ。

 

ちなみに、annoying! といった彼は、映画、Lost in translationのようにannoyingだと。2003年の監督ソフィア・コッポラの自伝的な映画で、ラストシーンで、耳元でささやく言葉が何だったか明かされない、という映画らしい。ちょっと、観てみたくなった。

通訳者にとって、Lost in translationは、実に大きな壁だ。だけど、越えられない壁ではないはず、、、と思うから、通訳を続けているし、勉強を続けている。。。でもね、いつも、壁だらけだ。。。

 

答えは、知らない方が楽しいこともある。

あるいは、後から、答えが変わることだってある。

 

そう、絶対、なんて言葉は、絶対にない。。。なんて、言えない・・・。

絶対、なんてないほうが人生楽しいよ。

 

『さいはての彼女』、やっぱり、素敵なお話です。

読書は、楽しい。

 

 

『ゴッホの手紙』 by  小林秀雄

ゴッホの手紙 
小林秀雄
新潮文庫 
令和2年9月1日発行 
令和5年6月20日 3刷

* 本書は新潮社版 第五次小林秀雄全集』 及び 『小林秀雄全作品』(第六次全集)を底本とした。

 

言わずと知れた、名著、『ゴッホの手紙』。昔、パラパラと読んだことはあったのだけれど、『本居宣長』を購入するのに合わせて、ポチった。『本居宣長』が、とある勉強会の課題本になっているから、購入したのだけれど、難しすぎて、読み進まない・・・。で、先にこっちに手が出てしまった。

やはり、、、。素晴らし一冊。

 

本の裏の説明には、
昭和22年、 小林秀雄は上野の名画展で、 ゴッホの複製画に衝撃を受け、絵の前でしゃがみ込んでしまう。「巨きな眼」に 見据えられ、 動けなくなったという。 小林はゴッホの絵画作品と弟テオをとの手紙を手がかりに彼の魂の内奥深く潜行していく。 ゴッホの精神の至純は ゴッホ自身を苛み、小林をも呑み込んでいく・・・・。読売文学賞受賞。他に「ゴッホの絵」「私の空想美術館」等6編、カラー図版27点収録。

 

帯がついていた。
”苦悩
色彩の天才
ゴッホ
その知られざる素顔
弟の愛
破れた友情
売れない絵”

 

約300ページの文庫本。900円(税別)。高い!よね。文庫本としては。でも、カラーのゴッホの絵が挿入されているし、注釈もこまかく、、、、これは、やはり手元に一冊、という本だった。買ってよかった。

 

目次
ゴッホの手紙
ゴッホの墓
ゴッホの病気
私の空想美術館
ゴッホの絵
ゴッホ書簡全集」
「 近代芸術の先駆者」序

 

感想。
あぁ、、、ゴッホって、本当に、、、。
ゴッホってば、ゴッホてば、、、。
ゴッホが愛おしくてしかたがなくなる一冊。

 

そして、小林秀雄が、ゴッホの絵画だけでなく、書簡にどれほど心打たれたか、というのが伝わってくる。人の手紙を勝手にサマリーして解説するなんて、、とも思いつつ、ところどころ、「説明は省く」として、ゴッホの手紙、弟テオからの手紙、、、が紹介される。どこまでも、あぁ、あなたはどこまでも、、、ゴッホに魅了されてしまったのね、って思う。

 

小林秀雄の作品としては、明快でわかりやすい一冊。だって、ゴッホの声が綴られているようなものだから。

 

小林秀雄が、衝撃的にゴッホの作品(の複製画)にであった時のことが、最初に説明される。

 

”・・・ 仕方なく、 原色版の複製画を陳列した閑散な広間をぶらついていたところ、ゴッホの画の前に来て愕然としたのである。それは、 麦畑からたくさんのカラスが飛び立っている画で、 彼が自殺する直前に書いた有名な絵の見事な複製であった。尤もそんな事は、後で調べた知識であって、 その時は、ただ一種異様な画面が突如として現れ、 僕は、 とうとうその前にしゃがみ込んで了った。”

 

と、『鳥のいる麦畑』として本作品中にも掲載されている。ゴッホは、1890年7月に死ぬ前、ほんの2か月の間に、すさまじい数の作品を残している。その一つだと言われている『カラスのいる麦畑(Champ de blé aux corbeaux)』(ファン・ゴッホ美術館所蔵?)だと思う。

ゴッホに魅了された小林秀偉は、その後、ゴッホが弟テオにあてた書簡に関して、ボンゲル夫人(テオの妻)が編纂した膨大な全集があることをしり、式場隆三郎氏からそれを拝借する機会をえる。そして、

 

僕は、殆ど三週間、外に出る気にもなれず、食欲がなくなるほど心を奪われた”と。。。

ゴッホからあふれていたのは、作品制作の情熱だけではなく、言葉だった。日記でもなく、小説でもなく、手紙なのだ。テオに、テオの妻に、母に、、、吐露する言葉は、詩人のそれである。

 

ゴッホの絵画と、ゴッホの書簡との両方を、同時に触れることができている私たち世代にとっては、あの印象的な画と、あまりに正直で純粋すぎるほどの書簡の文章と、両者を持ってゴッホを理解することができるのだけれど、絵画しか知らず、はじめてこれらの書簡をめにすれば、、、その衝撃は、、、と思う。

 

本書を読めば、ゴッホの一生が見えてくる。

 

牧師の子であり、牧師になろうとして失敗したことがあること。生活は、弟のテオなしには成り立たなかったこと。描いても描いても売れない絵。ゴーギャンとの生活。破綻したゴーギャンとの生活。耳切り事件。精神病院へ収監。ゴッホを救おうとしてくれた精神科医ガッシェとの交流。それでも、描いて、描いて、描いて、、、自殺。。。

 

オーヴェルの丘で木に登ったゴッホは、「とても駄目だ、とても駄目だ」とつぶやいていたという。そして、拳銃で自分の心臓を狙ったはずが、死ねなかったゴッホは、一旦自分の下宿の部屋までもどる。そして、寝台に倒れた。ゴッホの最期の言葉は、「さてもう死ねそうだよ」。

 

弟のテオも、兄の後を追うように亡くなってしまう。。。自分の息子にヴィンセントと兄の名をつけるほどに兄をしたっていたテオ。のこされた夫人。。。

二人の兄弟は、並んでオーヴェル共同墓地に眠っている。

 

ゴッホは、絵が売れてほしいと思う反面、評論家に褒められるとやめてほしいと願った。ゴッホが最期の時期に、あれほどの絵をかけたのは、悲しいかな、売れなかったからかもしれない、、、。
でも、。最後、「メルキュール・ド・フランス」誌上で、批評家に褒められた時は、
「僕は嬉しい。感謝している。・・・人間は褒められることが本当に必要なのだ」と書いている。あぁ、、それもわかる。。。

 

ルノアールは、ゴッホの絵をけなした。ゴッホの絵は、観る人を幸せにしない、と。ルノアールの絵は、確かに、観る人を幸せにする。幸福にあふれた絵が多い。では、ゴッホの絵から幸福を感じるかといわれれば、それは、否かもしれない。でも、どちらが生きるエネルギーを感じるかと言えば、、、ゴッホは必死に生きていた、、、それが、、ゴッホの絵なのだ。

いいとか、悪いとか、そういうことではなくて、好きとか、嫌いとか、そういうことではなくて、画家の作品は、画家の生き方なのだ。人様が口出しすることではない。。。
そんな気がしてきた。

 

小林秀雄が、ゴッホと同世代の画家たちにも言及しつつ、ゴッホの生き方に解釈を加えている一文がある。

 

彼が牧師になりたかったのは、説教がしたかったからではない、ただ他人の為に取るに足らぬ我が身を使い果たしたかったからだ。

 

小林秀雄は、ゴッホの作品ではなく、ゴッホという人に惚れ込んでしまった様子がよくわかる。

ゴッホの言葉は、愛に満ちている。地球人だったんだな、って思う。自然への愛、人への愛。自分自身への愛。自分自身への悲しみ。

 

ゴッホの人生を知りたいなら、原田マハさんの『たゆたけとも沈まず』がおすすめ。そして、本作品を合わせて読めば、ますますゴッホにハマること間違いなし・・・って思う。

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そして、『ゴッホのあしあと』も。

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やっぱり、Artだよ。

そして、本書を読んで気が付いたことがある。「私の空想美術館」って、そうか、小林秀雄だったのか。
原田マハヤマザキマリの『妄想美術館』って、このもじりだったのか?!

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1人の画家を深堀していくことが、こんなにも深く、楽しく、美しく、悲しい世界にたどり着くとは、、、と思う。

 

本作品は、決して伝記ではない。そう、「ゴッホの手紙」なのだ。私がタイトルをつけるなら、小林秀雄ゴッホへの愛』かもしれない。

 

読書は楽しい。

 

『WEIRD(ウィアード)(上)』 by ジョセフ・ヘンリック

WEIRD(ウィアード)(上)
「現代人」の奇妙な心理
経済的繁栄、民主制、個人主義の起源
ジョセフ・ヘンリック
今西康子 訳
白揚社
2023年12月25日 第1版第1刷発行
THE WEIRDest People in the World
How the West Became Psychologically Peculiar and Particularly Prosperous (2020)

 

2024年3月23日、日経新聞朝刊の書評で出ていた。

副題となっている、「経済的繁栄、民主制、個人主義の起源」という言葉も気になるし、心理、という言葉も気になる。上下2冊、各3400円。ちょっと高いし、図書館で探してみたら、上巻は割とすぐに借りることができた。

 

著者のジョセフ・ヘンリックは、ハーバード大学人類進化生物学部長。著書に、『文化がヒトを進化させた。人類の繁栄と文化遺伝子革命』があるとのこと。本にはあまり説明が載っていないのだけれど、読んでいると、生粋のアメリカ人なのか?細かいところがイギリス人?ドイツ??という気もした。でも、文章は、アメリカっぽい・・・。

 

ググってウィキ情報を見てみると、
”ヘンリックが関心を持つ問いとは、「数百万年前には比較的目立たない霊長類の一種にすぎなかった」人類は、いかにして「地球上で最も成功した種へ」と進化したのか、そして文化はどのように我々の遺伝的発達に影響したのか、という問題である。”
”ヘンリックは、1991年に人類学と航空宇宙工学の学士号をノートルダム大学で取得した。1991年から1993年まで、ヴァージニア州スプリングフィールドにあるゼネラル・エレクトリック・エアロスペース/マーティン・マリエッタでテスト・評価システムエンジニアとして勤務した。1995年にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校で修士号を取得し、その4年後に同大学から人類学の博士号を取得した。”とある。
まぁ、ウィキ情報なので、どこまで本当かはわからないけれど、広い視野、長い時間軸で人の進化を研究している人、ということのようだ。

 

表紙をめくると、
"WEIRD=Western(西洋の)、Educated(教育水準の高い)、Industrialized(工業化された)、Rich(裕福な)、Democratic(民主主義の)の頭文字。西洋人だけが心理的に異質に見えることを表した造語で、「weird(奇妙な)」と言う単語の意味もかけている。

現代世界のあり方を方向づけたWEIRDな心理を軸に、市場経済や民主主義、現代科学の発達を読み解く刺激的な心と、社会の進化の歴史。”
と。

 

なかなか、興味をそそられる言葉だ。

 

weirdって、英語のネイティブスピーカーは、よく使う。日本語で言えば、「え~、変なの」とか、「え~きもい」とか、ぼそっとつぶやく感じ。自分が好きでないものを勧められたときとか、「ウィアード」、、、。ってつぶやいたり。と、それがタイトルになっているのだから、興味をそそられる。

 

目次
はじめに
序章 あなたの脳は改変されている
第1部 社会と心理の進化
第1章 WEIRDな心理
 あなたは誰だろう?
 本当のところ、あなたはだれなのか?
 マシュマロは待つ者のもとに来る
 違反駐車をする国連の外交官
 意図性のこだわり
 森を見逃す
 氷山の本体
第2章  文化的動物となる
 学ぶために進化した
 進化していく社会
 心の中へと向かう道筋
第3章 氏族、国家、そして、 ここからそこに到達できないわけ
 イラヒタはいかにして大きくなったか
 社会の規模拡大(スケールアップ)は、いつ、なぜ、 どのようにして起きたのか
 プレ近代国家への道
 裏道を探す
第4章 神様が見ておられる 正しい行いをなさい!
 道徳を説く神と不確定な死後の生
 神と儀式の進化
 地獄、自由意志、 道徳的普遍主義
 説得力ある殉教者と退屈な儀式
 発射台(ローンチバッド)

第2部 WEIRDな人々の起源
第5章 WEIRDな家族
 伝統的家庭の崩壊
 カロリング朝、荘園制、 ヨーロッパの結婚様式
 巡り巡ってもたされた変化
 第6章  心理的差異、家族、そして教会
 親族関係の緊密度と心理
 教会が親族関係を変え 人々の心理を変えた
 水門を開く
第7章 ヨーロッパとアジア
 教会の足跡
 中国及びインド国内での心理的差異
 豊かな土壌

下巻に続く。

 

感想。
ほほぉぉ。なかなか、面白い!
はやく、下巻を読んでみたい。

 

心理学的実験や統計の話がたくさん出てきて、え~~、それって、ちょっと恣意的に解釈していない?というものもなくはないのだけれど、統計については、一応、交絡因子も調べていて、それなりに納得。

そもそも、著者のいうように、ある特定のWEIRDな人々、というのがそんなに特殊だとは思っていなかった。一般的アメリカ人だったり、一般的ヨーロッパ人。と、それは私が日本に長く住む日本人で、彼らのことを表面的にしかわかっていないからかもしれない。

著者は、これまでの多くの心理学の実験やそれに伴う学説は、「ある大学の実験対象となる人々」のデータを元に導かれており、そもそも、そこに偏りがあるということ。そして、多くの研究で実験対象となっている人々こそ、WEIRDであり、人類普遍的な心理学ではありえない結果を導いている、、と。

ほほぉぉ。そうかそうか。

確かに、多くのアメリカ、ヨーロッパの心理学、行動経済学、といった人々の行動を対象とした学問は、私が読んでも、へぇ、、、、アメリカ人ってそうなんだ、となりがち。必ずしも、日本人もその範疇にふくまれるとは思えないことも多い。それでも、それは、私が日本人だからであって、西洋の人にとってはそういうことが普遍的だと思っていたら、いやいや、そうでもない!というのが、著者のいっていること。だから、わたしにとっては面白い。興味深い。

 

上巻での骨子となる主張は、家族形態が人々の心に影響をあたえ、その心理状況が社会の仕組みをつくってきたということ。

 

家族や親戚を大事にする親密的な親族関係の中で暮らしていると、人々は包括的にものを考えるようになり、より広い文脈で相互関係を含めた物事の関連性に焦点を当てるようになる。それに対して、個人主義が強く親族関係の弱い社会で暮らしていると、人々は分析的にものを考えるようになり、人物や物体に特性、属性人格を割り当てることによって世界を理解するようになる。それが、社会をどのように理解するかという事につながり、社会の仕組み作りにも影響する、と。

まぁ、さもありなん、という気はする。

 

でもって、面白いのは、家族・親族を大事にする人たちは、「恥」の概念で自制することがあるが、個人主義の人たちは、「罪」の概念で自制するのだ、と。「恥」の概念で自分をコントロールしている人たちにとっては、なにかの罪をおかしたとき、それが、「意図的だったか」「意図的ではなかった」ということは考慮しない。罪は、罪なのだ。過失だろうが故意だろうが、誰かのモノをとったり、自動車事故で人を殺してしまったりすれば、NGなのだ。

個人主義の人ほど、「それは意図していなかった」「うっかり間違えた」という理由で、罪は軽減されるべきと考えている。

なるほど、、、面白い。

そして、著者が言うのは、親族ベースの考え方の根強さ、あるいは軽さは、中世の教会による「親族間結婚の禁止」をどのくらい影響されたかによるのだ、と。

 

教会の影響といわれてしまうと、とたんに日本は関係ないなぁ、、、、となってしまって、一寸つまらないのだけれど、かわりに、第7章では、アジアについて語られている。中国とインド。水耕栽培の盛んな地域、灌漑が必要な地域では、個人単位では作物を育てることは困難なので、地域との結びつきが強くなる。それは、親族ベース社会に近い形態となる、と。

なるほどねぇ。。。。

 

宗教的概念が文化をつくる。
文化が人の脳、生理、心理を形成する。
文化が人の心理変化を起こし、それが社会の仕組みに組み込まれる。 

なるほどぉ。

 

気になったところを覚書。

・教育が文化に与える影響の話の文脈で、プロテスタンティズムと識字能力の歴史的関連性は十分に証明されている。”
 教会ではなく、自分で聖書を読むことを求められたプロテスタントが広がることは、識字能力の向上に大きく寄与した。

 

・”宗教的信念には、人々の意思決定や心理、社会のあり方を方向づけていく強い力がある。かつ、信念、習慣、テクノロジー、社会規範といった文化には、人の脳や生理や心理を形成していく力がある。
人が文化を作る一方、つくられた文化が人をつくる、ということ。

 

・”WEIRDな社会では、自尊感情、肯定的自己像が重要視される。”
”逆も又然り。”
なるほど。
日本人は自己肯定感が低いと言われるけれど、だからなんだというのか。それが、日本の文化だといえば、そうだし、その分他人を尊重するとか、良い面だってある、って思う。

 

・第1章、マシュマロテスト。忍耐力のテストということで出て来るけれど、これは、今では賛否両論。子どもがマシュマロを食べずに我慢できるかを観察する心理テストだが、これは、その子の忍耐力より、その子の育ってきた環境の方が強く影響する、という説が強くなっている。運も実力、実力も運、、、。

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・WEIRDな人の特徴。 自己への注目度が高く、個人主義的で、 同調傾向が低くて、 忍耐強く、 見ず知らずの相手を信頼し、 分析的にものを考え、 意図性の有無にこだわる。

 

・人間における婚姻規範では、子どもによって親族のサイズが二倍になる。人以外のほとんどの霊長類は、父親が誰だかわからないので、遺伝上の近縁個体の半分を見逃している。

 

” 自分たちの制度について 構築する明示的な理論は、たいてい 後付けであり、しかも 往々にして間違っている”

 

・人の脳は、無意識の影響を大きくうける。「white horse」という文字と「白馬」という文字を見た時、日本人なら「白馬」が自然に目に入る。そして、頭はかってに白い馬を想像する。刷り込まれた能力。無意識の判断。消しようがない無意識。

 

・人間の超自然的なものに対する信念ができるわけ。
 ① 自分自身の直接経験や直感よりも、他者から学んだことを信じようとする人の性質。
 ② 人の脳が進化する際の手違いから生まれた「心理的副産物」の存在
 ③ 集団間競争が文化進化に及ぼす影響

 

・日本人と神のとかかわりの文脈で、
” 狩猟採集生活を営んでいた日本の先住民族は、賄としてヒエなどを原料にした酒を神々に捧げた。事態が好転しなければ先を捧げるのをやめてしまうぞ、と神を脅した。”ってでてきたのだが、え?!ほんと?先住民族って、誰のことを指しているのかわからないけれど、「神を脅した」って、ほんと???

まぁ、神社のお賽銭は、神様への「賄賂」だって、昔友人がいっていた。それを聞いてから、私は神社のお賽銭箱には、めったにお金をいれない、、、、。

 

”教会は、「非嫡出子」という概念を広めて、結婚で生まれた子供を除く、すべての子どもから相続権をはく奪した。”
これは、教会は、親族間のつながりを断たせようとしたから。それは西正教会。そこから、個人主義が始まり、WEIRDが生まれてくる。
それにしても、非嫡出子って、教会がつくった言葉だったのか、、、。衝撃。現在の観念からすれば、人道に反していると思う。
ついでに、教会は、養子縁組さえ、阻止したのだそうだ・・・。

 

・養子縁組が合法的に認められるようになったのは、フランス1892年、アメリマサチューセッツ州1851年、イギリスは1926年。。。
教会は、個人同士が繋がり合うことを嫌った。 

 

へぇ、、、、と、色々とわたしにとっては目からウロコなこともあった。面白い。

先日、スコットランド人の人と話していて、「日本は小さい国だから」と言ったら、「そんなことない!!!」と強く否定されたのだけれど、確かに、日本は地図上でヨーロッパと重ねてみると、決して小さな国ではない。日本人が勝手に日本のことを思っているように、日本人がかって思っている「西洋人」ってあるんだよな、ってつくづく思う。

 

自分がわかっていると思っていることは、自分の思い込みに過ぎないことって、山ほどある。

だから、読書は楽しい。

新しい発見。

 

はやく、下巻が読みたい。

 

 

 

『マーリ・アルメイラの7つの月 (下)』 by シェハン・カルナティラカ

マーリ・アルメイラの7つの月 (下)
シェハン・カルナティラカ 著
山北めぐみ 訳
河出書房新社
2023年12月20日 初版印刷
2023年12月30日 初版発行
The Seven Moos fo Mali Almeida (2022)

 

(上)の続き。

 

戦場カメラマンだったマーリに危険地域に行って写真をとらせていた張本人のひとりは、AP通信社のジョニー・ギルフーリーだった。また、ロバート・ボブ・サドワースも、AP通信社からの回しもので、マーリに様々な仕事を依頼していた。

 

マーリが、戦場カメラマンをやめて、DDと一緒にサンフランシスコへ行こうと心に決めたのは、ジョニーやロバートに依頼されていった地域で、ジョニーのアイディアだった「赤いバンダナ」をしていたにもかかわらず、攻撃されたからだった。
「赤いバンダナ」は、非戦闘員のしるしのはずだった。今のイスラエルハマスの戦地に、UNのメンバーが、UNの印をつけた車で支援物資を運んでいるようなもの。そして、今、イスラエルで、食料支援団体だった「World Central Kitchen」の車が砲撃されて死者が出たように、スリランカでの「赤いバンダナ」も砲撃の対象となってしまったのだ、、、、。


マーリは、その危険地域からコロンボへ戻ると、ジョニーやボブ、また他にもテロリスト情報の収集をマーリに依頼していた活動家へ、もう、危険な仕事は辞めると告げる。
そして、最後にDDにきちんと「愛しているのはDDだ。戦場カメラマンをやめていっしょにサンフランシスコへ行こう」と告げるために、痴話げんかをしていたDDへ手紙を書き残す。ところが、その手紙がDDの手元に届く前に、マーリは「はざま」の世界へきてしまったのだった・・・。


精霊も、悪霊も跋扈する「はざま」の世界でも、マーリは仲間を見つけてなんとか自分の写真を世に出そうと頑張る。
人間界では、まだ私利私欲の政治家や活動家が保身のためにマーリの撮った写真のネガを抹殺しようと躍起になっている。そんなごたごたに巻き込まれている死体処理人のドライバーは、つぶやく。
この島は、吞み込まれる。最初は炎に。次は洪水に。


救いようのない、泥沼、、、。それが、当時のスリランカだったのだ。その泥沼さ加減を、幽霊のマーリの視点、生きているDDやジャキの視点、政治家、活動家の視点で描かれているので、読者は、第三者的視点で、なんとなく冷静にみつめることができる。小説に没入していくというよりは、物語を観劇している感じ。
うまく、描くなぁ、、、って思う。


とうとう、DDとジャキは、マーリが大事にしてきた非公開写真のネガを見つける。そして、マーリが生前「ここにもっていくように」と言っていた現像屋さん、ヴィランのところへネガを持っていく。ヴィランは、心得ていた。とうとう、、、万が一の時が来てしまった。。マーリはもう、この世にはいない。だから、DDやジャキがネガをもってきたということ、、、。そして、マーリに頼まれていた通り、ネガから2枚ずつ写真を現像する。一つは、写真を公開してくれることになっているミスター・クラランタへ。もう一つは、マーリの義理の妹にあたるトレイシー・カパナラへ。


写真を現像したことで、DDやジャキにも危険の手が迫る。DDの父、スタンリーは、何とか息子やジャキを守ろうとするが、ジャキはすでに敵の手に拉致されてしまっていた。
マーリは、必死に人間へのささやきを覚え、3つだけささやきかけるようになる。えらびに選んだ場面でささやくマーリ。DDへ、ジャキへ、逃げろ!逃げろ!逃げろ!
マーリのささやきは、声として生者に届くわけではない。でも、第六感として感じさせることができるのだ。あるいは、マーリが乗ってきた風を生者が感じる。。。そこに、いる、、、と。


そして、マーリは、自分の死の真相を知る。マーリは、テロリストに殺されたのでもなければ、活動家にころされたのでもなかった、、、。真相は、、、、
衝撃の事実。
読者も、まさか!の真実、、、。
このネタバレは無しにしておこう。

 

いやぁ、、、面白い。
そして、スリランカの歴史をしらないとな、って思う。 

 

物語のなかに挿入される、歴史も興味深い。また、比喩としてアーサー・C・クラークが出てくる。うん?なんで?と思ったら、アーサー・C・クラークは、イギリス出身のSF作家だが、スリランカに30年も住んでいて、コロンボでなくなったのだそうだ。2001年宇宙の旅アーサー・C・クラークだ。スリランカには、『宇宙の旅』のエンディングのような未来は、、、人類が生まれ変わるような、、、国が生まれ変わるような未来は、なかなか来なかった・・・。

 

たくさんの幽霊がでてくるのは、実際、スリランカで多くの人が亡くなっているから。「幽霊も他の幽霊が怖い」って、でてきて、思わず笑っちゃう。いやいや、そうだよね、わからないものは幽霊だって怖いよね。

 

そして、

”人はみな、自分の頭でものを考え、自分の意思で決断を下していると信じている。だが、それもまた、、、、”

幽霊にささやかれているのかもしれない。幽霊の風をかんじているのかもしれない、、、って。

 

”幽霊が生きている者の目に見えないのは、罪悪感や重力、電気や思考が目に見えないのと同じだ。一人一人の人生の進路を司るのは、幾千もの見えざる手。”だと。

 

そうね、、、そうかもね。

自分の頭で考えているつもりだけど、だれかに、囁かれているのかもしれない。

それは、虎かもしれないし、天使かもしれないし、、、。

 

そして、幽霊になっても、マーリは「何も知らないコロンボの人に、本当のスリランカを見せる」ことに成功したのだ。そして、それを世界へ発信する事にも。

 

スリランカは、島国だ。交通のインフラは整っているとはいいがたい。ゆえに、コロンボの人は、北で起きている虐殺の真相を知らずに生きていた。そんな時代があったのだ。インターネットもSNSもない時代。人は、誰かのささやきにたよって生きていた。

 

いま、私たちの耳にささやくのは、だれだろうか。。。

耳を貸す相手は、誰にするべきだろうか。。。

 

と、まぁ、いろんなことを思う一冊。

エンターテイメントであり、人の儚さ、人の強さ、、、色々おもう、とても面白い一冊だった。

 

上下二冊なので、そこそこの長さはあるけれど、お薦め。

読むなら、スリランカの歴史を勉強してからが、なおよい。

 

うん、読書は楽しい。

 

 

『マーリ・アルメイラの7つの月(上)』 by  シェハン・ カルナティラカ

マーリ・アルメイラの7つの月 (上)
シェハン・ カルナティラカ 著
山北めぐみ 訳
河出書房新社
2023年12月20日 初版印刷
2023年12月30日 初版発行
The Seven Moos fo Mali Almeida (2022)

 

2024年3月2日、 日経新聞朝刊の書評で紹介されていた。

 

記事では、
”2022年にブッカー賞を受けたスリランカ作家の小説だ。語りの圧倒的な自由度が気持ち良い。冥界と下界、過去と現在を自在に行き来しながら、「七つの月」の時間を駆け抜ける。”とあり、スリランカの小説で、面白いのがある、、、と最近どこかほかでも読んだ気がしたので、本書を図書館で借りてみた。

 

著者のシェハン・カルナティラカは、 1975年生まれ。 スリランカコロンボに育ち、 ニュージーランドの高校、 大学を卒業後、 フリーランスのコピーライターとして活躍。2010年刊行の初長編作品『Chinaman: The Legend of Pradeep Mathew』が旧英国領の優れた小説に与えられるコモンウェルス賞を受賞。2022年、長編第二作である本書を刊行。ブッカー賞を受賞し、内戦化のスリランカの闇を皮肉とユーモアをもって描いた傑作して世界的に高く評価された、とのこと。

 

スリランカといえば、2019年には連続爆破テロがあり、ここ数年はひどい経済停滞で混乱を極めている。。。コロナでさらに悪化したと思われるけれど、この一年くらいはニュースになることは減っているか、、、。本書は、スリランカを舞台とした話で、キーとなる出来事は1983年の内戦激化。昔のことのようでいて、最近のことでもある。読み終わってから、もっと、スリランカの歴史を勉強してから読めばよかった、と思った。

 

私は、2013年8月にスリランカに旅行に行っている。旅行といっても、1週間ほどスリランカの南の方のアーユルヴェーダホテルに連泊しただけなので、観光はほとんどしていない。そのころは、ヨーロッパからの旅行客も多くて、特に危険な国という印象はなかった。まぁ、インフラは貧しいけれど。海の目の前のホテルで、私はコテージに泊まっていたので、まさに日の出とともに起きて、日の入りともに寝る、、という生活をして、とてもリフレッシュできた。そんなスリランカだけれど、民族間の争いによる内戦が絶えない、なかなか厳しい国なのだ。海は、ただただ美しかったのに・・・・・。

 

外務省のHPから情報を抜粋すると、(https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol40/index.html)

 

1815年 英国が全土を植民地化
1948年 スリランカ(当時はセイロン)独立
1956年 シンハラ人 優遇政策に タミル人が反発
1972年  タミル・イーラム解放の虎 LTTE結成: 反政府武力・テロ闘争を本格化
1983年  本格的な内戦に発展:以降内戦終結まで約7万人が死亡
2002年 ノルウェーの仲介による停戦合意: 6回の和平交渉が行われるも成果上がらず
2003年 「スリランカ が復興開発に関する東京会議」開催
2006年 政府とLTTEの戦闘激化: 停戦合意が事実上崩壊
2007年 政府軍が東部LTTE支配地域を解放:同時に民族問題解決のための権限委譲案を策定
2008年  停戦合意が正式に失効
2009年 LTTE・ プラブハカラン議長死亡。政府が内戦終結を宣言。

 

作品の中には、実在した活動家、政治家の名前もたくさん出てくる。スリランカにおける内戦の原因となっている、シンハラ人とタミル人についても、知っておいた方が本書を読みやすい。

 

上記同様に、外務省HP掲載の2007年情報によれば、スリランカ民主社会主義共和国は、シンハラ人(74%、主に仏教)やタミル人(18%、主にヒンドゥー教)、スリランカムーア人など約2,000万人が住む多民族国家。シンハラ人は、紀元前483年に北インドから上陸したアーリア系(インド・ヨーロッパ語族)の民族とされ、タミル人は、主に南インドに住むドラヴィダ系(ドラヴィダ語族)の民族で、紀元前2世紀中頃にセイロン島北部に到来したり、英国植民地時代に紅茶などのプランテーション労働者として強制移住させられたりして、定住するようになった。公用語シンハラ語タミル語。両民族間をつなぐ言葉(連結語=link language)として英語が使われている。スリランカ」とは、シンハラ語で「光輝く島」という意味

 

本作から読み取ると、シンハラ人は、南インド訛のタミル人をバカにしている。そして、本作時代(1980~1990頃)タミル人は、スリランカにいるということがタミル人であるというだけで命の危機にさらされる恐れがある、、と感じていた。

と、そんな政情不安のあるスリランカを舞台にしたお話。

 

感想。
面白い!!!
これは、、めちゃく茶面白い!!!
内戦中の話だし、悲惨な物語でもある。

でも、骨太。

読み応えがあって、エンターテイメント性もあって、これは、、うん、読む価値のある本だった。


そもそも、主人公は最初から死んじゃっているのだ。幽霊なのだ!!そして、多くの人が命をおとしたスリランカでは、幽霊がうじゃうじゃしていて、幽霊のなかでの生き抜く?!システムが出来上がっている。幽霊の中のも序列があったり、成仏?されたいならやらなきゃいけないことがあったり。

 

主人公のマーリンダ・アルメイダ・カバラナ(マーリ)は、1955年に生まれ。 1990年に命を落とす。。。たったの35歳だ、、、。そして、死後の世界をさまよっているところから始まる。自分がなぜ死んだのか、マーリは気が付いていない。というか、死んだことすらきがついていなかったのだ。でも、どうやら死んだらしい・・・。

 

マーリがいるのは死者が最初にやってくる受付のようなところ。そして、受付の女に「7つの月が与えられます」と言われる。7つの月とは、日没が7回。つまり、1週間の時間の間にこの世で思い残したことをして、スッキリしたところであの世「光」に行けるか、、、あるいは、7日間のあいだに思いのこしたことをやり切れず、そのまま「はざま」の世界を永遠に彷徨い続けるか、、、。いわゆる、成仏できなかったうらめしやぁ、、、、な幽霊で一生?!いるのか?

 

受付の女は、「タミルの虎」についての論文をかいたことで抹殺された大学講師、ラーニー・スリダラン博士で、最後までマーリが無事に「光」の世界へ行けるように、手助けしてくれる。

 

幽霊たちは、風に乗って移動することができる。ただ、移動できるのは「はざま」に来る前の自分の肉体が行ったことのある場所。マーリは、1人の幽霊に導かれて、自分の死体が捨てられた場所、ベイラ湖へやってくる。そして、自分だけでなく、スリランカでは多くのひとが「死体処理人」によって、亡き者とされている様子を観察する。

 

主人公が幽霊で、自分がなぜ死んだのかもわからず、でも、どうやら自分は殺されたらしいことがわかって、仲間の幽霊と自分を殺した奴に仕返しをしよう!といわれちゃったり。。。

なんだ、この設定!!って、面白いというか、ユニーク。だがしかし、実際にスリランカの歴史として、無辜の市民が大勢殺されたという事実もあり、骨太のストーリーともいえる。

 

物語は、第一の月、第二の月、第三の月が上巻、下巻は第三の月、第四の月、第五の月、第六の月、第七の月、そして〈光〉で締めくくられる。

 

何といったらいいのやら、難しいのだけれど、この幽霊たちが彷徨う世界と、現実の世界とが交差するのが面白い。

 

現実の世界では、マーリの恋人、友だち、お母さん、政治家、警察官、マーリの仕事仲間、、、それぞれが行方不明になったマーリを探し、どうやらマーリの遺体の一部がベイラ湖でみつかり、悲嘆にくれる。

 

マーリは、戦場カメラマンとして、AP通信、活動家、政治家に頼まれた仕事をして、危ない写真をとって生きていた。そして、実は、男しか愛せないゲイであり、恋人のDDは、女友達ジャキの従兄だ。ジャキは、マーリとDDが深いなかであることは知らない。いや、知らないふりをしていたのか。マーリとジャキ、そしてDDはいっしょに暮していた。世間体としては、マーリの恋人はジャキ(女)。でも、ジャキはマーリと寝ることはなかった。

 

マーリは、戦場カメラマンとしてハイリスクの仕事をしている。時には命の危機も。まるで、今のイスラエルにいくジャーナリストを連想させる。そして、DDは、そんな危険なことはやめてもらいたいと思っている。サンフランシスコの大学に入学を許されたDDは、マーリに戦場カメラマンなんてやめて、一緒にサンフランシスコに行こう、と誘う。でも。カメラマンとして絶頂期だったマーリは、自分はアメリカなんか行っても役立たずだ。ここで戦場カメラマンとして、世界にスリランカの現実を伝えるんだ、と、DDの誘いを断る。そして、DDもしばらくはスリランカにいることにするのだが、、、。

 

DDの父親は、政府の青年問題省大臣で、息子がマーリと仲良くすることを快く思っていない。とはいえ、姪っ子のジャキとも仲良しのマーリを、できれば危険なことから遠ざけたいと思っている。

 

一方で、マーリの父親はといえば、マーリが幼いころに母と自分をおいて出て行ってしまった。マーリの母は、バーガー人とタミル人の血をひき、父はシンハラ人。シンハラ人の血がはいっていることが、マーリにとっては身の安全をちょっとばかり高くしてくれることになっている。マーリは、後から振り返って、父は自分がゲイであることにきがついていたかもしれない、、、と思う。だから、家をでていったのかもしれない、、と。かつ、マンマには、最後までカミングアウトできなかったマーリだった。

 

さて、自分の遺体がバラバラにされて、冷凍されたり、ベイラ湖に捨てられたことを知ったマーリは、なんでそんなことになっちゃったのか、自分の足跡をたどってみる。そして、7つの月の間に、自分が撮ってきた写真のうち、公にすれば命の危険にさらされる危ない写真を、DDやジャキの力をかりて、世の中に公表することをめざす。もう、自分の命は危機も何もあったもんじゃない。。。しんじゃってるんだから。そして、自分は、ろくでなしのカメラマンであったとしても、スリランカの現実を世の中につたえるのがミッションだったはず。限られた時間で、なんとか隠していた「ネガ」を現像して、公表しないと!!

 

幽霊のマーリは、風に乗ってどこにでも移動できるけれど、まだ、新米幽霊なので、生きている人間に囁いて言葉を伝えることができない。その技を習得するには、まだまだ修行が必要そう。でも、なんとか、DDやジャキに伝えようとする。

 

人間の世界では、マーリの行方不明操作が行われ、遺体がベイラ湖で見つかる。悲嘆にくれる、マーリのマンマ。。。「あの子はいつも、、、」と、DDやジャキに悪態をつくマンマだったけれど、マーリの死亡を伝えに来たみんなが家を去ると、これまでマーリがみたことが無いほど涙にくれる。マーリは、自分の死を嘆き、1人泣き崩れるマンマをそっと見守る。ハグしたかったけれど、そっとしておいた・・・。

ささやくスキルもまだ身に着けていなかったし、、、。

 

マーリが、政治的に重要な写真を撮っていたことを知っているDDとジャキは、マーリの写真、そしてネガのありかを探し始める。

 

そして、写真やネガをめぐって、人間界での争いが始まる、、、不都合な写真を公にしたくない政治家、自分が虐殺やあるいは裏切りに関わっていたことがバレるとまずい活動家、、、。写真やネガの運命は、いかに!!

 

ってところで、続きは、下巻へ。

 

 

 

映画 『オッペンハイマー』

映画 『オッペンハイマー


クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を観てきた。

 

原爆の父、オッペンハイマー、J. Robert Oppenheimer。アメリカでの公開は、2023年7月だけれど、日本での公開が決まるまでは、ちょっと時間があったようだ。


アカデミー賞、7冠クリストファー・ノーランの監督賞をはじめ、オッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィは、主演男優賞。3時間の大作。


映画の紹介では、
”2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」を下敷きに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く。”と。


感想。

泣いた。私は、泣いた。
自然と涙がこぼれた。。。
原爆に対してではない。

オッペンハイマーの苦悩に対して。。。。

 

そして、あぁ、これが、クリストファー・ノーランの映画かぁ、、と。交差する時間軸と、それをカラーと白黒で描き分けることで、観ている方は時間がスイッチすることがわかる。なるほど。。。。それは、同時に視点のスイッチでもある。

 

そして、キリアン・マーフィ演じるオッペンハイマーが、自分がつくりだした技術の威力を目の当たりにした時、、、、映像に重なるのは、オッペンハイマーの息づかい。緊迫感が、ひしひしと伝わってくる。そして?そして?どうするの?どうなる?息づかいだけがひたすら続く時間、スタンリー・キューブリック2001年宇宙の旅を彷彿させる。

 

ニールス・ボーアハイゼンベルクアインシュタインと、物理の神様のような人々も登場する。とくに、アメリカに渡ったアインシュタインオッペンハイマーの友情、相互信頼、人としての支援、、、、。心が痛む。。。

アインシュタインアメリカに渡った晩年は、量子論を理解できない時代遅れの人とされてしまっていた。でも、オッペンハイマーが理論物理の相談相手として信頼していたのが、アインシュタインだった、はず。それが、映画の中で描かれている。核分裂反応がいわゆる臨界に達したとき、もしかすると大気に引火して、一気に地球全部が火に包まれるかもしれない、、そんな計算結果がでてきて、その可能性を「ゼロ」と言い切れない理論物理学の限界を感じたオッペンハイマーは、アインシュタインに相談する。アインシュタインは、答えは言わない。「それは君の仕事だ、、、」と。

 

アインシュタインオッペンハイマー。お互いの信頼が、うらやましくも思える。


本作は、アメリカを中心とした話だけれど、ハイゼンベルクの著書『部分と全体』の中では、自分たちの研究が戦争に利用されることを畏れていたドイツの研究者が描かれている。まさか、アメリカに亡命した仲間が、人類最大の殺りく兵器をつくりに加担するとは、、、。でも、亡命するしかなかった研究者もいたのだ。そして、ナチスを亡き者にするためなら、、、と、、、。

そんな研究者たちの葛藤が、、痛い。痛いのだ。痛くて涙が出た。

 

映画では、そんな話は出てこない。あくまでも、オッペンハイマーの話だ。だけど、ハイゼンベルクアインシュタインだけでない、科学者は、、、正しい科学者は、だれも、人類殺戮技術なんて、つくりたいと思っていない。。。

 

オッペンハイマーは、ユダヤ人系移民の子だった。だから、ヒトラーより先に、ナチスより先に、原子爆弾を作らなくては、、と思った。。。。その心も、理解しないわけではない。

そして、研究としての開発と、、、それが、、、出来上がってしまった原子爆弾は、、、使わねばならなかった。。。ドイツは5月9日までに降伏した。ドイツのために作ったはずの原爆。。。ドイツに落とす口実がなくなった原爆。その対象は日本になった。。。

悲しい。


マンハッタン計画によって、ロスアラモス(ニューメキシコ州の砂漠)オッペンハイマーらの研究者が集められる。そして、人類初の原爆実験が行われる。「トリニティ」。

実験は、成功する。でも、それが意味するのは、、、オッペンハイマーの物理学者としての成功は、、、、原爆によって人を殺す手段を作ってしまったということ。

物語は、オッペンハイマーの物理学者としての栄光ではなく、彼の人生の苦悩、共産党のかかわり、女関係、、、が描かれる。どんな天才も、ただのひとりの人間なのだ。

誰かを愛しもすれば、誰かを傷つけたりもする。それでも、、、、ただ、家族と平穏に暮らすことが許されなかったオッペンハイマー。英雄とあがめられたと思ったら、権力の陰謀の罠にはめられ、何ゆえこんな仕打ちを、、、というめにもあう。それでも、、、、強く生きていたオッペンハイマー。憤るどころか、冷静に、、、負け戦に挑むオッペンハイマー。。。それは、妻のキャサリンが、自分の代わりに怒りを表に出してくれたからかもしれない。。。

キャサリンがいたから、オッペンハイマーは、オッペンハイマーでいられたのかもしれない。二人の間には、子どもたちがいる。彼らは、、、どんな人生だったのかな、ということも私の頭によぎった。映画の中では、まったく触れられていない。

どうして、ただただ、、研究者としてだけ、生きていくことができなかったんだろう。。。

 

私にとって印象的だった場面は、オッペンハイマーマンハッタン計画のリーダーに任命されて、軍服をきるようになり、それを友人の物理学者イジドール・ラビに「軍服はやめろ。科学者らしい服をきろ」と言われて、次のシーンから、これまでのスーツ姿にもどること。

 

研究者とは、科学者とは、何者なのだろうか。

 

オッペンハイマーは、水爆開発に反対した。ちゃんと、意見した。そして、大統領に嫌われた。いいのだ。それでいいのだ。

 

佐藤優の著書『未来のエリートのための最強の学び方』にでてきた言葉を思い出す。

「ただ危険だというのではなく、何がどうなると危険で、どう使えば人類のためになるのか、それを明らかにするのが科学者の役割。」と。

megureca.hatenablog.com

人は、自分に都合の良いことしか聞こうとしない。。。ただ、恐れるだけでもだめなのだよね。

 

映画『オッペンハイマー』を見て、もっと、オッペンハイマーの人生を知りたいと思った。彼が、怪物なのではない。彼の作った技術を、戦争につかった人間が怪物だ。日本人にとっては、怪物だ。映画のなかでは、原爆の成功に喚起するアメリカ人たちもでてくる。それもまた、怪物だ。いやいや、日本人も、同じように好戦的な怪物になっていたこともある。

 

怖ろしいのは技術ではない。それを誤った方法で使う人間なのだよ。。。

 

やってみないとわからないこともある。だから、実験は必要。しかし、それは、、、代償が大きすぎる実験は、、、本来許されない。問題は、、、良かれと思うし、実験より実践が優先されることもあるということ。。。

 

正解は、誰も知らない。

でも、やってみないと、、、わからない。

 

エリザベス・コルバートの著書『世界から青空がなくなる日』で描かれる環境問題も、しかり、かもね。

 

megureca.hatenablog.com

 

オッペンハイマー』、サイエンスをめざす若者に、観てもらいたい。