「たちどまって考える」
ヤマザキマリ 著
2020年9月10日初版
コロナで立ち止まらざるを得なかった、ヤマザキさんの2020年の著書。
なかなか面白い。
共感。
まさに、文字通り、自宅のあるイタリアへ帰れず、日本に足止めされているヤマザキさんが、たちどまって考えたことがつづられている。
新書だけど、なかなかの読み応えのある一冊。
やはり、旅をして、想像力を養う事は人生にとって重要なことなのである!
と、強く共感。
日本とイタリアを比較して表現してあったり、具体的なことと抽象的なこととがうまく混ざり合って表現してあったり、本当に、モノを書くのがうまい方だな、と思う。
具体的な事例を示しつつ、抽象的な話のまとめにもっていく。
頭いいなぁ、と思う。
彼女のたくましさというのか、生きる生命力が好きだ。
2020年3月に開催された、ヤマザキさんが司会進行を務められた、六本木アートカレッジのwebiner(有料)に参加したことがある。
「文化と経済を考える」というようなタイトルだったか??
その時に彼女言っていたのが、
「民主主義とは参加すること」
すごく、頭に残った言葉だった。
本書にも、その言葉が出てきた。
「民主主義とは参加すること」
国民が政治についてきちんと批判したり、意見できないというのでは民主主義は成り立たない、と。
本書の中で、外国人でありながら日本の教育現場に携わっているウスビ・サコさんのインタビューを引用し、日本の民主主義の問題を指摘している。
”(ウサビ・サコさんは)『日本人は指示を待っている』という指摘をしている。確かに日本の人は自らが政治を知ろうと思うよりも、政治家が何か言ってくれるのを待っているところがある。しかし、その待ちの姿勢では民主主義は成立しません。民主主義というのは社会の全員が政治に参加するもので、そのため一人ひとりには政治の構造への理解も求められます”
と。
イタリアのベルルスコーニ元首相の時代、国民もメデイアも、彼のことを完全に「悪党」と認識していた。けれど、国民がベルルスコーニをきちんと批判できる、意見を言える環境があったから、イタリアの民主主義は機能していた。と。
それに比べて、日本では、「専門家でもないのに意見するな」といった空気がある。
専門家ではない人が意見して何が悪い?素人だから普通に持つ疑問を口にして、何が悪い?
同様なことを、内田樹さんもおっしゃっている。
ふと、ヤマザキマリさんの内田樹さんの共通点を見たような気がした。
専門ではなくても、ちゃんと自分の意見を発信する。
素人ですけど、それが何か?
という、姿勢が好きだ。
私は、そういう人に共感しがちだ。
発言内容に必ずしも同意できなくても、きちんと意見を発信してくれる人がいい。
そうでないと、建設的対話は成立しない。
専門家がいつも正しいことをいっているなんてことはない。
だれもが意見できる社会のほうがいい。
そして、船頭は一人でいい・・・。
正しく選ばれた船頭が一人いればいい。
選んだ船頭が、「悪党」だったら、また選びなおせばいい・・・。
本書の中には、たちどまっているあいだにできることもたくさんある、というメッセージもある。
古い映画や本も、この機会にじっくり観なおし、読み直しができる。
本書の中でも、いくつかの映画や本が紹介されている。
名作の観なおしもいいかもしれない。
個人的には、また、「テルマエロマエ」を観たくなった。
これも、一つの名作!
本なら、安部公房。
政府のコロナ対策に愚痴っている暇があったら、本を読もう!
安部公房は、まだ読んでない本がたくさんある。
読みたい本リストがまた増えた。
できた時間を何に使うかは、自分で考える。
そうそう、たちどまったときこそ、考える時間ができるのだから、
自分の頭で考えよう。
たちどまる時間があるということは、結構重要だ。
仕事に忙しく、たちどまる暇なく働いていると、時々大切なことを忘れていることがある。
たちどまって、考えよう。
それには、旅が一番なんだけどね。
ま、今は、妄想のなかで旅をしよう。
あるいは、近所でも、いつもと違う道を通ってみよう。
今日は、梅雨の合間の久しぶりの晴れ。
ちょっと、散歩を楽しもう。
プチ旅気分。
そして、ちょっと、考えてみよう。