図書館で目に入ったので借りてみた。
2006年河出書房新社。
既に10年以上昔の本なので、ボジョレーを取り巻く環境、いやワインを取り巻く環境は大きく変わっていると思うが、2004年にボージョレー復興のために立ち上がった取り組みが紹介されている。
ボージョレのワイン、ヌーヴォだけでなく、美味しいワインもいっぱいあるのよね。
厳しい環境で育ったぶどうのほうが、美味しいワインになる。
人も、厳しい環境を経験したほうが、味わいのある人になる。
なんて気がする。
ボージョレ・ヌーヴォーといえば、11月の第3木曜日が解禁。世界で一番に販売されるのが日本であることで有名。一番と言っても、実のところ、大きなワイン消費国の中で最初ということだが。
ワインの歴史を学ぶと必ず出てくるのが、19世紀の病害虫のトラブル。ボージョレもフィロキセラの被害にあってアメリカ産のぶどうとの接ぎ木に頼る必要に迫られたのだが、植え替えには重い投資が必要で、それに耐えられる資金力のある産地しか、アメリカ産のぶどうの接木導入はできなかったのである。ボージョレは、それは何とか切り抜けた。
フィロキセラの被害はフランスのワイン生産量を大幅に縮小させた。それでもワインを飲みたかった人たちの不合理な執着心のなせる業で、なんだか怪しげなワインもどきが市場に出回るようになる。
干しぶどうから作る偽のワインのようなものである。 違法行為も横行した。そして1884年8月14日ワインとは「新鮮なブドウを絞った飲み物のこと」であると法律で初めて定義されることになったのである。
だからワインは農産物なのだ。
だからテロワールという言葉が重要になる。
ボージョレーといえばガメイという黒ぶどうで作るフレッシュな赤ワインが有名。 土地は花崗岩。ガメイは花崗岩土壌に適したブドウで、ほっとくとどんどん成長してしまい、安いテーブルワイン向けのワインになってしまう。それをおいしいワインにするために人々が色々な工夫をするわけだ。
まさに人の手によってぶどうから美味しいワインが造られる。それはぶどう作りから始まるのである。
ボージョレの歴史的詩人の一人であるルイ・オリゼのアンソロジー「わがボージョレ」の中には、ボージョレ愛が満ちている。
「ワインはどうして花崗岩質の土地でより繊細な味を獲得するのだろうか。
同じ花崗岩質の土壌でも銘柄酒によって、どうして微妙な差が出るのだろうか。
そこにこそブドウの神秘がある。
秘密は明かさずに置くのが良いだろう」
オリゼで曰く「わがボージョレ」は信仰告白であると。ボージョレワイン愛のの告白であると。
日本人からすると、これが詩か??と思うところだが、フランス人にとっては、立派な詩なのだろう。
それほどまでに、フランス人にとっては、日常生活にも欠かせないのがワインだったのだろう。
今でも、ワインが日常にあるには違いないが、消費量としては、減少傾向。
世界的な環境の変化から、以前のような農薬・肥料に頼る農業から、有機農業や、サスティナブル農業、と言われる農業に変わってきて、これからも、ワインは、進化し続けてくれることを願っている。
私は、一人のワインラバーだが、自分が生産者だったら、と思って、この本を読むと、い立たれない気持ちにもなる。自然のものだけれど、人の手が必要。それが農業。
本の中に一節に、「雑草をなくしてしまうと、ワインの木は根を地下まで張らなくなる」と書かれている。ワインは、根を深く伸ばすほど、地中の水分を一生懸命すって、美味しい実になる。楽をさせると、美味しい実にならない、という、過保護厳禁の作物なのである。雑草と共存させて、たくましく育てたほうがいい。
人も、雑多に、色々な人と交わって育った方が、体も心もたくましくなる。
と、そんな気がする。
本当においしいものは、人を幸せにする。
そして、持続可能でなければならない。
美味しい葡萄を、ワインを作ってくれる生産家さんに感謝して、今日もおいしいワインをいただくことにしよう。