新聞の記事で、無線・文通といったアナログなコミュニケーション手段が息を吹き返している、という内容がでていた。
文通とはまた、懐かしい言葉。
ペンフレンドって言葉、今の子たちは知らないのではないだろうか?
直筆の文章を、やり取りする。
文字に、その人の個性もでていて、楽しい。
そして、貼る切手も、定番のものから、季節のものから、自分で選んで貼るわけで、その人の個性が出る。
ふと、思った。
最後に、切手を買ったのはいつだろう・・・。
私は、比較的筆まめだった。
小学生のころ、遠方へ暮らす祖母へ、手紙を書いていた。
最初は、一人暮らしをしていた父方の祖母へ。
子供ながらに、一人ではさみしいとおもったのか?
ただ、自分がなぜ書きたかったのかとか、何を書いていたのかは覚えていない。
手紙を書くのは、一つの習慣だった。
その祖母が入院してしまったからか、いつの間にか、母方の祖母へも書くようになっていた。
祖母は、よく返事をくれた。
母方の祖母は、私がバンコクに赴任していた5年間には、エアメールもくれた。
封筒と便箋が一体型になっている、薄いブルーのエアメール専用封筒で。
ちゃんと、横文字で宛名を書いてくれて。
大正生まれの祖母は、達筆過ぎて、時々なにが書いてあるのか読めないこともあったけど。
「めぐちゃん、いつもありがとう」の書き出しはいつも同じ。
懐かしい。
私は、バンコクから、タイの国中のいろいろな絵葉書を送っていた。
美し風景や、寺院、食べ物、色々。
祖母は「タイに行ったことがある気持ちになるよ」と言っていた。
時々、俳句が添えられていたりして。。。
その祖母も、今は天国。
捨てるに捨てられない、祖母からの手紙の束。。。
その昔、私の手帳には、切手と絆創膏が常備されいた。
いつのまに、切手を持ち歩かなくなったのだろう・・・。
切手は、もちろん、いつでも手紙が出せるように。
絆創膏は、、、もちろん、ケガをした時のためでもあるけど、いざとなったらセロテープの代わりにもなる、優れモノなのだ。
絆創膏は、今も入れている。
旅に出ると、旅先から自分宛ての手紙もよく書いた。
どこへ旅をしたかの記録になると思って書いていた。
ほとんど一人旅なので、写真をとることもないから、
地元の絵葉書を自分宛てに送ることで、思い出にしていた。
海外旅行でも、必ずポストカードを家族宛てと自分宛てに書いていた。
一人旅の最中に手紙を書くということが結構好きだった。
E-mailなんてない時代。
誰かとつながっていると思えること、帰る場所があるという事が、一人で旅をしていても安心材料になっていた気がする。
海外からだと、私の方が先に帰国することもしばしば。
時には、忘れたころに、1か月くらいしてカードが届くこともあった。
各国の郵便局に立ち寄って、スタンプを買って、ポストに入れる。
それが好きだった。
スタンプも各国色々あって楽しい。
5年くらい前、アメリカのセドナに行ったとき、郵便局で買ったスタンプは、
”MERRY CHRISTMAS” のかわいいサンタの絵が描かれていた。
酷暑の8月だったというのに、、、。
一瞬、迷った気配をさせつつ、「これでもスタンプとして使えるから文句ないでしょ」ってな感じで売ってくれた窓口のおばちゃん。
そういう、のんびりさもいい。
手紙を書いて、封筒に入れて、切手を貼ってポストに入れる。
何年やってないだろうか・・・。
返信ハガキや、年賀状をだすとしても、切手は貼らない。
いやはや、本当に何年切手を貼っていないだろう。
昔はなんでも郵便局で送っていたけれど、小包だって今は宅急便。
記念切手が出ると、いそいそと郵便局に買いに行ったものだけど。
切手収集の趣味っていうのもあった。
そうだ!
小学生のころ、切手、集めていた。
だから、祖母たちは、色々変わった切手を貼って、手紙を送ってくれた。
懐かしい。
切手のところだけ封筒から切り取って、そっと水につけておく。
水分で切手の糊がはがれて、封筒から離れた切手だけを取り出し、水分を取ってそっと乾かす。。
押し花のように、そっと上から抑えるように水分をとっておくと、新品のようにパリッとした切手にもどる。
でも、消印が付いている。
懐かしい・・・。
最近では、切手の裏が最初からシールのようになっているものもある。
キティちゃんやら、アニメのキャラやら、商業チックな切手まである。
いや、今や、水でぬらして貼る切手は存在してるのだろうか?
なめると美味しくないから、指に水をつけて、ちょんちょん、って。
なんか、手紙が出したくなった。
旅に出たい。
旅、欠乏症だ。。。。
コロナが収まったら、旅に出よう。
そして、手紙を書こう。