「語り継ぐこの国のかたち」 半藤一利

「語り継ぐこの国のかたち」 半藤一利 大和書房

2018年10月30日 第一刷発行

 

2021年1月12日に亡くなってしまったことが残念。

1930年5月21日のお生まれなので、それは、大往生ともいえるのだろうが、やはり、師として仰ぎたくなる方がなくなってしまうのはさみしい。

 

私は、これまで、ちゃんと半藤さんの本を読んだことがなかった。「日本のいちばん長い日」を映画で見たくらいだった。日本の昭和史に関する知識のすごい人、というぼんやりした知識しかもっていなかった。

 

今回読んだ、「語り継ぐこの国のかたち」は、図書館で目に入った。

背表紙に呼ばれた。

本が私を見つけてくれた感じ。

 

初めて、半藤さんの経歴をちゃんと知った。

週刊文春「文藝春秋」の編集長だったのですね。。。

書籍として、半藤さんの本を読んだのは初めてだったのだが、とても読みやすい。文字の大きさとか、文全体飲みやすさとかもあるのかもしれないけれど、主語と述語がちゃんとしているということなのか、とにかく、読みやすい。

これが、編集長がなせる業なのか?

と、ちょっと、内容とは別のところでまず、感動した。

 

本書の中には、司馬遼太郎とのお話もでてくる。

半藤さんと司馬さんの関係でいえば、司馬遼太郎1923年生まれ、半藤一利1930年生まれだから、司馬さんが年上。半藤さんが若い編集者、という関係性。

ノモンハンの夏」は、結局、半藤さんが書かれたわけだが、司馬さんが取材をし尽くした挙句に書かなかった理由を、半藤さんなりの想像で述べられている。なかなか興味深い話だった。司馬さんの書きたい主人公像では、書けない理由があった。本部と現地の人間の立場の違い、戦争そのものへの解釈の違い、色々あったのだろう。

 

余談だが、司馬遼太郎の本は、あまり海外の言葉に翻訳されていないということが、内田樹さんの「日本辺境論」の中で述べられている。日本人のための、日本人の心、、、的なものは海外の人は興味を持たないという事かもしれない。司馬さんの書く主人公は、サムライの精神の英雄が多い気がする。

 

半藤さんのメッセージを覚書

 

・「難局に対処するための処方箋は、ほかのところにはなく、歴史の中にある、とわたくしはあらためておもっているのです。」

 

私自身は、若いときにあまり歴史を学んでこなかったという思いから、いま、新鮮な気持ちで歴史に関する本を読むことが多くなった。敗戦とか、戦後、と言われてもピンとこない、戦争を知らない世代でもある。だから、日本の戦争責任と言われても、あまり理解しようとしてこなかったけれど、これからでも少しずつ、歴史の理解を深めていきたいと思う。

「歴史は、そうなった事実より、なぜそうなったかの経緯を理解することの方が重要」と、誰の言葉だか忘れたけれど、本当に、そう感じるようになったから。

 

・「ジャーナリズムの根源。人の誹謗中傷は載せない。人に対して面と向かって言えないことはを言論の自由の美名の下に書いてはいけないのだ。」

 

ジャーナリズムの根源。面と向かって言えないことを、書いてはいけない。

本当に本当に、そう思う。

昨今のSNSでみかける(といわれている)、誹謗中傷。私は、これをインターネット上の暗殺だといって言る。かつては、暗殺が実際に行われ、暗殺したほうは正義と思ってやる。法的には殺人者として罰せられる。ちゃんと、落とし前をつけられる。

一方で、インターネット上の誹謗中傷は、かくれ暗殺だ。自分の正義をふりかざし、相手を傷つける。なのに、匿名性があって法的に罰せられないのはおかしい。

個人的には、人の誹謗中傷を書く行為に走った人、そういう人を作り出している社会そのものにも問題があると思う。いじめも然り。人のことをとやかく言う前に自分の人生を一生懸命生きよう。

 

・「サムライの精神を忘れない。愚痴っぽい人間、怯惰な人間、狡猾な人間、裏切る人間、なってはいけない。そんな人間を好きな人は誰もいないが、憂き世というのはわかっていても、そうなりやすいところがある。そういう人間をそばに寄せ付けないには、それだけの強さを常に堅持していなくてはいけない。」

 

人間、だれもが四六時中、聖人君子でいられないこともある。だけど、できるだけ、よき社会人でありたいと思う。

そう、それに必要なのは、強さなのだ。

 

強いという事は、やわらかいという事。

やわらかくいるためには、たくさん、たたかれて、もまれて、時間がかかるということ。

そこに、生産性なんて求めない。

 

ゆっくり、色々学んでいこう。

半藤さんの本、まだまだ、色々読んでみたい。

読みたい本がたくさんある幸せ。