「NATURE FIX」自然が最高の脳をつくる by フローレンス・ウィリアムズ

「NATURE FIX」
自然が最高の脳をつくる
最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方
フローレンス・ウィリアムズ 著

栗木さつき・森嶋まり 訳
2017年7月25日 第1刷発行
NHK出版

 

自然の中にいるとパワフルになれるような気がする。エネルギーがチャージされるような感じがする。それ自体は、経験的に私も知っている。しかしそれがどうやって科学で証明されたんだろうかということが気になって読んでみた。

 

バイオフィリアを科学的に証明しよう、という試みである。

バイオフィリア、Biophilia。

社会心理学者のエーリッヒ・フロムが造った言葉。

「生命とすべての生きているものに対する情熱的な愛。それは、人間であれ、植物であれ、思想であれ、あるいは社会的集団であれ、その成長を促進しようという願望」

それを、ハーヴァード大学の昆虫学者であるエドワード・オズボーン・ウィリアムが、

「人間がのの生きた有機体と情緒の面で生まれつき密接な関係を持っていること」

としている。

 

以前、「GO WILD」ジョン J レイティ著の中でも、でてきて、いい言葉だなと思った。

megureca.hatenablog.com

 

そうだ、「GO WILD」と同じ時期に図書館で予約していたのだけど、4か月近くたってようやく本書が回ってきた。

 

人が自然を愛するのはわかるけれど、自然は人に対して生理学的にどのような影響を及ぼすのかを、科学的に明確にしてみよう、という試み。

 

結論から言ってしまえば、想定の範囲内の分析手法だった。

けれど、そうだろうね、と納得もできる。


本書の中では、本当の自然、あるいは自然を模した環境に人がおかれると、その人がどんな生理的変化をもたらすかを測定している。ストレスの指標となる唾液中コルチゾールを測ったり、心拍数や心拍数の変動、あるいはヘモグロビンの濃度、アルファー波。最新の科学と言われると、最新か?と思ってしまうけれど、ひょっとすると2017年ってそんなもんだったのかもしれない。

唾液中のコルチゾールでストレスを測るというのは、今でこそ一般的になっているけれど、 血液ではなく唾液で測れるようになった手軽さというのは最近かもしれない。


なんとなく感じてたものを数値化したという意味では、著者らが行った研究というのは意味があるのだろう。

読んでいて、そうかそうか、やっぱり自然に触れるのは良いことだ、と思わせてくれるので、スイスイ読める。

 

本書の冒頭で「森林浴」の話が出てくる。
「森林浴」は、今では結構馴染みのある言葉だと思うが、実は日本で発生した言葉である。日本にしては珍しく外来品ではなく日本産。 いっとき「フィトンチッド」という言葉が流行った。森林浴で実際に人が香りとして感じ、体内に吸収できるヒノキなどの森の香り成分である。 森林浴と言えば、フィトンチッド、というくらい、TVで宣伝していた時期がある。

ちなみに、「森林セラピー」という言葉で検索すると、全国の森林セラピー基地、つまり森林浴のための森が検索できる。

検索してみた。北から南まで、たくさんある。

あぁ、、、またまた、旅に行きたくなってしまった。

コロナで、自粛中・・・。

 

本書の中では、実際に森林浴ができる森にでかけてみたり、単に森の風景を映し出したものを見せてみたり、嗅覚や聴覚を刺激するもの、フィトンチッドや鳥の鳴き声などを人工的に与えてみたり。そういった人工的なものですら、人はストレス解放の方に反応するという。
うんそうだろうな、と思う方も多いように思う。


都会の車がたくさん通っている交差点よりも、小さくても緑のある公園にいた方が心が休まる。 心穏やかになれる。そんな経験は誰もがあるのではないだろうか。

全館空調で窓の空かないオフィスビルで一日過ごすと、街路樹ですら気持ちを和ませてくれる。

 

面白いことが書いてあった。
イギリスの代表的なロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースの妹であるドロシー・ワーズワース(1771-1855) は、散歩が好きだったと。詩人は散歩が好きだと。
そして、当時、「散歩する女性は自立した女性の証」だったらしい。歩くことで頭がまわって、自分で考えることができるようになるからだろうか? 親や夫に従うだけなら、頭を回す必要ないものね。

 

都会にいても意識して自然に触れる機会を作ろう、という提案。
大いに賛成!
で、どうやって?


著者が提案するのは、こんな感じ。
毎年:大自然に畏敬の念を抱く
毎月:ハイキングや森林浴に出かける
毎週:緑豊かな大きな公園、川辺などでリラックスする
毎日:庭、観葉植物、街中の公園で一息つく

 

そう自然に対して畏敬の念を持つというのも自然と触れ合うことで脳が活性化されるひとつの要因となり得る。 脳が活性化されるというよりは、解き放たれるという感じだろうか。


自然に対する畏敬の念を抱くといっても、その素晴らしさに感動するもあるけれど、その恐ろしさに恐怖するということもある。いずれにしても自然という絶対的な存在感を前にして、人間そして自分自身の頼りなさ、脆さを認めることで、人間社会がもたらすストレスから解放されることがあるのかもしれない。

 

できることなら、年に一度と言わず大自然でのんびり過ごす旅をしてみたい。

 

毎月、ハイキング、森林浴というのも、なかなかハードルが高い。前回、友人と高尾山に行って「気持ちよかったからまた行こうね」、、、と言ったっきり、1年以上。コロナの自粛もせいでもあるけれど。

 

大きな公園、川辺へ毎週行くくらいならできそうだ。

 

毎日、ベランダの緑に触れるのは、実践済み。

家の中にも、花や緑を飾るのは習慣になっているけれど、確かに、家の中の緑でさえ、欠かすとソワソワした感じがある。

 

私は、心から自然が好きだ。

でも、なぜ、ビルに囲まれた生活をしているのだろう。。。

なぜ、自然豊かな街へ引っ越さないのだろう。。。

 

まだまだ、色々な欲にまみれているのだろう。

 

今の生活の拠点を、すぐに移すつもりはないけれど、毎週いける大きな公園を開拓してみよう。

 

今日は、ベランダ菜園のトマトを収穫。

ちょっと触れただけで、葉っぱからすごいトマトの青い香り。

そう、こういうの、癒されるよね。

香りのマジック。

 

今度は、ヒノキの香りを浴びにいこう。