「死すべき定め 死にゆく人に何ができるか」 Being Mortal
アトゥール・ガワンデ Atul Gawande
原井宏明訳
2016年6月24日 (原書 2014)
みすず書房
医師が書いた、専門書ではない、終末期に関する本。
自分自身の高齢化や、親の介護が身近になる前に、読んでおくとよい本の気がする。
専門家として、こうしたほうがいいというアドバイスの本でもない。
淡々と、自身の経験に基づく事実が書かれ、医師としての判断との葛藤がつづられている。
そう、だれでも、一生に一度は、死ぬのだ。
著者のアトゥール・ガワンデさんは、ハーバード大学医学部・ハーバード大学公衆衛生大学院教授。全世界の外科手術の安全性向上を目指す NPO 法人Lifeboxとアリアドネ研究所の技術革新センターの部長を務めている。ニューヨーク誌の医学・科学部門のライターも勤めていて、執筆記事はベスト・アメリカン・ エッセイ 2002に選ばれたこともある方。2010年にはタイム誌で「世界で最も影響力のある100人」に選出されている 。
訳者の原井宏明さんも、また医師。日本認知行動療法学会代議員・専門行動療法士。医療法人和楽会なごやメンタルクリニック院長。ガワンデさんの著書「医師は最善を尽くしているか」という本の翻訳もされている。
原題の、「Being Motal」というタイトルで、PBS特別番組オンライン動画をYoutubeで見ることができる。本書に出てくる患者、医師、動画でみるとリアリティが増す。
Being Mortal (full film) | FRONTLINE - YouTube
様々な死に直面する患者の最後の過ごし方がでてくる。
一人で元気に暮らしていたものの、高齢化による身体機能の衰えから自立が難しくなった女性。
34歳、妊娠39週目で、肺がんで、すでに転移が進んでいるとわかった女性。
著者自身の、父親の癌。
治療から、ホスピスへ。
病院から、自宅へ。
「救えない命」とわかったときに、「命の尽きるのを助ける」のは、医療の役割ではないのか?医療の役割とは、何なのか?
病気による寿命だけでなく、高齢化による老衰による寿命にしても、命が尽きるとき、苦痛があってもそれに抗おうとするのは、本人ではなく、周りなのではないのか?
朦朧とした意識の中で、管だらけにされて、ベッドで寝ているのは自分が望む姿なのか?
命を救う医療に徹する、という、当たり前のように思えることを、命が尽きるのを助ける、に切り替えるべき点はあるのか?
個人によって正解は違うだろう。
近代の医学の進歩で、昔だったら救えなかった命が救えるようになり、人生そのものの意味が変容してきている、と彼は言う。
人生がどう経過していくか、という生物学的変容。
人生をどう受け止めるか、という文化的変容。
かれは、「マズローの欲求5段階説」は、そんなに単純なものではないと、否定する。1943年に発表されたマズローの欲求だが、上位に位置するとされる「自己実現欲求」は、老人にはあてはまらない、という。
若者と高齢者では、なにが欲求の上位にくるかは、異なる。
「老人は、未来より現在に重きを置く」
「高齢者は、あらがうより適応する方を選ぶ」
なるほど。
確かにそうだ。
「人は、自分には自律を求めるのに、大切な人には安全を求める」
「高齢の親にやってやりたいと思う事の多くは、自分はしてほしくないこと」
なるほど。
確かにそうだ。
人生100年が当たり前になると、どこかで、若者の時のような成長をもとめなくなるポイントがくるのだろう。
やはり、本人の意思が一番大切。
どんなに苦しい治療でも、家族に頑張ってと言われると、不本意にも治療を続けてしまうことが多いという。
そりゃ、家族だもの。
長生きしてほしいもの。
でも、本人が苦しい治療は、果たして誰のための治療なのか?
本書のなかで、興味深い事例が紹介されている。
同じような末期がんと診断されて、治療を放棄してホスピスでの緩和ケアを選んだ人のほうが、実は、余命が長かったと。
副作用で苦しんだからと言って、長生きできるわけでもない、と。
生きるって、なんなんだろうか。
死ぬって、なんなんだろうか。
養老孟司さんは、「一番効率のいい人生なんてものは、生まれてすぐ死ぬことだ」
と、人生に効率をもとめることを否定している。
ま、ほどほど、、、なのかな。
いい塩梅、でいこう。
大切な人に、無理強いしていないか、振り返ってみよう。。。
たぶん、生き方に正解なんてものはないのだけど、
時には、自分の選択を疑ってみることも大事。