「胎児の世界」 人類の生命記憶
三木成夫
1983年5月25日 初版
2018年8月30日 32版
中公新書
ずっと気になっていた「胎児の世界」。吉本隆明さん、松岡正剛さん、佐藤優さん、茂木健一郎さん、、とにかくこの一ヶ月の間だけでも、何冊かの本の中で目にした。
最初は、数年前に、佐藤さんのお薦め本で出合ったのかもしれない。
命とか、生きるとか、そういう話の流れの中だろうか。
「胎児の世界」というから、生物学のはなしかとおもったら、そんな簡単な話ではなかった。まさに、命の記憶を巡る、果てしない物語、、、だった。
著者の三木成夫さんは、1925年(大正14年)香川県生まれ。1951年東京大学医学部卒業。同解剖学教室。養老孟司さんの解剖学における師匠であるらしい。
この本は、きっと、書き込みをしたくなるだろうと思って、図書館で借りるのではなく、購入した。
手にしたのは、2018年8月30日の第32版。参考文献含めて、226ページ。ごく普通の新書の厚さ。活字が小さい。昭和の香りのする活字。ちょっと線が細いというか、印刷に濃淡があるというか、、、。そして、写真や図もたくさん挿入されている。解剖の図や写真も。
読んで一言。すごい臨場感。宇宙観。
こりゃすごい本だ。
解剖学者が書いた本だから、難しい言葉が多いかというと、そうでもない。三木さん自身の体験がそのまま、その時の気持ちと一緒に臨場感たっぷりに表現されている。生物学の様々な見方も説明されている。
生命の神秘。
過去の記憶。
一個体の発生と、地球生命体の発生と進化。
解剖学者らしい、オタクっぷりと言ったらいいのか、解明するためにとことん実験で向き合う、現実と向き合う姿が、人間らしくて読む人の心をつかむ。
どう説明していいのか、わからないけど、すごく三木さんの世界に引きずり込まれるような本だった。
もともと、私自身の専門が農芸化学、つまりは生化学を含むので、生命に関する興味がたくさんあることもあるが、すごく、面白い本だった。
まえがきは、次のように始まる。
”過去に向かう「遠いまなざし」というのがある。人間だけに見られる表情であろう。何十年ぶりかで母校の校庭に立つ。目に映る一木一草に無数の想いがこもる。「いまのここ」に「かつてのかなた」が二重に映し出されたのであろう。いちいちの記憶が、そこで回想されたのである。 (中略) 記憶とは、本来、回想とは無縁の場でおこなわれるもののようだ。言い換えれば、人間の意識とは次元を異にした、それは「生命」の深層の出来事なのである。”
”悠久の歳月をかけた進化の流れの中で、先祖代々営まれ、子々孫々受け継がれてきたものを「生命記憶」という。”
「生命記憶」、いつどこで習ったのかもわからないけれど、当たり前のように先祖代々、受け継いでいる記憶。日本人には、日本人の生命記憶があるのかもしれない。習慣なのか、記憶なのか、意識することはないけれど、引き継がれていくもの。鳥居を目にすると、悪いことをできなくなる、、とか。日の出を見ると、ついつい手を合わせたくなるとか、、、。天照大の神の記憶か。。。
そんな、自分が生まれるよりはるか昔のことに、ふと気持ちが持っていかれる。
そして、最初の章で始まるのは、三木さん自身が「なつかしさ」を感じた体験とそれにまつわるエトセトラ、、、。
ヤシの実の味。あの固い殻を割って、ヤシの実の汁を飲んだ時、「オレの祖先はポリネシアンか?」と、理屈ではなく、そう感じた、という話。
「母乳」を口にせざるを得なくなった時の、これは飲んではいけない、命の流れを逆行させる、、、と感じた話。
とくに、母乳の話は、衝撃的な告白だ。
二番目の男の子が生まれた時、赤ん坊が体調を崩してお乳を吸わなくなってしまって、奥さんのお乳は搾乳機も受け付けないほどにパンパンにはってしまった。知り合いの小児科医に聞くと、それは「亭主が吸ってやることだ」、と言われて、激しく拒否感を持つ。
その時の、表現がまた、臨場感たっぷりで面白い。
”「なに?」こちらの肉体は、もちろん、そういうことは拒絶する。考えてもみるがいい。哺乳動物の雄が、授乳期の雌の身体に近寄り、しかもその哺乳の間に割って入る、などという光景があるだろうか。母性はしかし、まことに広大無辺だ。そういった男性の思惑など、まるでひと飲みだ。あの深海性アンコウの矮雄の運命か。
「吸え!」それはだから、もはや至上命令に等しかったのである。”
そして、
”この内なる動乱は、しかし、その液体がこちらにやってきた瞬間に、完全に消し飛んでしまう。それは、一瞬の転換だった。かすかに体温より低いものが口の中にスーッと流れ込んでくる。そこには、予想していた味もなければ匂いもない。それでいて、身体の原形質に溶け込んでいくような不思議な感触がある。いったい、どうしてこんな液体がこの世に存在するのか、、、。次の瞬間、ふたたび意識は戻る。ステンレスの流しの上に大量の唾液とともに、何か命を惜しむように静かにそれを流し出す。のんではいけない。けっして飲んではいけない。、、、”
三木さんの体験が、語られ、命の物語につながっていく。
解剖の話も、鶏の解剖から、胎児の成長の観察。
三木さんの研究室には、ホルマリン漬けにされた胎児がたくさん並んでいたらしい。
三木さんは、胎児の発生、成長は、生物の進化の歴史である、という事を言っている。
人間の胎児を生物の進化の過程と照らしてみると、
受胎から32日目、あずき大、古代魚類
34日目、鼻と口の区別がつく。両生類。
36日目、13mm、原始爬虫類。
38日目、原始哺乳類。肺の分化。
40日目、20mm!!
60日目、45mm!!
小さな胎児を、解剖学という視点で見つめる。
そして、医学部の学生時代に、お産に立ち会う。その時の、衝撃の話・・・。
母体の中で、体中が羊水に満たされていた環境から、胎児が外の空気に触れる瞬間。
肺ですら羊水を吸い込んでいたのが、空気を吸い込む瞬間。
おぎゃーー!の瞬間。
まったく、記憶にないけれど、誰もがそうやって生まれてきたのだ。
私も、かつては、胎児で、赤ん坊だったんだ、、、と、回想する。
思い出すのではない。
そうだったのだ、、、と、認識する。
胎児を巡る話から、人間のリズムの話、月の周期の話に広がる。
そして、伊勢神宮の遷宮の20年ごと、というリズムの裏に、準備のための8年間がある、という話に展開する。
20+8 = 28年。
月の周期、28日。
ユダヤ人が肉体感覚として7日に一日は休むべし、として始まった7日間という一週間。
話の展開が広すぎる。
宇宙だ。
人はなぜ生きるのか、なんてことを悩むことが馬鹿らしくなるくらい、生命の神秘の世界。
すごい世界観だ。
自分も胎児だった事、胎児からそれなりの人間になって生まれてきた事、それだけでも奇跡なのだということを、今更ながら、気づかされる。
祖先に、両親に、感謝しよう。
そして、この体を、大事に使おうと思う。