十把一絡げ の 衝撃

本を読んでいて、

「十把一絡げ」

という、文字が、目に入ってきた。

「お茶はどんなものでもすべて熱湯で入れるべきだと信じ込んでいた。コクのあるてん紅茶でも繊細な玉露でも十把一絡げだ」

という、一節。

『ダリウスは今日も生きづらい』(アディーブ・コラーム著 集英社)の中の一節。

 

原書ではどういう表現だったのか、きになるところだが、

「十把一絡げ」をみて、思い出した。

数年前の衝撃の事件。

我が家では、なぜか、「いっぱ一絡げ」、、、という事になっていた。

ということに、家族そろって、気が付いたのである。

 

十把一絡げ。じっぱひとからげ。

どれもこれもあまり価値のないものとして、多数をひとまとめに扱う事。何もかも一緒くたにして扱う事。

 

そう、意味は、分かっていたのだ。

だけど、

「じっぱ」という発音が、なぜか我が家では、「いっぱ」になっていたのである。

 

それは、40代も半ばにころだったろうか、

「それって、いっぱひとからげじゃない。ひどくない?」

と言った私に、友人がすかさず突っ込んだ。

「いっぱなら、からげなくていいじゃん」

ン??

いっぱ?じっぱ?

 

え?

いっぱひとからげ、じっぱひとからげ、、、

我が家では、いっぱひとからげ、、、って言っている・・・。

 

実家の家族に確認すると、、、やはり、

いっぱひとからげ、、、と、皆そろっていっていた。

いや、ただしくは、父だけが、「あほか」といって、相手にしてくれなかった。

私たちの言い間違いに気が付いていたのに、指摘しなかったのかもしれない。

基本だんまり、が多い父ならやりそうなことだ。。。。、

 

にしても、40も過ぎて、ことわざを言い間違えることの恥ずかしさったら。

仲良しの友達だったから笑えるけど、

もしかしたら、部下の前でも言っていたかもしれない。

偉そうに、部下に能書きたれて、「いっぱひとからげに」とか、いっていたとすると、まったくもって、笑いものである。

 

ま、いいんだけど。

 

なんで、「じゅっぱひとからげ」、じゃなくて、「じっぱひとからげ」なんだろう。

 

日本語の数の数え方って、難しい・・・。