「本を味方につける本」~自分が変わる読書術~ by 永江朗

読書術とはあるが、「本」をもっと身近なものにしよう、という感じ。

本を分解(物理的に、裁断!)してみよう、と言っている本は初めて読んだ。

新しく出会った言葉。

「スピン」、「花布」。

 

図書館のジュニアコーナー、特設棚にあった本。

河出書房新社の14歳の世渡り術シリーズの一冊。

一応、「中学生以上、大人まで」が対象の本。

ジュニア向けの本は読みやすいし、好きだ。

読んでみた。

 

「抽象と具体」という言葉が出てきた。

細田功さんの得意な言葉、抽象と具体。

確かに、小説であれば具体的な何かが描写されている。

あるいは、エッセイのようなものでも、具体的な言葉が書かれている。

いくつもの本を読んでいると、同じ言葉にであい、使われ方の違いを知り、頭の中で一つの言葉についての活用法が増えるというのは、その言葉の抽象的な理解が進むという事なのかもしれない。

だから、読書はたのしい。

言葉を抽象的にとらえられるということは、そこから別の具体を想像できるということだから。

 

本の中出てくる本、例えば「罪と罰」といったような古典は、色々な本にでてくる。小説の中で主人公が読むこともあれば、随筆に出てくることもあるし、そこでは具体的な本なのだけれど、いくつかの本のなかで出会うと、それぞれで引用されていた場面を思い起こして、共通性をさがしたり、抽象的に理解しようとする。

それも、本との出会いの楽しさ。

 

そして、あの人もこの人も、同じこの本を読んでいたんだ、と思ったときに、本を通じて、人と人がつながる感じ。自分も読んでいれば、時空を超えてつながれる感じ。インターネットなんてない時代から本を通じて人は人とつながることができていたんだよね、そういえば。

 

「君が本を見つけるのじゃなくて、本が君を見つけてくれる」、作家の角田光代さんの言葉だそうだが、ちょっと、わかるような気がする。本の中で本と出会って、見つけたんだけど、出てきてくれた、って感じ。

本を物理的に分解してみよう、という章は、私の知らない言葉も出てきた。

「スピン」。単行本に仕込まれている紐。しおり。

スピンっていうんだ。知らなかった。

 

「花布」はなぎれ。上製本の上のところ。本の背と本文ページの間にある。糸でかがって、本を作っていた昔の名残らしい。本によっていろんな花布の色があるらしい。気にしたこともなかった。

花布なんて、なんてきれいな言葉。まさに本にそっと咲いている花なのだと発見。

 

ハードカバーの本には、背が丸くなっているものと、平たいものがあって、丸い背のものは丸背。そして、丸背の背の反対側(小口という)も丸くなっている。

気にしたことなかった!

ハードカバーの本を買う事も減ったけれど、それも気にして本棚を眺めると、結構新しい作品集にみえてくるから、得した気分。

 

家の中のハードカバーを見てみると、カバーを外した厚紙の表紙の部分と花布が同じ色だったり、微妙なグラデーションだったり、まぁ、こんな芸術が隠れていたとは。

ほんと、得した気分。

 

著者自身が14歳だったころを振り返っている文章のなかで、津野海太郎さんの言葉がでてきた。読書とは関係ないけれど、ストレートでいいと思った。

「自分の意思や努力でどうにもならないことをからかったり、非難するのはとても下品なこと」

前に、米原万里さんがプラハソビエト学校から日本に帰国して日本の学校に行ったときに、同級生が”デブ”とか、”チビとか、、、容姿で人のことを呼ぶことに衝撃を受けて、こんな野蛮な人と一緒に勉強しなくてはいけないのかと思ったら絶望的な気分になった、というようなことを書いていた。まさに、下品なことを言ってる同級生に戸惑ったわけだ。

私も、そういう表現はいやだな、っておもっていたけど、”下品”と言い捨てる感じがいい。

下品な人にはならないように気を付けよう。

 

本からは、思いがけないことを学ぶことが多い。

だから、読書はやめられない。

 

今回も、たくさんの本がでてきた。

読みたい本がますます増える。

人生であと何冊読めるかな。

たまたま、同時に借りた松岡正剛さんの本が、この本の中でもお勧めにでてきた。

人と人がつながった。