「不条理を生きる力」 by 佐藤優 香山リカ

「不条理を生きる力」 コロナ禍が気づかせた幻想の社会
佐藤優 香山リカ
ビジネス社
2020年6月21日 第1刷発行

 


佐藤さんは1960年生まれ。香山さんも1960年生まれ。同じ年に生まれた二人が、それぞれの20代、ポストモダンと言われた時代を振り返りつつ、2020年の今の世の中を語る対談。
図書館の棚で見かけたので借りてみた。
 
なかなか、面白い。
不条理はあるけれど、自分の軸をもって生きる。
それが、大事、と思わせてくれる本。
 
1980年代、バブル期を日本で過ごし、著書も出す精神科医として人気の香山リカさん。精神科医であることは知っているけれど、「メディアの人」という印象が強い。著書は、どちらかというと、ガツガツ行こう!というより、マイペースで行こう!という物が多い。「勝間和代をめざすな」という発想。臨床医としての仕事も続けながら、今も様々なメディアで活躍されている。
 
対して、佐藤さんは、80年代は外務省の職員としてモスクワへ。ペレストロイカ真っ只中のモスクワで、様々な不条理と向き合い、それでも神学を武器に様々な人と出会い、人と直接であうことで世界を広げてきた人。そして、2002年、鈴木宗男氏にからむ背任と偽計業務妨害容疑で東京地検特捜部に逮捕される。2009年に最高裁で有罪が確定し外務省を失職している。佐藤さんの人生における、最大の不条理。でも、それがあったから、著者になる、という道を選択し、こうして私たちに色々な話を伝えてくれる。選択というより、拘留され、副業が許されない身であった中、唯一できるのが著書を出す、という事だったそうだ。佐藤さんの人生における不条理が、佐藤さんの次の職業を生んだ。天性ともいえる職業を。
 
佐藤さんの発言で、怖いな、と思ったのは、
「怖いのは、官僚がルーティンワークとして仕事をし始めたときです。(中略)判断する権限が与えられていない人間が、これだけやればいいとルーティンで動いているからです。そういう時の権力はどんどん暴力的な振る舞いにつながる。裁量権のある上司がいるところは、それほどめちゃくちゃにはならない。」
という、事。


これは、一般の企業でもありがちだ。
人事部の窓口が、「そういうルールになっています」の一点張りで、一人一人の事情を全く考慮しない。。。そういう不条理、山のように見てきたし、経験してきた。
やっぱり、不条理は、人が作るものだ。

そして、怖いのは、その不条理に慣れてしまう事だ。

「人事が言っているからしょうがない」。

私は、30年会社にいても、慣れることはできなかった。

いやいや仕事をしていたわけではないけれど、脱出のチャンスは、しっかりつかんだ。


 
香山さんの話の中に、「正義フォビア」という言葉が出てくる。フォビア、恐怖症。正義を、正しいことをいう事を恐れる。正しいことを言った後に、「なんちゃって」とか、「まぁ、時によりけり」とか。
そんなことは付け足さず、ダメなものはダメ、とはっきり言えばいい、言わないといけないに、と香山さんはいう。
それに対して佐藤さんは、
「大事なのは、そのときの、依って立つ原理。香山さんには、啓蒙の思想や人権思想がある。私は、ナショナリズムがある。」と答える。
 
自分の中の原理原則
大事だ。

私は時々、逃げる。

「賛成でも反対でもないけど、、、、」とか「どっちいでもいいのだけど」とか、付け加えちゃったりする。

でも、本当にどっちでもいいと思っているのは、どうでもいいと思っているからだ。真剣に向き合っている自分自身の問題なら、どっちでもいいとはならない・・・。

 


 
対談のきっかけになった香山さんから佐藤さんへの問いは、
「不条理は普遍的、本質的物なのか? それとも、社会的、政治的物なのか?」ということ。
本文中に、その答えが明確に出てくるわけではないのだが、佐藤さんは、
「人間は不合理な生き物。だから、宗教があるのではないか」
ポストモダンは、論理整合性や実証性を無視する」
と話している。
やはり、不条理は、人間がつくりだす社会的、政治的なものである、という事だと思う。
 
戦後民主主義ポストモダン、資本主義、と時代が変化してきた中で、アメリカでのトランプ大統領の出現のように、ナショナリズム排他主義が大きくなっている。ある人にとっては、不条理だ。イタリアでコロナによる死者が大量に発生したとき、隣国は病院を提供するどころか、国境を閉鎖した。イタリアにとっては不条理だ。EUは、イギリスの脱退だけでなく、すでに機能していないのではないかと、佐藤さんは言う。
 
そして、ナショナリズム排他主義から、さらに変化していくにはさらに大きな何かが必要であろう、と。それはキリスト教かもしれない、禅かもしれない。でも、宗教を利用するという危ない思想もあるかもしれない。。。


でも、ただの資本主義の時代は過ぎたのは確かだ。
 
格差も、社会が作り出した不条理だと思う。
コロナが発症しても、入院もできずに自宅で亡くなるなんて、そんな不条理があっていいだろうか?と、思う。


 
コロナで自粛が続き、人々の心は内側に向かっている、と佐藤さんは言う。
でも、コロナ前から続いている社会問題を忘れてはいけない、と。
森友問題、さくらをみる会や、日本学術会議任命拒否、、、うやむやにされていることがたくさんある気がする。

今は、自分の命を守ることに一生懸命で、それはそれでいい。だけれど、過ぎてしまったこととして、忘れていいことと忘れてはいけないことがある。

社会の一員として、社会の問題も考えよう。

 

 
でも、やっぱり、内側に向かうときも必要だ。
自分自身のこと、内省する時間も、必要だと思う。
今こそ、メディアの発言に振り回されず、自分で考え自分で行動する時なんだろうと思う。コロナによる自粛は、2020年から続いているから、ちょっと、長すぎるけど、、、。


佐藤さんは、つねに、そこで必要なのは、「常に全力で知的であること」という。
 
香山さんは、「あとがき」で、佐藤さんから教えられた基本、
事態をできるだけ世界の中で、歴史の中で、理性の鏡に照らしながらとらえてみる」という事をわすれず、「今、自分にできることはなにか」を考えている、と書いている。
 

知的であるとは、そいうことだ。


香山さん自身、メデイアにはでるものの、ずっと臨床を続けてこられて、現場と向き合ってきた人。患者と真剣に向き会う事で、自分を磨いてきた人。
 
本書を読んで、一番感じたのは、「直接人と会う事の大切さ」かもしれない。


そして、自分の原理原則を持つこと。
そして、「知的」であること。
たくさんの知識を持つという事ではないけれど、自分の頭で考えるには、知識も必要だ。

 

歴史と理性
 
たくさん、読もう。
たくさん、考えよう。
社会の不条理のなかで、生きていく力は、自分で養うしかないのである。

 

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。