「自分の壁」 by 養老孟司

「自分の壁」 養老孟司 著

新潮社 新潮新書 2014年6月20日 発行

 

図書館で目に入ったので読んでみた。

バカの壁」は、発売当時に読んで、目からうろこというか、そういう事だったのか、と強く強く共感した。

「自分の壁」も、じんわり、共感する。

読んだ自分の、年齢による感触の差があるかもしれない。

 

養老さんの話は好きだ。

説教臭くないところが好きだ。

虫好きなところは、もっと好きだ。

 

「自分の壁」

メインメッセージは、「自分」なんかにこだわるな。どんな自分かということより、「本物の自信」を自分で育てよ。そのためには、自分がどこまでできるかわからくても、ぶつかり、迷い、挑戦し、失敗を繰り返し、、、、。そして、自分で「自信」という感覚を身につけよ。

 

自分の「胃袋の大きさ」を知る、という表現が面白い。

自分が、どの位の事まで、会社の犠牲、家族の犠牲、わりを食っても自分なりに消化できるか。どこまで飲み込むことができるか。それを知っておくことが大事、ということ。

食べると体にいいといわれても、胃袋がそれに耐えられなければかえって体を壊してしまう。自分の許容量を知る。それは、「自分」が何者かという事にこだわるより、色々、少しずつ経験しながら、身をもって、肌感覚で、自分を知っていけばいい。

そいういうことみたいだ。

確かに、食べず嫌いで経験しないでいると、自分の胃袋の許容量はわからない。

そんなに上手にできなくてもいいから、やってみるって大切。

私は、どちらかというと、怖いもの知らずで色々やってきた方だとは思うけど、それでも、まだまだ、、、50を過ぎても、未経験のことが山ほどある。当たり前だけど。

 

「身の丈」って、試してみないとわからない。でも、やっぱり、身の丈に合わないものって、どこかに無理があって、持続性がなくなる。自分の身の丈に合うかは、やってみないとわからない。

 

やってみる。

行動する。

それでしか人は前に進めない。

だから、今日も私はちょっと冒険する。

自分の胃袋の大きさ、今も、日々、実験調査中。

一生、そうなのかもしれない。

 

また、やってみて、胃袋の大きさには収まるけど、消化できていないことに後から気が付くことがある。収まったっていわないか。人の作り出す理不尽な制度は、やはり消化できない。

差別。

消化できない。

男女の賃金さ、差別じゃなくてなんなんだ?!

差別のある世界からは、逃げるが一番。

まずは、自分の身は自分で守る・・・。

離れてみて、初めて理不尽なほどの差別を受けていたことに気が付くこともある。

離れてみるっていう事も、大切。

中にいると気が付かない、理不尽さ。

それに慣れてしまうって、怖い。

 

自分ってなんなんだろう??

脳科学者のジル・ボルト・テイラーさんが、TEDで語った自分自身が脳梗塞を起こした時の話が面白そうだった。自分と世界の境界線がなくなる感じ。

こんど、TEDで見てみよう。

 

「政治」の話題のなかで、ビッグピクチャーを描けているか?という話がでてきた。知的生産活動はホラの集積。聖書なんて、ホラだらけじゃないか、という養老さん。でも、聖書はものすごいビッグピクチャーだから、みんなが読みたがり、みんなが大切にする考え方の基本になる。

大きな枠を描けないと、近視眼的な政治になってしまう、ということ。かつ、そこで、ビッグピクチャーが描かれたものとして引用されていたのが、内田樹さんの「日本辺境論」。内田さんと養老さんの対談とか、聞いてみたい。

 

自分とか、個性とか、そんなことにこだわるのはよしとけ、というのが養老さんのメッセージのように思う。

養老さん曰く、「主語がなくても会話が成立する日本において、「自我」とか、「自己」とか、「個人」を強調することに無理がある」。ということみたい。

たしかに、そうかもしれない。

 

ノーベル賞は、個人を表彰するもの。イノベーションと呼ばれる程の成果は、個人で成し遂げられることなどあるはずがなく、その背後に大勢の人の協力やら、組織としての支えがあったはず。それを個人を表彰するというのは、きわめて西洋的な考え方。と、養老さんは言う。

”俺の成果だ!”と、声高に言う人に、美徳を感じないというのは、日本の文化かもしれない。

そりゃ、あなたの貢献はあったかもしれないけど、、、お前ひとりの成果じゃないだろう、、、って、どこかで思ってしまう。

 

かつて、私が所属していた会社では、特許申請に記載する人の名前でも、結構なすったもんだあった。一応、報奨金が出るから。でも、なんでお前の名前が載るんだよって、思ったことが一度もないかと言われると、、、たびたびあった。。。。
でも、自分一人の成果とは、決して思わなかった。一人と言われたら、逆に重すぎて背負えないかもしれない。

 

人は社会的動物であるから、当然、社会の中の一員としての自分がいる。一緒にいる人が変われば、自分も変わる。

それでいいじゃないか。

難しいことを考えず、流れに乗ってみる。

流されるのではない。

乗ってみる。

 

意外と、新しい自分に気が付くことがある。

そう、”自分はこんなもの”、っていうマインドセットをなくせ!

 

2021年5月。

今年も、アッという間に5月になっちゃったけど、まだまだ、これから。

今日という日も、あと6時間ある。

やりたいことは、やっておこう。