「アジア辺境論」 これが日本の生きる道 by 内田樹 姜尚中

「アジア辺境論」 これが日本の生きる道  内田樹さんと姜尚中の共著。

集英社新書 2017年8月24日

 

内田さんの頭の中を垣間見ることができて、面白かった。

 

トランプ政権誕生後の本。

かつ、コロナ前。

 

内田さんと姜さん、二人が、個人として、想起したアジアの未来についての一つの試案と。「日韓台」の連携はできないものか、とのメッセージ。

 

具体的メッセージの中身は、著書を読んでいただければよいのだけれど。。

個人的に共感する言葉があちこちに、でてきた。書き留めておこうと思う。

 

内田さんが考える、国家の大切な指標2つ。

1.「失敗から立ち直るときの復元力」

アメリカは、この力が強いから、トランプが失敗しようと災害をもたらそうと、その被害を最小にできる力がある。司法、議会、FBI、州政府。共和制が機能しているから、トランプ独裁のようで独裁ではない。

さて、日本は?

自分に立法の権力もあると思っている行政はないだろうか???

国会中に議員の居眠りを報道するTV局は、立法の無力を知らしめて独裁しようとする行政に加担していないか???

という、二人の問いかけ。考えさせられる。

 

2.「未来に向けて広々とした日向的ヴィジョンを提示できる力」

変化に対する感度のよさ、イノベーションの力、変わっていく道筋を示す力。

 

どちらも、言葉にすると、わかりやすい。

復元力、変化対応力。

どちらも、現状維持ではなく、現状打破の変化力が求められているという事と理解した。

うん、うん、そう思う。

ちょうど、先日、友人が口にしていた「現状打破」。

私も、「現状維持」ではなく、「現状打破」のために、頑張ろうと思う。

 

「自由」と「機動性」について、内田さんの言葉も、胸が痛い。

様々な分野でグローバル化が進む中、「機動性」があることを「自由」であることと、はき違えていないだろうか?

「いつでもどこにでも行ける機動力」と、「自由であること」は、違う。

でも、「機動性」があることが過大評価されていないだろうか?という、問。

していると思う。

「グローバル人財」として、出向でも出張でも、いつでもどこでも飛び回れます、という人財は、企業の中で優遇されている。評価されている。

私自身も、グローバルに仕事することで評価されて、ドメスティックに活躍するよりも、自分の価値が高いような気がしていた。

とんだ、勘違い。

私の代わりは、いくらでもいる。

あなたじゃなきゃ、と言われる人は、同じところで何かを継続している人。

あぁ、勘違い。

そして、コロナのせいで、ますます、「今、ここで」が、重要になっている気がする。

今、ここで、立ち止まって、よく考えようと思う。

 

辺境論。

広辞苑によると、

「辺境」: 中央から遠く離れた国境。また、その地。辺界。

 

日本は辺境地だからこそ、外来のものを取り込むのが得意。取り込んで、自国の言葉でアーカイブする。だから、日本語を学ぶと、学べる分野は大きく広がる。

たしかに、タイで仕事をしていた時、タイ人がタイ語で学べる参考書の少なさを知って、日本語のありがたさを感じた。

日本語が母国語でよかった。

 

話は飛ぶが、2021年5月2日の日経新聞朝刊、「春秋」に、沢村貞子さんの「献立日記」の話が出てきて、そこに、「茨木のり子の献立帖」もでていた。

漢字だからこそ、「茨木のり子」の文字が、目に入ってきた。

「隣の国のことばですもの」を読んでいなかったら、ベッドの中でななめ読みしている新聞から、「茨木のり子」の文字が目にはいることもなかっただろう。

韓国と日本。

まったく、関係のない話だけど、韓国を思い起こす言葉が、ここにもあった。

 

点と点がつながるって、楽しい。

辺境と辺境がつながっても、楽しいことが起こるかもしれない。

人と人がつながっても、楽しいことが起きる。

ウイルス感染ではなく、楽しいことを感染させよう!