今朝教えいていただいた、禅の言葉。
徳山の棒、臨済の喝 (とくやまのぼう、りんざいのかつ)「伝灯録」
ダイバーシティと禅、という事で取り上げられた言葉。
坐禅はひたすら座る。
禅の基本は「不立文字」であり言葉は使わないけれど、教えとしての言葉はある。
修行者を鍛えるために、徳山和尚(唐の時代の禅僧)はよく痛棒を加えた。
臨済禅師はよく、「かーーーーっ!」と大喝を与えた。
言葉を使わないので、棒や喝をつかった。
禅宗の修行のきびしさのたとえとしての言葉。
ただそれは、坐禅の一面に過ぎない。というのが、今日の言葉の伝えたかったこと。
内と外も一つ。
動も静も一つ。
仏教は、5世紀に日本に入ってきているが、それより前から、
たおやめぶり (新古今和歌集): 静の側面
という言葉が日本にはあった。
大和心には、性差ではなく、どちらもある、ということ。
日本人の心には、元来、男が優れているとか、女が優れているとか、そんなものはなかった。どちらも、ただ、男であり、女であり、あるいは、どちらでもない人がいる。それだけのこと。
男性とか、女性とかいう事でもなく、生活の全体をとらえるもの。
それが、禅。
先日、「日本のこころの源流」の一つとして、「女性活躍」という話題で勉強会があった。
平等とは何か?
ダイバーシティーとは何か?
日本の世界におけるジェンダー・ギャップ指数ランキングは、120位。韓国や中国より低い。
*参考: 「共同参画」2021年5月号 | 内閣府男女共同参画局
政治分野における女性議員や女性内閣閣僚の数字、企業における管理職の数字が、著しく低い。
昨今、女性活躍がうたわれて、増えてきてはいるものの、他国のここ10年での女性活躍の伸び率に比べると、ほぼ、横ばいと言っていいほど増えていない。
管理職になりたくないという女性の声も聞く。
なぜか?
ロールモデルが、超長時間労働の日本人の男性管理職だからだろう。
男性と同じように働きたくないのに、男女平等だと言って同じ働き方を強いられるのはいやだ、という女性の声がある。
平等とは、そういう事ではない。
機会が等しくあるのが、平等の基本ではないだろうか?
私は、サラリーマンとして15年くらい、管理職をやってきた。
課長をやって、部長をやって、部下も持って、それなりに楽しくやってきた。
でも、女性だろうが男性だろうか、誰かをロールモデルにしたことはない。
なぜか?
モデルにしたいと思う人がいなかったというと語弊があるが、自分が目指すものは誰かのコピーではなく、自分のなりたい姿でしかなかったから。
実際には、私が入社した1990年代では、女性の管理職は、100人に一人もいなかったと思う。私自身、入社したころは、管理職になるなんて、考えていなかった。
女性としてのロールモデルは、皆無だった。
でも、入社12年目で、初めて海外赴任した時に、目覚めた。
マネジメントするという事の楽しさに目覚めたのだ。
当時、ほぼ、前例のない、独身30代、一般職の女性の海外赴任だった。
ロールモデルはいなかったけれど、指導者には恵まれた。
だから、楽しかった。
でも、ロールモデルがあると、目指しやすいのは確かだ。
今の、40代、50代、管理職として活躍する女性を見て、20代、30代の女性がそうなりたいと思うような生き方をしている人がいれば、女性でも管理職を目指す人が増えるのではないだろうか。
女性に限らない。
男性でもそうだ。
女性から見ても、あぁなりたい、と思える人が増えること。
それが、好循環には必要だ。
数字合わせのために、ただ女性を登用すればいいという事ではない。
ただ、男性と肩を並べるということでない。
男性だって、こういっちゃなんだが、ピンキリだ。
誰かを目指す必要なんてない。
自分の能力を、自分として職場で発揮する。
自分なりの管理職としての働き方を、探せばいい。
それが、責任をはたすということである。
会社ごとに、職務期待値があるはず。
それは、管理職であれば、努力とか姿勢とかではなく、結果を残すこと。
そのための働き方は、自分で工夫すればいい。
どうしたら、自分が貢献できるのか。
組織を通じて、社会に貢献するという事は、一人ではできないことができる楽しみがある。
怖がらずに、やってみればいい。
こういっちゃなんだが、最初から素晴らしい管理職の人なんて、それこそ100人に一人だろう。みんな、やりながら成長する。
自分の成長と、組織の成長がリンクしてこその楽しさ。
それを楽しむ機会は、男性にも女性にも、どちらでもない人にも、平等にあるべきだと思う。
社会への貢献の仕方は、人それぞれだし、誰もが管理職を目指せばいいというものでもないとも思う。
まして、管理職というのは、組織の中ので活躍の仕方でしかない。
組織に属さずして、個人で活躍している女性はたくさんいるだろう。
働き方改革は、組織の中での働き方のことを言っているだけではない。
組織に属する働き方、属さない働き方。
色々あるはずだ。
時代の流れからして、ロボット、AIに代替される労働集約性の仕事は減っていくことを考えると、男性も女性も、必ずしも企業に属する人の数がこれからも増えていくとは思えない。
男であるとか、女であるとか、
日本人であるとか、アメリカ人であるとか、
そういうことは、それはそれで、区別としてはあるけれど、ただそれだけのこと。
機会の平等。
それが大事だと思う。
そして、挑戦したいと思える、そういう機会を作り出すという事が大事だと思う。
そして、私は、挑戦する人を応援したい。
全力で、応援したい。
私も、一緒に頑張りたい。
そう、管理職をやって気が付いたこと。
私は、人を応援するのが好きだ。
そして、人を応援するのが、結構、得意みたい。