集中力欠如

今日は、一か月半ぶりくらいのゴルフ。いつもほぼ同じメンバーでいくのだけど、今日は、いつになく、私が不調だった。別に、うまいわけでもないから、不調でもいつものと変わらないともいえるのだが、、、、。

そして、なじみのメンバーに、”集中力の欠如だね”と言われた。


あぁ、、、あたっている。今日は、集中力ないかも、、、。後半、集中、集中!!って呪文を唱えながらショットをしていたら、まぁまぁ、まともなゴルフになった。。。

 

集中力欠如のわけは、最近の、自分の軸の無さかもしれない。やりたいことをあれこれやりすぎて、あれもこれも、どれもこれも、どっちつかず、、、、。

筋を通した仕事をしているメンバーと一緒にゴルフをしながら、あぁ、わたしはこれではいかん、、、とおもったか、人生の本気度が足りなくて、ゴルフの本気度がかけたか、、、、。

 

まぁ、一つ、今の私の集中力欠如の理由は、あれもこれもやりたいことがたくさんあって、どれも中途半端だから。。。。

だから、

「詩歌の待ち伏せ」で、書き留めておきたいことを、残しておこうと思う。

 

「長い別れ」。さよならというのは、わずかのあいだ、死ぬことだ。

 

To say goog-bye is to die a little.

サヨナラというのは、幾分死ぬことだ。

 

色々な訳があるのだけど、あぁ、死んだんだ、、、と思えばいいのか。。。

村上春樹が好きで、レイモンドチャンドラーが好きで、これまでにも読み飛ばしてきたけど、

 

サヨナラというのは、いくぶんのあいだか、死ぬことだ・・・

 

が、私にとっては、そんな感じがいいかな、、、。

あぁ、あの人は死んだんだ、とおもったら、未練もなくなるかもしれない。

かってに、死んだことにしてごめんね。

来週も会うけど、しばらく、死んだことにしておく。

 

閑かさや 岩にしみいる 蝉の声

セミは、アブラゼミで、たくさん鳴いているでしょ。一匹が鳴きだすと、他も鳴きだして、、、。それを蝉は一匹であるなんて、松尾芭蕉に聞いてみて!!ぜったい、どうでもいいっていうから。。、

山寺、いきたいな、、、。台風で線路が崩壊したのは何年前だったろう。。。

初めて一人旅で山寺に行ったのは、多分30年以上前・・・・。

今は、山形もコロナで大変。。。落ち着いたら、いきたいな。

 

丸谷才一

米原万里さんのエッセイにもたびたびでてくるのだけど、たぶん、私はまだ読んだことない。「笹まくら」。読まなきゃ。って、本が私に言ってくる。

待ち伏せされた!

 

しっぽ。木村信子さん。

しっぽを捨てる。

しっぽって、人間になにか特別な感じがするのかな?

ガルシア・マルケスの「百年の孤独」も、しっぽは、重要な、、、話の終りに極めて重要な、、、しっぽ、だった。

 

天金。カモメが飛ぶ。

確かに、昔の洋書って、金色になっていた。

聖書とかかな。初めて見たのは。

みなくなったな、天金。

日本の本でもあったのかな?

記憶にない。

 

石垣りんさん、骨折。

もう、もとのようにはなりません。

お父さん、お母さん、ごめんなさい。

65歳。

わかる気がする。

私は今も子供です。

涙がでた。

 

この本の中の極めつけは、

「朝の食事」 プレヴェール

かな。

 

何人もの訳がでてくるのだけど、、

同じ詩が、訳によってこうも変わるのか、、、

 

朝食

 

茶碗にコーヒーを注ぎました

コーヒー入りの茶碗にミルクを入れました

ミルク入りのコーヒーに砂糖を入れました

小さじでかき回しました

ミルク入りのコーヒーを飲んで

茶碗を下に置きました

私に物を言わないで

シガレットに火をつけました

煙の輪をいくつも作りました

灰を灰皿に落としました

私にものを言わないで

私を見ないで立ち上がりました

帽子をかぶりました

レインコートを着ました

雨が降っていたからです

そして雨の中を出ていきました

ものひとつ言わないで 私を見ないで

私は両手で頭を抱えました

そして泣きました

 

私を置いていった、彼を描写しているのですが、

私がわたしだったり、あたしだったり、

主語無しだったり、彼だったり、かれだったり、あの人だったり、、、、

 

私は、主語無し、が好きだった。

 

そして泣きました。