「脳と日本人」 by 松岡正剛 茂木健一郎

「脳と日本人」 

松岡正剛 茂木健一郎 著

2007年12月15日

文藝春秋

 

松岡正剛さんと茂木健一郎さんの対談を単行本にしたもの。

図書館でみつけたので、借りてみた。

この二人が対談していたとは。

ただ、そうだね、そうだね、と同意している対談ではないだけに、面白い。

二人の共通の興味の対象は、脳。

 

様々な、人物、言葉、が登場してきて、盛りだくさん、と言いう印象の本だった。

話の発展のしかたが、幅広い。

 

西行、出家、旅、松尾芭蕉

湯川秀樹素読、漢文、養老思想、世界観

プルースト、「失われた時を求めて」、鴨長明慈円

古事記、古語、天武天皇稗田阿礼、万葉かな

日本書紀天正天皇舎人親王

小林秀雄良寛の掛け軸、縁遠き者たちを脈略づける、おもかげ

本居宣長、日本人の心、古事記源氏物語

篠田正浩安部公房

 

かそけき音:かすかな音

ひさかた:久かた。枕詞、「天(あめ・あま)・空・月・雲・雨・光・夜・都」

たらちね:垂乳根、母。枕詞、「母」

ぬばたま:球形で黒く光沢がある。枕詞、「黒・夜・髪・夢」など。

アノマリー:異質の例外性。

 

人物や、言葉から、様々な日本にかかわる話題に飛んでいく。

マインドマップにすると、ページからはみ出さんばかり、、、という感じ。

 

第5章: 日本という方法、という章で、日本の庭や伊勢神宮の話が出てくる。

日本は、見えないものを想像することを楽しむのが得意なのかもしれない。

枯山水。想像する楽しさ。

水はそこにないのに、水を思わせる工夫。

伊勢神宮遷宮。20年に一度、神様が本殿から仮殿にうつる。竣工すると仮殿は本殿に

なるのだが、神様はほんとうに、「その間を行ったんだろうか」と思わせる。

見せないことによる、ありがたさ。

秘仏は、めったに公開されないから、生涯一度きりしか目にできなかったりする。だからこそ、一目みたくなり、みると、なんとか記憶に残そうとする。

東大寺二月堂のお水取り。

めったに、経験できないもの。

いつもあるわけではなから、隙間がある。

隙間、余裕。

 

隙間、という話題から、「うつ」「うつろい」に話がうつる。

松岡さん曰く、

”うつろいというのは、以降、変化、変転、転移のことです。語根に「うつ」という言葉が使われています。「うつ」には、「空」「虚」「洞」という漢字をあてはめてきましたが、一番多いのは「空」。うつろ(空洞)、うつほ(空穂)、うつせみ(空蝉)、うつわ(器)、いずれも「うつ」の同根ボキャブラリーです。「うつろい」はこの「うつ」から派生した。つまり、空っぽのところから何かが移ろい出てくることが「うつろい」で、目の前にはない風景や人物があたかもそこにあるかのように面影のごとく浮かんでみえることを表しています。”

と。

 

空っぽのところから、、、というのが面白い。

 

頭の中に、隙間が必要、と松岡さんはいう。

瞑想みたいに、空っぽになること。

坐禅も、無になること。

 

見えないものが見える瞬間。

頭のなかに、隙間がないと、見えるものも見えなくなる。。。

 

小林秀雄の、「縁遠きものを脈絡づける」才能という表現も面白い。

点と点を結ぶのがうまい。

点と点が結ばれた時、それが多数に広がり、システム思考となっていく。

それが、思考する楽しさ。

 

冒頭に、でてきた人物や言葉をいくつか列挙したけれど、それぞれが結びついていることから、思考がつながっていく。

思考が発展していく。

こういう、思考の発展を楽しむ本のと形として、対談というのはやはり面白い。

対話の中での、言葉のキャッチボールが次の言葉を生み、次の話題を生む。

 

言葉というのは、そもそも、何かを伝達するためにあるわけで、一方通行の発信よりも、双方の対話というの言葉の流れに乗ったときに、より、言葉が生き生きする感じがする。

 

頭の中に隙間を作って、人との対話を大切にしよう。

時間も、詰め込みすぎるとかえって、効率は落ちる。

創造性高く、人生を楽しむコツは、隙間を作ることかもしれない。

 

お休みって大切。

詰め込みすぎないから、豊かになれる。

ばったり倒れる前に、休もう。

心も体も、休みが大事。

 

ひとやすみ、ひとやすみ。。。

隙間から、何かが生まれる。