「石の花」 by 坂口尚

「石の花」 by 坂口尚
(1)侵攻編
(2)抵抗偏
(3)内乱偏
(4)激戦偏
(5)解放編
講談社漫画文庫
1996年第1刷発行
「月刊コミックトム」潮社出版 1983~1986年の連載

 

坂口尚(HISASHI SAKAGUCHI)
1946年生まれ。
1963年 虫プロ入社
アニメ「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」で動画 原画 演出などを担当。

 

という方。
知りませんでした。


米原万里さんが、多民族国家の歴史を理解するのに大変参考になる、といっていた本。なんでも、彼女は、感動のあまり、本書を20セット購入して友人に配り、その友人がまたあちこちに配る、、、ついには、某政治家が天皇に紹介したという。そして、天皇もまた、本書を取り寄せて購読したという。

 

感想。


読んでよかった。
とても、中身の濃いマンガだった。
マインドマップならぬ、登場人物マップを書きながら読んだ。

ただ、、、マンガの文庫本って、文字が小さいのよね。

若干、老眼にはつらい・・・。

 

以下、ネタばれあり。

 

第二次世界大戦ユーゴスラビアを舞台にした物語。主人公は、スロベニアに住む少年クリロ。(1)から(5)まで、戦争勃発から終戦までの物語。
学校に通う普通の男の子「クリロ」が、学校の遠足の帰りにドイツの攻撃にあい、先生や友人、両親とも離れ離れになり、戦いに身を投じていく。殺さなければ自分が殺される。そんな究極の中、目の前で人が死んでいく、怒りにまかせてひいた引き金。初めての人殺し。。。


平和とは何なのか。
自由とは何なのか。


たくさんの問いをなげかけてくる。


強制収容所も史実。内戦も史実。
あの戦争から、人は何を得たのだろうか。。。


今日の平和ボケしたような日本だけど、平和のありがたさを感じずにはいられない。

 

クリロの、、、平和とは何なのか?という問いは、坂口さん自身が抱えた問いだったのだろう。その答えは、(5)解放編で、主人公の兄、ユーゴとドイツの二重スパイをして結局は組織に殺されるイヴァンと、イヴァンの学友でありナチスの親衛隊マイスナー中佐との会話中で語られる。でも、答えではないかもしれない。

 

二重スパイがばれて組織に処刑される身となったイヴァンが、最後にマイスナー中佐に会う。旧友イヴァンに、「君たち(ナチス)のやり方は、間違っている」と言われたマイスナー中佐のセリフ


「生まれた時そなわっていた、自由な心を、不安と混乱の世の中で持ち続けるというのは厄介なものだ。
絶え間なく突きつけられる問に、何が善で、何が悪かを、自由な心で、自ら選ばなければならないということは、重荷だ。
しかも、生まれた時から何色にも染まっていなかった自由な心は、次々にある条件という衣を着せられて行くんだから。


世の中はますます複雑になっているし、いくつもの思想(イデオロギー)の道ができ、いくつもの宗教の花が咲き、いくつもの神が手招きをする。
その一つ一つを自由な心で選ぶというのはとてつもないエネルギーがいる。


そんな自由は、いっそ誰かに預けてしまった方が楽なのだ。
ある国家に。
ある宗教に。
ある伝統に。
ある慣習に。


自ら問い、自ら悩み、自ら選ぶ自由より、ある権力に従ってしまった方が楽なのだ。


やがて、どこまでが他人の不正で、どこからが自分の不正なのかも分からなくなる。
その方が自分を責めずに済むし、心安らかに暮らせるじゃないか。
人はパンのみでも生きられてしまうものなのだ。
またパンを与えてくれるものが正義と思わなければ、生きていけない。


例え反抗を試みても、この複雑で迷路だらけの世の中を相手じゃ、自らの非力を思い知らされるだけだ。
どうにか仲間らしき人間が集まっている場所を見つけ駆け寄ると、やはり不消化の塊を抱えている人たちばかりだ。


なじったところで、その人間達と自分は本来少しも違いはしないのだから、鏡の中の自分を責めていることになってしまう。


やがて疲れ、諦め、人間は群れから離れるよりも、群れの中に自分を消す方が安心できると気づく。人間は自由より何かの奴隷でいることの方がどんなにホッとするかもしれないのだ 。」

 

今の時代も、人々の思考、行動は同じかもしれない。

 

(5)解放編の後半半分は、全てのセリフを書きだしておきたいくらい、示唆に富む。

 

真の平和とは何なのか。

人は、公平に、客観的に判断することなどできないのか。

神でもない人間が、勝手に物差しをつくっているのは民主主義にもある。

そう、今の時代も、人が勝手に作ったルールで、人が勝手に人を裁く。

 

(5)最後の第24話。「まなざし」というタイトルで締めくくられる。

 

タイトルの「石の花」は、クリロが学校の遠足でいったボストイナの鍾乳洞で、お花のように連なる鍾乳洞を見て「お花みたい!」という子供たちの言葉に、フンベル・バルティック先生が語った言葉。

「石の花。花に見ているのは、ぼくたちのまなざしなんだな」

 

世の中は、自分がどう見るかできまる。

私たちのまなざしが、世界をつくる。

 

未来の世界は、100年前も、今も、今の私たちのまなざしが創るしかない。

 

今、自分のまなざしは、何をどう見ているのか。

時々、立ち止まって見つめてみるのも悪くない。

コロナが、そんな時間をくれたのではないだろうか。

 

立ち止まって、考えよう。

あぁ、ヤマザキマリさんの本のタイトルにつながった。

そうだ、立ちどまって考えよう、なのだ。