自分は正しい。
なんて、思わない方が人生楽に生きていける。
細谷功さんの「やわらかい頭の作り方」の中で言われていたことを私の言葉で解釈すると、”この人の言っていることは理解できないけど、おかしいのは理解できない自分かもしれない”、と考える癖を持っておくべき、ということ。
やわらかい頭、というと、物事に柔軟に対応できて、頑固じゃないこと。ということで、私自身がそうでありたいと思うから、手に取って読んでみたのかもしれない。
細谷さんの「「具体⇔抽象」トレーニング」がおもしろかったから、図書館で細谷功で検索してあった本を借りたまでなのだが。
思い込みをなくす
ブレインロックをはずす
ストールをときはなす
偏見をなくす
色眼鏡をはずす
色々な言い方があるけど、自分の習慣的な考え方が正しくないこともある、という事を認める、っていうことが、人生を楽に生きるのにも役立つ。
別に、おかしいのは自分でも、相手でも、世の中でも、、、。
だれも、正解なんてわからないのである。
裁判だって、それが正しい判決、って思う人と、間違っているって思う人がいるわけで、万人にとっての正解なんて、ない。
無いものを無いと証明するのは難しい、、、、のだけど。
万人が同じように感じるわけもなく。
おかしいのは、自分かもしれない。
だからと言って、間違っているというわけでもないかもしれない。
ただ、相手と思うことがちがっているだけ。
そんなの、当たり前。
事実は、自分と相手が頭の中で感じていることが違うという事。
認識が違うという事。
自分の認識の癖を知ると、相手の癖にも考えが及ぶようになる。
みんなそれぞれがくせ者なのである。
くせ者、結構。
ストールをぶっ飛ばせ!、という主題で、世の中に何かを提供できないだろうかと考えていたのだけど、人に言われたくないよな、とも思った。
私は、ブレインロックとか、ストールとか、外すハードルは低いほうだと思うけど、外した方が人生楽しいと思っているけど、、、
他の人がそう思うかなんて、わからないし、余計なお世話なのかもしれない。
そもそも、人生楽に生きたい、、、と、私は思うけど、そう思わない人もいるかもしれない。
ま、なにが楽かも、人によって違うし。
私にとっての楽っていうのは、好きなことをして新しいことに挑戦できる人生。
でも、「なんでそんなに頑張るの?」と人に言われることがあるけど。
本人は、頑張っているつもりなんかなくて、何かに夢中になっているほうが生きていて楽なだけなんだけど、、、。
自分が夢中になっていることが、他の人から見たら変なこと、なのかもしれない。
だって、みんな変だもの。
多様性を認めよう、なんて難しい言いかたしなくても、みんなそれぞれ変なんです。
そこに、共感の必要なんかないし、ただ、違う事をみとめればいいだけなんじゃないか?
共感の強要ほど、余計なお世話はない。
知らず知らずに、共感を強要していることはないだろうか。。。
気を付けよう。
人間だから、共感されればうれしいけど、
共感の強要は、ある種のいじめだな。。。
いじめの解決方法は、ただ一つ、まず逃げろ!!
世の中には、戦わなきゃいけないときと、戦わなくていいときがある。
そう、なんでも、やわらかい頭で考えよう。