「いいなづけ」17世紀ミラーノの物語 by アレッサンドロ・マンゾーニ 

「いいなづけ」 
アレッサンドロ・マンゾーニ 著
平川祐弘 翻訳
河出書房新社

原書 1827年
1989年11月 単行本として刊行。
2006年7月 文庫本(上・中・下)として初版発行。
2020年6月 文庫本 3刷発行。

 

ヤマザキマリさんが、「コロナ後の世界を生きる」の中でイタリアの中学校の国語の課題図書と言っていたので、読んでみた。

megureca.hatenablog.com

 

17世紀のミラノの物語であり、 物語の最中に主人公たちはペストの大流行に巻き込まれることになる。2019年末から 世界中でコロナが猛威を振るう中、ヨーロッパにおけるペストの惨状を知る一つの歴史的物語として、最近話題になることがあり、日本でも「いいなづけ」がふたたび読まれているのだと思う。

 

ちなみに、「許嫁」って、「いいなずけ」でも、「いいなづけ」でも、どっちでもいいみたい。

 

著者のアレッサンドロ・マンゾーニは、1785年~1873年、19世紀イタリア最大の国民作家と言われている。ミラノの貴族出身。1827年発表の本書は、近代イタリア語の規範を作ったとされる。1860年上院議員となり、イタリア統一の精神的指導者として国民的尊敬を受けた人物。政治家としても、文学者としても尊敬されるひと。日本で言えば??ちょっと、すぐには思い浮かばない。


マンゾーニが上院議員となったという1860年と言えば、イタリアが、一つの国になろうという活動がまさにピークになりつつあったころ。1861年に、イタリア王国として成立している。

物語はその170年前、1630年のペスト大流行の前後のお話。

紀元前800年にはワインづくりが始まったとされるイタリアにおいては、ワインの歴史的に言うと、まだまだ、それぞれワインを作っていてルールも何もなかったころ。

ちなみに、1716年、ようやくトスカーナ地方で、コジモ三世がChiantiに使用するぶどうのルールを決める。わりと、大量生産で儲けてやろうという、ろくでもないルールなのだが・・・。

物語の中でもワインはよく出てくる。やはり、ヨーロッパの物語は、パンとワインは必須。

 「いいなづけ」にも、主人公が、ワインを飲みすぎて泥酔する場面がでてくる。そして、飲みすぎるなという教訓も、、、。

 


原書が1827年というのだから、もう、200年近く前の物語。それが今読んでもみずみずしい。イタリア語の規範だったわけだ。で、これを、これだけ読みいやすい日本語の本にしてくれている、翻訳者もすごいと思った。


翻訳者は、平川祐弘さん。1931年東京生まれ。東京大学名誉教授。ダンテの「神曲」も翻訳されている 。イタリア語、イタリア文学の大御所。という事らしい。

 

以下、ネタバレあり。

 

ストーリーは、結婚式を挙げようとしているコモ湖畔に住む若者レンツォとルチーアが中心となって展開する。結婚式の日になって、村の司祭が突然、式の立会いを拒む。司祭がいなければ、結婚は成立しない。 司祭は、ルチーアに横恋慕した悪党領主に式をあげれば命はない、と脅されてしまったのだ。臆病者の司祭は、今日は体調がわるいとか、なんだのかんだのいって、二人の式をとにかくやらないという。司祭が突然式を拒んだ訳もわからない。しかし、二人は、それが、悪党領主の仕業だということを知る。時代から言って、司祭や領主がどれだけ悪党でも、どれだけ理不尽なことをいっても、一般の市民たちは逆らう事もできない。このままここにいては、一生結婚できないし、ルチーアの身の危険もあると思った二人は、あれこれ画策し、自分たちの村を捨て、別の村をめざす。その時、村の善良なる神父の教えに従い、ルチーアは修道院に身を隠し、レンツォはミラノを目指す。


 ミラノでは天候不良から不作の年が続いていて小麦粉の値段が高騰し、パンをめぐって暴動が起きている。そこでレンツォはすっかり、暴動に巻き込まれ、お尋ね者になってしまう。やっとのことで暴動から抜けただし、従兄を頼って、別の村へ行き、しばらくはそこで暮らす。


 二人が離れ離れになっている間に、ドイツ軍によるイタリアへの侵略、ペストの蔓延による街の荒廃、様々なことが起こるのだが、最後には、ペストに罹患したものの命を取り留めた二人は、レンツォが必死にルチーアを探したことで、ふたたび出合うことができる。ペストに罹患して今にも倒れそうになっているかつての恩人、善良なる神父にも再会し、神父の指導であの臆病司祭のもと、無事に結婚式をあげ、家庭を築く。

 

いかなる悪政治があっても、村の半分以上の人が死亡したペスト大流行という悲惨な社会の中で、それぞれが、命の尊さを再認識し、人間らしさを取り戻した、という物語ともいえるかもしれない。

 

とまぁ、ストーリーとしては、若い二人が世の中の様々な不条理に巻き込まれ、それでも相手を思う気持ちから苦難を乗り越え、ハッピーエンドを迎えるのだが、この物語の面白さは、それだけではない。


著者、マンゾーニが、「これから、こんなお話をするからね」といった語り掛けのような構成であり、時々、「この時、この司祭はどう思っていたと思う?」などという語り掛けがあったり。そもそも、この物語は、作者不明の原稿があって、それをもとに、マンゾーニが加工しているからね、という立場をとっている。

 

また、1~38章で構成されるのだが、その中には歴史的なことを伝えるために、物語の主人公をさておいて、その時のイタリアでの出来事、特にペスト大流行、について書かれている章もある。

 

レンツォとルチーアの物語でありながら、イタリアの物語である。
まさに、副題になっている、「17世紀ミラーノの物語」なのである。

 

宗教的な色も濃い。
ルチーアが苦境の中でマリア様に「一生、生娘でいるからお救いください」と願掛けするシーン。ペスト患者の収容所の中で、そもそも二人の困難の元凶だった悪党領主をレンツォが「許す」とするシーン。「生娘」でいることをマリア様に誓ったから、再会してもレンツォとは結婚できないというルチーア。その誓いを、別の形で解きほぐしてくれた神父の言葉。

「許し」というテーマもあるような気がする。

 

物語の最後に、マンゾーニが言っている。

”面倒を引き起こすのは本人がその張本人の場合が甚だ多い。だが本人がいくら注意しても、いくら罪がなくても、それでも面倒なことに巻き込まれることはやはりある。そうなったら本人に罪があろうとなかろうと、神様を信じることが救いとなる。苦しみも和らぎ災い転じて福となすこともある。”

神を信じよ、と。

 

語りつくせないので、17世紀のミラノに興味があれば、是非、読んでもらいたい。

多分、読んだことがある人からすれば、私の説明は、本の魅力の10%も語れていない、という感じだと思う。

 

なかなか、読み応えのある本だった。
200年前の本とは思えない。
今でも、十分楽しめる。

ペストの中で、デマが蔓延して、暴動につながるあたりとか、今もたいして人間の行動は進化していないのかもしれない。

ちなみに、ペストがペスト菌による伝染病だと判明したのは、著者のマンゾーニがなくなった後。。。


古典はすごい。

歴史を学ぶのに、古典文学を読むのは一石二鳥。

 

本を楽しもう。