「笹まくら」 丸谷才一 昭和50年8月15日初版発行 河出書房新社
米原万里さんが 打ちのめされるようなすごい小説と言っていた、丸谷才一さんの「笹まくら」を読んだ。
戦中、戦後の昭和の話である。
感想を一言でいえば、私も打ちのめされた。 面白かった。
タイトルは、主人公が勤め先のフランス語教授が読んでいる本で目にした一首
「これもまたかりそめ臥しのささ枕一夜の夢の契りばかりに」
から。
”「笹枕というのは?」、「僕もよくわからないけど、草枕とおんなしでしょう。旅寝。寝るといっても、ここでは、旅先でのかりそめの恋。」”
笹なんかをまくらにしたら、寝心地はわるかろう。それは、主人公に不安な旅を連想させた。つまり、彼の20年も前の過去を、今、目の前の教授が思い起こさせた場面。
主人公の、過去と現在を行き来しつつ、話は進む。
最後まで、どんどんページをめくりたくなる本だった。
もう一つ、米原さんおすすめの「女さかり」もいつか読んでみよう。
気になった言葉や表現。
「残軀」ざんく。
残りの躯(み)。余命。余生。
小説の中でたびたびでてきた。
「僥倖の連続」
戦争を生き延びた昭和世代の言葉になると、まさに、僥倖、だったのだろう。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」
今の時代にも、通じるかもしれない。
今の時代の一番小さな集団は、個人かもしれない、と思う。集団じゃないけど。
小説の中にでてきた表現。
「国家というものは、目的が戦争以外にない」
「それぐらい維持することが難しいということ」
「維持するには、外的な緊張という手段しかない」
地球的視野に立てば、今もどこかの国が、そんなイデオロギーで動いている。
宇宙人が攻めてきたら、地球人は一つになれるかもしれない・・・・。
面白い小説だった。
読んでよかった。
昭和50年の印刷で、活字は細いし、紙は茶色く変色しているし、それでも読み進まずにはいられない、そんなお話だった。
以下、ネタばれあり。
主人公は、浜田庄吉 45歳。彼が、徴兵忌避をして「杉浦健二」として生きていた時代と時間が交錯しながら話は進む。
特にどちらの時代の話かその都度出てくるわけではないのだが、杉浦が主人公になったり、浜田が主人公になったりすることで、今どちらの話をしているのかがわかる。とても自然に頭の中で、浜田の記憶のなかの話にジャンプすることができる。
小説の主題は何か?、と聞かれたなら、私なりの解釈なら、「生きる自由」とでもいうところだろうか。徴兵忌避という20年も前の過去の自分の経歴を常に背負って生きている主人公。二十歳の若者が、自由になるために選んだ道は、彼を自由にはしてくれなかった。しかしその20年後、彼自身を自由にしてくれたのはほかならない妻の罪だった。しかも、万引きという。しかも、警察に迎えに行った帰りの車のなか、妻は気が付けば助手席で泣き顔のまま寝ていた・・・。
長編小説の、ほんとに最後の最後。え?!?!そんなことがあるの?!?!という感じ。
でも、浜田の気持ちがわかる気がする。人は、人と比べて、何かに安心したり、不安になったりする。結局、比べることで自分の存在を確かめる、そんな性は、否定できない。そして、自由になる。
果たして、それは幸せな自由なのかはわからないけれど。
なにかにおびえて暮らすより、自由になったほうがよかろう。
おびえる原因を作ったのも自分ということ。
人は、自分を自由にするには、自分を許す以外に道はないのかもしれない、と思う。