どこまでが史実で、どこからが小説なのかわからなくなる。
夢中になって、読んでしまった。
私的には、満足度の高い一冊だった。
米原万里さんの文章のうまさにもはまって、最近になって彼女の作品を読むようになった。きっかけは、「不実な美女か貞淑な醜女か」だった。
通訳の勉強をしている私に、東欧に詳しい年下の友人が薦めてくれた。
1960年から約5年間、プラハのソビエト学校に通っていた米原さん。当時の級友を訪ねる旅は、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」にもつづられているが、その流れで、当時の学校の先生たちに起きていた史実を求めてめぐる旅。本当に、どこまでが本当で、どこからが小説なのかわからなくなる。
米原さんにあって、お聞きしたい。
反語法。
10代の時の友人に30年ぶりに合って、3倍の大きさになっている女友達の食欲に、
「痩せたらこまるから、それくらいにしておきましょう」という、会話ができる、反語法を共有できる喜び。それを可能にさせてくれたオリガ・モリソヴナ。
タイトルにあるほど、言葉の話が出てくるわけではないのだけど、彼女が反語法で表現することで、生き抜いてくることができた、という、想像を絶する理不尽な時代。
粛清。
恐ろしすぎて、想像もできないけれど、
ナチスにしても、とても想像もできないけれど、
史実なのである。
反語法による罵詈雑言。それがあっての魅力だった、オリガ・モリソヴナ。
彼女の踊りを見てみたかった。
理不尽な人間による人間への暴力・虐待。。。処刑。。
それでも、生きることに、喜びをみいだそうとした人々。
コロナなんて、、、天災なんて、、、それは理不尽ではあるけれど、人がもたらす理不尽さに対する憤りのようなものは、ないし、その理不尽な悲劇への悲しみを共有できる人が、表立って共有できる人がいるという救い。
平和な時代に生きているのだと思う。
理不尽なことはたくさんあるし、世の中に、公平も公正も、あるというのは気のせいだと思っているけれど、理不尽に人に裁かれるほど許しがたいものはないだろう。
米原さんの本にしては、爆笑の連続ではなかったけれど、読み応えのある一冊。
「父が早死にしていたことが僥倖だった」
なんて、、、、。ほんのひと世代前の話。。。。
米原さんに、あって、もっと、お話聞いてみたかった。
あなたが早逝されたことは、私にとっては痛恨の極みです。。。
でも、こうして、本として書籍として、読めるって、ありがたい。
言葉に、本に、感謝しよう。
カザフスタン、バイコヌール宇宙基地をググってしまった。
歴史のみならず、地理の勉強にもなりました。
万里さん、ありがとう!