「墨子よみがえる」
半藤一利
2011年6月15日 初版第一刷
平凡社
半藤一利さんは、1930年東京生まれ。
戦争に関する著書が多いけれど、中でも、「日本のいちばん長い日」の人、というとわかりやすいか。ジャーナリスト・小説家というけれど、もともとは編集者。文章のプロだ。
今年、2021年1月12日に、亡くなってしまった。惜しい人をなくしたと、コロナ中、大きなニュースになった。私も、え~~っと、思わず声がでた。残念だ。でも、90歳。長きにわたり、ありがとうございました。
本書は、2011年、80歳を過ぎてから書かれた本ということ。
日本の心、儒教、儒学に関する勉強会の中で、とある方が「面白い本」として薦めてくださった本。
これが、ほんとに、なかなか面白い。
硬派な本ではなく、軟派な本、、と見せかけて、中身は濃い。
さすが半藤さん。
自分のことを、「隠居」としつつ、編集者「おろくさん」との対談風になっていたり、「話はとぶけれど」と、あちらこちらへ寄り道したり。半藤さんの呟きを聞いているようで、楽しい本だった。
中国古代の思想家、墨子にまつわるあれこれが書かれた本書。
墨子と言えば、 老子、孔子、孟子、荘子、韓非子、、、らに比べると、どうも認知度が低い。
出口治明さんの著書「哲学と宗教全史」では、ちゃんと「孔子を徹底的に批判した人」として取り上げられているけど。
司馬遷の名著『史記』の中にも、孔子と同年代であったという説と、孔子より100年後の人だ言う説との記載があり、あまり墨子についてはあきらかにされていない。ただ、墨子のことを孟子や荘子が批判しているので、彼らよりは前の人、春秋時代の終わり、世がどんどん乱れていった時代の人だったのだろう、ということ。
そんな墨子についてなぜ半藤さんが2011年に書こうかと思ったかと言うと、 墨子はその時代、乱れる世の中で「非戦」を訴えつづけた、という姿勢に共感したところが大きかったのだと思う。
春秋時代の中国と、2011年、執筆を開始したのは震災前、民主党政権で揺れに揺れている日本、この先不透明、そんな時代背景を重ねて見ている。
本書のなかでは、墨子に関する著書「墨子」71編、を読んだであろう人の行動、つまり「非戦」や「兼愛」を大事にしたであろう歴史上人物が出てくる。「墨子」は、秦の始皇帝の時代、焚書坑儒でほとんどが焼かれてしまっている。それが、墨子については不明なところも多い所以なのだが。しかし、それより前に日本へ書として渡っていたものは、もしかすると、焼かれずに残っていて、昔の日本人も読んだのかもしれない。
でも、「墨子」の文章は、「論語」や「老子」に比べると、ヘタくそであるような気がする、と半藤さんは書いている。推敲不足、ということらしい。単刀直入で、なんとわかりやすい表現。「ヘタくそ」だって!
半藤さんは、歴史上の人物の行動から、もしかすると、「墨子」を読んでいたのではないか、と推察する。戦国の武将たちですら、織田信長も読んでいたのではないかと。
宮本武蔵も読んでいたのではないか、、といいつつ、宮本武蔵については、否、かれは本は読まなかった、、、と否定してる。
墨子の「非戦」と「兼愛」の根源は、ヒューマニズム、愛であるという。
墨子のいう「愛」は、利他、他人のために努力をすること。そこには、キリスト教の「汝の敵を愛せよ」と同じ思想が根底にあるという。
と言いながら、半藤さん自身は、「愛も恋も女欲もごちゃまぜだ」といいつつ、愛にまつわる表現が紹介されている。墨子からの脱線だけど、面白い。
「愛は真面目である。真面目であるから不快。同時に愛は遊戯である。遊戯であるから浮いてくる。深くして浮いているものは水底の藻と青年の愛である。」
西田幾太郎
「愛は実在の本体を捕捉する力である。最も深き知識である。分析推論の知識は物の表面的知識であって実存その者を捕捉することはできぬ。我々はただ愛に由りてのみ之に達することができる。愛は知の極点である。」
「真の愛は悪に対する増悪を充分にふくむものである。仮面的な愛または浅き愛は、悪を憎むことを知らない。けれども深き真なる愛は、かくあることはできないのである。」
そして、最近は鳩山流の「友愛」なる妙ちくりんな愛のラッパ、、、と、
と脱線しつつ、元に戻る。
人は、天の前にいっさい平等であり、運命説を否定し、自ら行動することを良しとする。行動することで道を開くべきだと、墨子は説く。
墨子のいう「天」は、儒教の抽象的な「天」とは違い、もう少し具体的。悪いことをして天罰をうける、罰を与える「天」。罰は具体的に自分の身に起こること。鬼神がいるぞ、と。そんな感じ。空気感のような「天」ではなく、実際に身に降りかかることをもたらす「天」。
半藤さん自身も、墨子のいう事には、ちょっと無理がある、、、という事を認めつつ、
今の日本は、「天」を恐れなさ過ぎているのでありまいか?傲慢になりすぎているのではないか?と問いかけるのである。
半藤さんは、一貫して戦争を否定し続けてきた人。
思いを行動にすること。
その大切さを伝えるために、「墨子よみがえる」を書かれたのかもしれない。
本書の中に、「日本にいる墨子」として、中村哲さんのことがでてくる。パキスタン、アフガニスタンのために、医療活動を通じて国の平和と発展の為に生涯をかけた人。
2019年、アフガニスタンのナンガルハル州ジャラーラーバードにて、武装勢力に銃撃され死去し、世界中に衝撃のニュースとして流れたことは、記憶に新しい。その中村さんが日本の墨子であると、半藤さんは書いている。
中村さんは、
「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」という言葉を信条としていた。
武力にあらず、ヒューマニズム(兼愛)によって平和を維持して、人々を安穏幸福たらしめよう、それこそが人間のなすべきところ、と奮闘努力した中村さん。
あのニュースを、半藤さんはどんな気持ちで聞いたのだろう、と思うと、中村さんを思っても、半藤さんを思っても、胸が痛い。
理不尽だ。
理不尽すぎる。
理不尽なニュースは、胸が痛い。
戦争を起こさせないために必要なのは。
理性、寛容、好意、善意、冷静さと忍耐
と、半藤さんはいう。
きっと、戦争に限らない。
理性、寛容、好意、善意、冷静さと忍耐。
でも、戦争だけは、やはり何としても繰り返してはいけない。
たまたま、本書を手にしたのが8月。
8月6日 広島原爆の日
8月9日 長崎原爆の日
平和のために、一人一人が行動できることに思いをはせる日。
日常で戦争のことを考えることは、そう多くはない。
ニュースで聞いても、どこか遠い国の話。
でも、こうして、のほほんと平和ボケしながら生活していけるのは、
この社会を作ってきてくれた人たちがいるから。
この社会を支えてくれている人たちがいるから。
過去の過ちに真摯に向き合い、社会福祉を享受することが当たり前と思っている傲慢な自分になっていないか自省し、静かに10年後の自分の姿を考えてみる。20年後の世界を考えてみる。
そんな、一日があってもいい。
ニュースから、catastrophe:大災害・破壊、という言葉がなくなっている未来をめざそう。
今年も、山火事、洪水、自然災害のニュースが続く。
急速な気候変動も、人間の活動が、もたらした結果だろう。
SDGsを儲けるための枕詞にしている企業に騙されるな。
本気で一人一人がやるべきことを考えるのに、17色のバッジはいらない。
「墨子よみがえる」
新書で、参考文献までいれて223ページ。
そう、分厚い本ではないけれど、濃い本だった。
半藤さんは亡くなってしまったけれど、こうして著書が読めるというのはすごいことだ。
読書は、楽しい。
そして、感じたことを、もっと自分の頭で考えよう。
そして、自分で考えて、行動すること。
それが、本書からの一番の学び。