「福沢諭吉が見た150年前の世界」
日本初の海外旅行ガイドブック 「西洋旅案内」初の現代語訳
福沢諭吉 著
武田知弘 訳・解説
2021年7月21日第一刷
株式会社彩図社
図書館の新着本の店で見つけたので、読んでみた。
面白かった!
たぶん、ない。
読んだかもしれないけど、覚えてない。
だって、学問なんて人にすすめられたくないもの。
慶應義塾大学にも興味ないもの。
「日本初の海外旅行ガイドブック」という言葉にそそられて手に取ってみた。
旅は、大好きだ。
父親は儒学者であるが、幼い時に亡くしている。
彼自身は四教五書を読んで勉強した。その蘭学を学ぶ。
「品行方正・堅物の教育者」というイメージがあるが、実は「冒険の人」でもあった。
1861年、26歳の時を皮切りに 、1861~1867年の間に、3回も幕府関連使節団の一人として渡欧・渡米している。
その旅の模様をふくめて、諭吉が書き残したものを現代語訳にし、解説をつけて本書にまとめられている。非常に読みやすい。漫画のようにスラスラ読める感じだった。
読んでいて面白いのは、結構、諭吉自身の書き残したものには、勘違いや、間違った記述も多いこと。 それを現代語訳解説をしている武田さんが、おもしろおかしく指摘しているからそれもまた面白い。
諭吉は「友遠方より来ることあり、また喜ばしからずや」と書いているのだが、正しくは、
「友遠方より来ることあり、また楽しからずや」であるとか。
「論語」の言葉だが、たしかに、「楽しい」も「喜ばしい」も、どっちも気持ちはわかる。文脈があっているのだから、まぁ、いいじゃないか、って感じがいい。
完璧主義ではなかったようだ。
で、諭吉自身は「そりゃ友達が来るのも楽しいけれども、やっぱり自分で行くのがいいから自分は旅にに行くんだ」と最初に書いている。
1861年って言えばまだ船の旅。船も今ほど大型のものでないから燃料も多くは積めない。 風を動力とする帆前船で太平洋を渡るなんて、今考えたらゾッとする。そんな旅の条件だったので、幕府関係者であっても旅に出たがる人はそう多くなく、どさくさとは言わないが知人に頼んで船に乗り込むことができた。
当時の諭吉の強みは、蘭学で学んだオランダ語と、オランダ語だけではだめだと思って学び始めた英語。つまり通訳あるいは翻訳者として船に乗り込んだわけだ。
やはり語学というのは、世界を広げるの役に立つ。
当時、海外へ行くというのは珍しいことであったので、まさに海外へ行ったことがない人のためのガイドブックのようなつもりで書いていたという。
地球は丸いんだということや、緯度というものがあって、人間が心地よく住むことができる地域は緯度23度~とか、海外のトイレは日本と違うとか、、、。
食事のマナー、レディーファースト、両替の仕方などなど。
船旅のおよその金額が書いてあるのだが、横浜からマルセイユまで一番客席に乗ると、現在の貨幣価値からすると、4320~7200万円!!サンフランシスコまでは2580~4300万円。そりゃ、一般の人が海外に行けるわけがない。
語学をいかして、まんまと船にのりこむ。やるな、諭吉!
「太平洋便は安いが食事は粗末で酒は別料金」と書いている。諭吉は女遊びはしないが、お酒は相当好きだったらしい。お酒が別料金というのはとても重要な情報だ。
と言うかヨーロッパ便はお酒は料金に含まれてたということか!
さすがパンとワインの国だ。
今でも、海外の空港のラウンジで、アルコールでお金を取るのは、アメリカくらいではないか?!なんでも金儲けにつなげるのがアメリカか?!
ま、コロナでいまはどうなっていることやら、、、だけど。
ヨーロッパに関して言えば、ブランデーやウイスキーは安酒で日本で言えば焼酎のようなものといったことが書かれている。確かに現地で飲んでみればそうだったのだろう。
諭吉らしいセリフが、「 書籍では調べられないことを聞くのが旅の目的」。
本もいいけれどやはり自分の目で見て肌で感じるには旅が一番。
諭吉君、大いに共感!!
本もいいけど、やはり、
現地・現場・現認だ。
その国に行って、その場に行って、自分で確認する。
それが、旅のだいご味だろう。
明治維新の前、20代で3回も海外にいって、一度は1年かけての使節団。うらやましい限りだ。
福沢諭吉、あんまり興味なかったのだが、「学問のすすめ」も、いつかはよんでみようかな、という気になった。
1万円札になるひとなんだから、ね。
それにしても、いつ海外旅行にいけるようになるのだか。
コロナが世界を変えてしまっているけれど、
人の往来は、必ず戻ってくると思う。
だから、語学の勉強はやっぱり頑張ろう!
あ、まんまと勉強をすすめられてしまった!!
やるな!諭吉!
しょうがない、「学問のすすめ」、いつかは読んでみよう。