草木国土悉皆成仏 (そうもくこくどしっかいじょうぶつ)
草木や国土(情のないもの)も成仏する、という考え。
一切衆生悉有仏性(インド仏教) からの進化し、日本的霊性へ、具体的には空海(密教)、最澄(顕教)、道元(正法眼蔵の山水経)、親鸞、日蓮等の日本仏教へ・・・
日本仏教のベースには、古神道の日本的霊性が存在する。
(とある方からの受け売り)
草木にも国土にも、というのは、
インド仏教にはなく、中国仏教、日本仏教にある考え方。
日本には、四季があること、そして、自然の中にも神を見出すアミニズム文化があること、そして、草にも国土にも、神様を感じてしまうという事なのだろうか?
日本的霊性の位置づけして、色々なことがあるようだが、次の解説もとある方からの受け売り。
「チベット密教、ラマ教、騎馬民族のシャーマン、東南アジアの神・・・とも底流でつながる森羅万象に神が宿るという霊性(神がかり性)のシャーマン文化の流れ」
シャーマン。
卑弥呼だって、シャーマンだった。
恐山のイタコだって、そのようなもの???(ちょっとこれはわからない)
テレビでも随分とスピリチュアルとか霊能者みたいな人が人気になったりする。
日本人は、霊的なものが好きなのだろうか??
そう、最近、「シャーマン」という言葉に複数出合う。
通訳者もシャーマン的。
日本のシャーマン文化。
シャーマンは、いわゆる釈徹宗さんのいうところの
「制度化・体系化されていないもの」としての宗教の一つともいえる。
宗教なのか、宗教でないのかは、信じる本人にとってはどうでもよいことであり、
個人的に言えば、私は自然崇拝だけど、草木国土に情があるというよりは、自然現象に対して、いわゆる「ブツ」としての自然ではなく、自然がもたらす現象、「風」とか「雨」とかに対して、敬意?でもない恐れ?でもない、でもどうにもかなわないものである、という思いでいる。台風や地震もそうかもしれない。
別に、自然に対して霊があるとかいうことを信じている訳ではない。
霊そのものを信じているわけでもないけど。
かといって、時々死んだ祖母やら、友人の姿が見えるような気がしたり、声が聞こえたりするような気がするのは、単に思い出しているからなだけだけど、あぁ、いま、呼ばれたなぁ、と思う事もある。
いずれにしても、草木、国土からは話しかけられたことはない。
ベランダの草花に、話しかけることはあるけど、それは霊的なものを見ているわけではなく、単に、、、いとおしいから。
やっぱり、
草木国土に情があると考えるのは、そんなに特別なことなのだろうか?
トトロの森とかいったら、情を感じそうな気もする。
自然に抱かれて、幸せホルモンがでそうだ。
たんに、自然が好きっていうだけのことか。
と、唐突に「草木国土悉皆成仏」という言葉について書いたのだが、今週の禅の一言だった。
でも、その教えが何だったのか、すっかり忘れている。(理解できていない)。
人も、草木も、似たようなもの、ってことか?
人間なんて、たいしたもんじゃない、ってことか?
坐禅をしていても雑念だらけの私は、確かに、たいしたもんじゃない。
たいしたもんになろうなんて思わない。
でも、ただ、座ることで、頭がさえることがある。
Eureka!
があると、いいんだけどね。
理解できていない自分も許そう。
自然は、霊的でもなんでもいいけど、大事にしよう。
司馬遼太郎さんも、「今の自然を未来の日本に残せれば、日本は救われるかもしれない」と、おっしゃっていた。
*「語り継ぐこの国のかたち」 半藤一利
自分も自然の一部。
養老孟司さんは、「環境と自分の境目はない」とおっしゃっている。
「田んぼをみて、自分の体はこの田んぼからできていると感じたことあるか?」と。
草木国土悉皆成仏。
教えは何だったか忘れたけれど、自然を大事にできる日本にしたいと思う。