蘇民将来 そみんしょうらい

そみんしょうらい???なんだそれ?


パンデミックの文明論」 ヤマザキマリ中野信子
にでてきた。


ある旅人が裕福な家に立ち寄って一晩の宿をこうた。
ところがその家の家長は裕福であったにも関わらず、旅人を追い返してしまった。
しかし家長の兄である蘇民将来は貧しいけれど旅人を快く迎え入れたのです。
その旅人は実は神で、兄は福をもらったのに対し、裕福な弟は災いを被った。
ここまでだとよくある因果応報譚なんですが、それから人々の間で蘇民将来の子孫と書いた御札を貼っておけば、疫病が寄り付かなくなる。と言い伝えられているというのである。

日本人にとって、疫病(いまならコロナ)は、避けるものであって、戦うものではない、ということらしい。

蘇民将来

聞いたこともなかった。

良いことをすれば、疫病をさけることができるのか?

その名前を借りただけで、疫病をさけることができるのか?

コロナに対する日本人の反応、という話題の中ででてきた言葉ではあったが、
蘇民将来」をはっておいて、疫病が寄り付かないなんて、なんておめでたい、、、

と、思う一方で、あまびえ、が突然に人気者になる日本。

少なくとも、50数年の人生で、あまびえなんて、聞いたこともなかったし、興味を持ったこともなかった。
コロナでにわかに活気づく神様市場、、、、。

蘇民将来は、神様ではないところが、日本昔話っぽい。

けどね、自分の人生は、自分で戦った方がよいよ。
負けても、恨みっこなし。
自分の力のせい。

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。

だって、私の人生の主役は、私だもの。

疫病退散なら、「Megureca]って張っておいた方がよっぽど私のテンションは上がる。

人生、150年。
コロナに負けている場合ではない。
勝ち、負けの、定義だってない。

そう、私は、自分でかんがえることにします。

蘇民将来、、、不思議な名前だ。