翻訳・通訳では伝わらない、日本語の不思議

日本語を母国語にしていると、当たり前のようにひらがな、カタカナ、漢字を使っている。

でも、それって、表音文字の国の人には、理解不能な世界を作ってしまう事もある。

そして、日本語を使っている人にとっては、

文字で、言葉以上のことを表現することができるという、すごい技を日常的に使っている。

 

 

尊敬語、謙譲語も、英語にするのは難しい。

 

文字の違いを考えてみた。

「車」、「くるま」、「クルマ」。

さて、どんな概念が頭に浮かんでくるか。。

それは、人によってさまざまだと思うけど、

「くるま」と、ひらがなで書くと、ちょっとかわいらしい感じにならないか?

高級国産者、レクサスをみたら、「くるま」じゃなくて、「車」だろう。

 

先日、とある資料の校正をしていて、

「苺」、「いちご」、「イチゴ」と、バラバラにでてきて、

作成した本人に確認すると、パソコンでそう変換されたから、、、ということで、

深い意図はなかった。

でも、それぞれ、ちょっとニュアンスがちがう。

「苺」は、丸ごと粒のまま食べないといけないような気がする。

「苺ジャム」、「いちごジャム」、「イチゴジャム」。

スーパーに売っているのは、「イチゴジャム」。。。

イチゴの原型がとどめないほど、ドロドロになったジャム。

一方で、「苺ジャム」というと、苺農家の手作りで、苺がゴロゴロしている。

単なる、個人的、主観である。

そんなことを考えて、文字化している人はいないと思うけど。

 

ひらがなは、曲線が多いからやさしく感じるような気がする。

まる。丸。マル。

ひらがなで書いた方が、まるまるしている。

なんたって、文字の形状の中に〇があるんだから。

タイ文字も、〇がいっぱいついている。

あんまり、攻撃的な感じがしない。

 

そうか、ひらがなで書くと、攻撃的な感じがしないんだ。

 

原語としての日本語を翻訳をしていると、ひらがならしさとか、漢字らしさとか、カタカナらしさ、、、、というか、その文字のニュアンスは、すっかり無視されてしまう。

通訳の時の、「方言をどう訳すか」という問題と一緒だ。

 

「まちづくり」と、「街づくり」、「街創り」、「街作り」。

日本人なら、なんとなく、ちょっと違うニュアンスがわからなくもない。

「創る」と「作る」、では、違う意味を表現できるのは、漢字のおかげ。

 

town planning,

urban development,

community development

どう対応させるのが一番なのか、センスが問われる。

 

そうなのだ、漢字の使い方もある。

「人材育成」と「人財育成」。

ひとは、財産だ!とかいって、「人財育成」とか掲げているグローバル企業(のつもりの日本企業)は、少なくないと思うけど、英訳してしまえば、

Human resources

一緒。

問題は、中身だ。

漢字にこだわるのは、日本人の特性かもしれない。

見た目にこだわる。

それは、学歴、肩書にこだわる、、、にもつながっていないだろうか?

ちょっと、深いな。

また、別の機会に考えよう。

 

日本語の不思議と言えば、「お」を頭につける習慣も、なぞだ。

「お茶にする?」とよくいうけど、「茶にする?」とはいわない。

あまり、やたらと「お」を付けるのは好きではないけど、

「お肉」、「お魚」は、「お茶」と同じくらい普通に口にする。

「お水」もそうかも。

 

「お水頂戴」とはいうけど、「花にお水やって」とはいわないから、

「お水」と言ったときには、飲む水のことか?

 

果物も、「おりんご」「おみかん」という人はいるけど、「おいちご」ってあまり聞かない。「おばなな」とか、、、。なんでだろう?

 

「お豆腐」、「豆腐」。どちらも違和感なし。

 

「お酒」、「酒」。「酒」のほうがよっぱらいそうだ。

 

「お金」、「金」。「金」のほうが出ていくもので、「お金」が入ってくるもって感じ。ありがたいものだから、「お」を付ける???

 

「お月様」、「月」。 満月だと、「お月様」

そういえば、「月」には、「お」が付くと、「様」もセットでついてくるね。

「月様」とはあまり言わない・・・。

 

「お菓子」、「菓子」。なぜか「菓子」のほうがちょっと高級っぽい。「お菓子」というと、「遠足のお菓子は300円まで」と、駄菓子が連想される。

 

まぁ、厳格に何かのルールがあるというよりは、日常的に耳にする音、口にする音で、無意識に脳が処理しているのだと思う。

母国語ならではの言語処理能力。

 

通訳は、日本語のそのニュアンスを瞬時に脳内処理して、第二言語に変換しなくてはいけない。日本語の概念化の速度と、第二言語への変換速度。そして、第二言語を発話する速度。

 

養老先生曰く、すべてのアウトプットは運動である。

そう、口を動かして、発話しないことには伝わらない。

 

言葉のシャワーを浴びる。

それしか、言語能力をあげる手立てはない。

そして、音読する。

それしか、発話の筋肉を鍛える手立てはない。

 

通訳には、

apple」ときたときに、「リンゴ」と「おりんご」をその場に応じた日本語で発話する瞬発力が必要。

そうそう、米原万里さんもいっていた。

「urine」と病院での通訳ででてきても、「おしょうすい」とでてこなければ、「おしっこ」でも、「しょんべん」でも、「水溶性体外排泄物」でもいいって。

 

言葉のシャワーを浴びよう。

言葉の概念化の速度をあげよう。

そうすると、思考の速度も上がる気がする。

思考の速度が上がると、行動力も上がる気がする。

気のせいではないことを、自分で実験してみよう。

 

言葉のシャワーを浴びよう。