「スタンフォード大学の共感の授業」 by ジャミール・ザキ

スタンフォード大学の共感の授業

人生を変える「思いやる力」の研究

ジャミール・ザキ

原裕美子 訳

2021年7月6日 第一刷発行 (原書 2019)

ダイヤモンド社

 

2019年の本だが翻訳され、ダイヤモンド社から発行されたのは今年の7月6日。 
帯には、
「共感は本能ではない自分で伸ばせる能力だ」
「『分断』『不寛容』の時代を生き抜くための必須教養」
「最新科学と、心に響くストーリーの数々が織りなす、見事な一冊」 by アンジェラ・ダックワース
と、並ぶ。
 
著者のジャミール・ザキさんは、スタンフォード大学心理学准教授。スタンフォード・社会神経科学ラボの所長。共感の研究を専門として、「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」「ニューヨーカー」「アトランティック」などで論考を発表している方。
 
冒頭、「両親が離婚交渉を始めたのは、僕が8歳の時だ」 と、心が離れてしまった二人の生活を身近に育ってきた経験を語る。そして、両親が息子であるザキを介して攻撃しあうとき、どちらの手も離さなかったと。そして、父母の双方の周波数に自分をチューニングするコツを身に着けて、二人の絆が断たれた後も、両親とのつながりを守り続けたと。
離婚という子供にとっては辛い経験だったはずだが、人生最大の学びができたという。ザキは、両親それぞれの想いに心を寄せることで、人間というのはたとえ結婚した二人であっても、根本的に食い違うことがあり、どちらも深い思いがあるという事を知った。それが、最大の学びだった。という。
 
人生を変える「思いやる力」は、研究しなければいけない分野なのか?とも思わなくはない。普通に、みんなが思いやりを持って暮らしていたら、そんな研究は研究にならなかっただろうけど、思いやりの心を忘れてしまった人間がいるから、、、、そういう研究が生まれるのだろう。
 
本書が述べているのは、共感は本能ではなく、自分で伸ばすことができる、という主張。
人の脳は、IQも変化する。性格も変化する。脳は変化するのだ。こころは固定されてモノではなく、移動するものなのだと。
そして、その心を変えるというのは、スキルをもって、自分で良い方向へ伸ばすことができる。
 
その、伸ばす手段として、一見暇つぶしの様にも思える、読書、ラジオやTVといったメディア、芸術に触れることをあげていて、中でも芸術は必需品だ、という。
ドイツのメルケルさんは、その辺、よく理解されている。だから、コロナによるロックダウンで困難に直面する国民への呼びかけで、真っ先に芸術家への支援を口にした。
 
小説や物語が、自身が直接経験できないことを、疑似体験することで、思いやりの心を育てることができる。子供に読み聞かせする本も、誰かを助けるとか、一緒に協力するとか、そういった内容が多いのは、物語で心を育てようと思うからだろう。
ちなみに、疑似体験するのは、良いことばかりとは限らない。怪談をきいたら、夜中にトイレに行けなくなるのは、お化けへの想像力が育っちゃうから。これも、想像力のトレーニングにはなるのだろうけど。
みなしごの話を聞くと、自分が捨て子だったらどうしよう、とか、両親が死んじゃったらどうしよう、とか、そういう怖い想像力もついちゃう。でも、そうなったらいやだから、いい子でいよう、と思う心も育つのかもしれない。
 
メディアは、良いほうにも、悪いほうにも世間をあおることができてしまうという。
本書で、紹介されていたのは、ルワンダ大量虐殺のあと、ルワンダでラジオドラマとして流された恋愛物語「新しい夜明け」。それまでは、ヘイトを煽る目的で使われていたラジオというメディアを、ヘイトの傷を癒すために活用した。ブマンジ族の青年と、ムフムロ族の娘の恋愛物語。現代版ロミオとジュリエットのように、互いに憎しみあう種族の二人が恋に落ちる。最後に待っていたのは、ロミオとジュリエットと同じように、娘の自殺、、、。そういう話にルワンダの人は夢中になった。ルワンダ史上、最も人気のラジオドラマとなった。そして、番組は、数年をかけて、人々に癒しをもたらした。
メディアを、そんな風に活用することもできるのだ。
 
本書の中には、「共感疲れを防ぐ」必要性についても触れている。医療従事者は、患者が回復できなかったり、亡くなってしまうたびに共感し続けていると、バーンアウトを起こしてしまう。そうなることを、回避する必要性を説いている。産婦人科で新生児が助からない現場、妊婦が命を落としてしまうとか、どれだけしんどいことか。
惨事を自分ごととしてとらえると、共感的苦痛が起こる。惨事を他者のことであると自覚することで、共感的苦痛は、共感的配慮に変えることができるという。意識して、自己と他者の壁をつくる。これは、私の悲劇ではない、と意識的に考えることで、共感的配慮にする。
なるほど、と思った。
そして、そうできるようになるトレーニングとして、瞑想をあげられていた。
 
前に、メンタルで会社に来れなくなった部下が、2年以上のブランクの後に復帰してきたことがあった。復帰はしてきたものの、情緒不安定なところがまだまだ多く、よく面談をした。彼女は、完全に治っていはいないけど、なんとか、仕事を頑張りたいという。面談中にも、泣いてしまう事もよくあった。彼女の気持ちを思うと、こっちも胸がいっぱいになって思わず涙が出そうになるのだが、上司として一緒に泣いている場合ではない、と思って、ひたすら、上司である自分を演じた。ただただ、彼女の気が済むまで、話を聴いた。聴く努力をした。でも、それは、私にとっては「共感疲れ」になっていたように思う。
その時、他者のことであるとの自覚に意識を持っていけたら、共感疲れはなかったかもしれない、と思う。
 
共感が、人に優しい行動をもたらすのは、言うまでもないことで、読んでいても目新しくはないように思って読み進めていたのだが、「共感疲れを防ぐ」という章は、とても参考になる考え方だと追った。
 
300ページを超える本。
なかなか、読み応えがあった。 

 

共感を育てようとするのは、わざわざ意識しようと思わないけど、共感疲れへの対策として、他者のことである、と意識する、というのは覚えておこうと思う。

 

楽しい共感は、自分のことのようにうれしいからいいけどね。

他者の喜びを、自分の喜びとして感動できるのは、お得?!

オリンピック、パラリンピック、たくさんのワクワクをありがとう!

これは、よい共感。

感染対策は、大変だったけど、開催できてよかったね。