禅の言葉。 行も亦禅、坐も亦禅、語黙動静、体安然

今朝教えていただいた、禅の言葉


行も亦禅、坐も亦禅、語黙動静、体安然
ぎょうもまたぜん、ざもまたぜん、ごもくどうじょう、たいあんねん
 
中国に渡った、達磨大師の六代目、永嘉大師(ようかだいし) (665~713) が禅の大切なことを詩の形で表現した『証道歌』(しょうどうか)、にある言葉。


『証道歌』は、韻を踏んでいて、みんなで歌う。
 
「君見ずや絶学無為(ぜつがくむい)の閑道人(かんどうじん)、妄想(もず)を除かず真を求めず、無明(むみょう)の実性(じっしょう)即仏性(そくぶっしょう)幻化(げんけ)の空身(くうしん)即法身(そくほっしん)。行亦禅坐亦禅、語黙動静、体安然。・・・・」
と、続く。

声に出してみると、リズムがあることがわかると思う。


 
鈴木大拙も言っていることだが、鎌倉時代宗教改革で、禅と念仏は似ているという。
修行の方法として、念仏は、最適であるという。


念仏は声をだす。
意味を考えるというより、声をだすことで、自分の耳できいて、自分の背骨、筋肉、体全体で聴きながら坐禅をする。


一日のすべての行為が、禅である。
坐禅の時だけでなく、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)

歩いているときも、立っているときも、座っているときも、寝ているときも。
24時間、ずっと坐禅の時間である。


一日の立ち振る舞い、すべてが禅の心になれば、体も心もゆったりと定まる。

 

ということ。

 

それが、今日の言葉、

行も亦禅、坐も亦禅、語黙動静、体安然

の意味。

 

一日の立ち振る舞い、全て、、、ね。

このところ、一日すべてどころか、かけらも禅のない日々を過ごしていた。

2回、寝坊して坐禅会をさぼった。。。。

久しぶりに朝の坐禅会に参加したら、脚は痺れるし、頭の中は雑念だらけだし、、、。

毎日、1分でも坐るといいのかな。

来週は、寝坊しないように気を付けよう。

 

今日の教えで、これなら!と思ったのは、

声を出すことが大切で、意味が分からなくてもいい、という事。

素読と同じ?

英語のシャドーイングと同じ?

 

英語の先生も、よく、「自分の声を、耳の骨を通じて自分の体の中で聞けるようになる」という事をおっしゃる。

 

よくわからないけど、声を出すというのは大切ということ。

英語の勉強も、禅の修行みたいなものか?

 

声を出そう。

 

コロナで、人との対話が減っていて、久しぶりに人と会話すると、頭の回転が鈍っている気がする。

独り言でもいいから、声をだそう。

ボケ防止にもなるらしい。

 

ラジオ体操、体操するだけではなくて、一緒に歌ってみるか?!?!

”新しい朝がきた ♪、希望の朝~~ ♪”

 

すべてが修行である。。。も、いいけど、

すべてを、楽しもう。