「ドイツの学校にはなぜ『部活』がないのか」 by 高松平蔵

「ドイツの学校にはなぜ部活がないのか」
非体育会系スポーツが生み出す文化コミュニティそして豊かな時間
高松平蔵 著
2020年11月30日初版第1刷発行
株式会社晃洋書房


六本木アカデミア読むべき本の一冊出てきたので借りてみた。

 

なかなか面白い。

スポーツとか学校教育の本なのかと思ったら、社会やコミュニティをどういう風に作っているのがドイツなのかという話。

日本との比較で語られているのでわかりやすい。


著者は、ドイツ在住ジャーナリスト、高松平蔵さん。バイエルン州 エアランゲン市 在住とのこと。


「部活」や「マンガ」は、日本の文化と言われるけれど、「部活」については当たり前の学校の活動と思っていたので、「部活」がないドイツの学校の話は新鮮だった。

そして、ちょっとうらやましく思った。

「部活」の代わりに、地域には必ずNPOのスポーツクラブがあって、そこには子供から大人まで、みんなが集うことができる。それぞれのライフスタイルに合わせて、スポーツを楽しむ。スポーツを通じてコミュニティが形成されるのが当たり前の社会。

 

日本では多くの場合、学校を卒業してしまうと、スポーツをするのは会社という組織での実業団だったり、個人で商業的スポーツ施設にお金を払っていく、というタイプではないだろうか。


本書では、スポーツを中心にした都市の在り方がメインだけれど、ドイツではスポーツだけでなく芸術も、都市の在り方に重要な役割をはたしているということもわかる。


メルケルさんの2020年コロナ禍の国民に対する演説で、「芸術支援は最優先事項」と語った背景がわかる。

 

ドイツの学校というのは午前中で終わるらしい。
そして、部活ではなく地域のスポーツクラブでスポーツをするというのが一般的。
スポーツクラブというのは簡単に言うと NPO 非営利組織に相当する組織運営で、競技も様々選択肢があり、また年齢も子供から大人までが一緒にやっている。

地域地方分権型で外国系市民が多いドイツだからそういった形が成り立っているということらしい。


そういうスポーツとのふれあい方をしているドイツにしてみると、日本の中学高校で、受験を前に「部活引退」というのはわけがわからない、ということらしい。
「引退」って、確かに若者が使う言葉じゃない。
「部活を引退」して、「受験戦争」へ。なんか、、、、まったくワクワクしない。。。。

 

ドイツのスポーツクラブは社会の交流の場として機能している。
それはドイツの都市計画にも関係しているのである 。


ドイツではただ「赤の他人」がたくさん集まっているだけでは都市ではないという考え方がある。

移民、難民も多いドイツでは、「赤の他人」が一緒のコミュニティを形成できるというのは社会の安定にとって重要な要素なのである。
だから交流の場として NPO がスポーツを含めいろいろなアート、劇場、社交機能にも力を入れているということ 。


日本は生まれた時から血縁地縁でつながっているという組織 → 絆 で結ばれている
ドイツは赤の他人の集まりを前提にした都市的な組織 → 連帯 で結ばれている


「絆」と「連帯」の違い。


絆というと、聞こえはいいが、やもすると他者の排除になりかねない。

紙一重なところがあるのは、日本人ならなんとなくわかるのではないだろうか。
同窓生の絆。会社の絆。
そこには、それ以外の人が入る余地がない。。。。

 

日本のスポーツは、高度経済成長期の「がんばれば成功する」神話によって、「勝つこと」至上主義になっているのではないか。だから、先輩と後輩の序列が生まれ、いじめ、あるいはコーチや監督による体罰すら起こりえる。


ドイツでは、スポーツは余暇であり、気晴らしなので、そのような過度な指導もどきは起こりにくい。

 

ドイツでは柔道にしてもスポーツ以上のものという紹介がなされることが多く、親にとって倫理的な規律に魅力を感じるらしい。

実際、ドイツ柔道連盟は「礼儀」「謙虚」「親切」「尊重」「勇気」「自制」などの10の柔道の価値というものを定めており、教育的なスポーツとしてきちんと位置付けられている。


強くなる、試合に勝つ、ということ偏重の日本柔道とはちょっと違う要素。

もちろん、日本の柔道にも、「道」とつくからには、守破離を大切にする倫理的なところもあると思うが。

 

そうそう、面白い事例が。

例えば柔道の指導の道場内の場面。みんなが集まって、指導者の話を聞く場面。

指導者の一人が前に立つとする。

日本は、その前に、ずらりと数列で並ぶ。前列と後列では序列が発生する。

ドイツは、指導者をL字で囲むように並ぶ。序列の発生しようがない。

なるほど、なるほど、、、。

 

なるほど。


ドイツでは、スポーツを通じて一人一人の社会的能力の向上が達成されている。

スポーツクラブは、デモクラシー教育の場所。スポーツクラブの組織原則の一つはデモクラシーということ。


社会的能力というのは、
1 自己認識と外部認識
2 コミュニケーションスキル
3 「異なる視点から見る能力」と「共感する能力」
4 「摩擦」と「批判」の能力
5 チームワーク

著者曰く、コーチや先輩に絶対服従の日本の部活では、4「摩擦」と「批判」の能力は育たない。

 

結局、ドイツのスポーツや芸術の在り方というのは、「自己決定する私」になるためのインプット(自己決定ができるようになるために必要なこと)、アウトプット(自己決定でおこなうこと)、リレーション(他の「個人」との関係の原理)を育む場になっており、教養を育てる場となっている。


なんか、素晴らしいなぁ、と思った。

 

別にスポーツを通じてでなければできないわけではないけれど、やはり、子供の時から、「自己決定する私」を育める場があるのは素晴らしい。

 

そう。

自分の頭で考える。

それが大事。

 

面白い本でした。