今年の夏の発行。帯には、
”キー ポイントは『”公開情報”をどう読み解くか』
コロナ時代の最新国際情勢を外交のプロが解きほぐす!
混迷の時代を生き抜くための一冊”
とある。
ふらっと立ち寄った本やに平積みになっていて、目に入った佐藤さんの顔写真。
なんだか、とても疲れた顔で、、、、楽し気な本ではない・・・。
1000円。買ってみた。
佐藤さんは、本書の「はじめに」の中で、
”情報の基本は新聞です。”と言っている。でも、新聞だけでは、出来事をどう認識するかを考えるには情報が不足する。だから、こういう本を書いてくれるのだろう。
佐藤さんの意図することを要約すると、
”新聞は客観報道が中心になるので、出来事に対する見方は、雑誌に掲載された専門家の論考が重要になる。哲学や神学の問題について深く考える場合には追加的情報を入れずに深く考えることが有益な場合もある。しかし国際関係は生き物なので、国際社会で起きている現実の出来事は、客観的な事実と、それをどのように認識するのかを専門家の意見も聞いてみたほうがよい。”
という事だと思う。
そして、本書では、
”客観的な事実と私の認識をと評価を分けて記述するように細心の注意を払いました。”とのこと。
佐藤さんの著書が読みやすいのは、まさに、そこ!だ。
事実と認識と、きちんと分けて説明してくれている。個人の見解の羅列ではない。
本書は、
「ウィズコロナ、アフターコロナの国際関係」がテーマ。
以下、覚書。
第一章:コロナ禍がもたらした世界の変化
大きく2つの変化。
一つ、コロナ禍はグローバリゼーションに歯止めがかかった。
とはいっても、各国が鎖国するわけではないので、国家機能・行政機能が強化される。その結果、グローバリゼーション(地球化)からインターナショナリゼーション(国際化)への転換が起きている。
グローバリゼーションは、国境がない。インターナショナリゼーションは、「国」と「国」とのネットワーク。国の機能の強化が求められた。
二つ、格差拡大が起きた。
様々な制限が必要となった中、格差は拡大した。資本主義のシステムでいけば、格差は是正されない。かといって、かつて、社会主義でいこうとしてソ連は崩壊した。社会主義が解決策なわけではない。
「格差を何とかしてくれ」という声にこたえるのが国家。国家が間に入って、格差を強制的に是正する。増税して、再配分するのが福祉の考え方。しかし、「格差はなんとかしてくれ」というけれど、「減税してくれ」という。それは、政府だけでなく社会に対する信頼がないからだ、と佐藤さんはいう。
格差のどこにいるかは自己責任で、自分のことは自分で守る、というのはミクロの側面から見れば正しいけれど、マクロの視点で政治が言ってはいけない。かといって、ポピュリズムに流され、有識者が「減税だ」というのも違う、と佐藤さんは言う。
増税することが結果的に経済的に弱い立場にいる人にとってプラスになり、未来の世代に借金をすることを避けることが出来る。そういうことを、有識者はきちんと説明する責任がある。ポピュリズムに流されるのは政治ではない、と。
なるほど。
佐藤さんは、増税して、社会に再配分するべき、という考えのようだ。わたしも、それが正しいのだろう、とは思う。だがしかし!税金が正しく必要なところへ再配分されているのかが分かりにくいから、なんとなく、また税金増えるのは面白くないなぁ、、と思ってしまうのだ。。。小市民だもの。
第二章:アメリカの情勢
バイデン大統領になったからと言って、アメリカが国際協調的な方向にいくと考えるのは、間違いだ、と佐藤さんは言う。
あ、それはそうかも、と思う今日このごろ。バイデン大統領の支持率は、上がってはいない。アフガニスタンからの撤退、コロナ対策、ハリケーン災害、山火事、国境からの密入国者、、、。国内の課題も山積みのなか、これから国際社会におけるアメリカの存在感はどうなっていくのか?と思う。
ちなみに、バイデン大統領は歴代大統領の中で二人目のカトリック教徒の大統領。一人目は、ケネディ大統領。
バイデン大統領がカトリック教徒であるということは、ローマ教皇の活動にも影響を与えている、という。ローマ教皇のイラクへの働きかけ、中国とバチカンの関係への影響。中国とバチカンの関係が正常化すると、日本の宗教への影響もあるという。日本はカトリック教会の力は限定的だが、創価学会が中国で活動できるか?ということには、大きな影響を与える、という。
中国を核廃絶の方向にもっていくためには、カトリック教会や創価学会が中国での活動をみとめられるようになるということが大きく影響しうる。
なので、バイデン大統領の演説をじっくり聞くより、カトリック教会や創価学会がこの先中国でどうなっていくかに注視したほうが、より正確な情勢認識ができる、というのが佐藤さんの意見。
なるほど。
宗教、恐るべし。
第三章:ミャンマー問題から米中の対立の構図まで
バイデン大統領は、今はロシアより中国への対応を優先させている。時代は、中国に移っているということだろう。宇宙開発を見ていても、アメリカ、ロシア、中国、の時代になった感じがある。
そんな中、日本は、中国のウイグル問題、ミャンマーの人権問題は、アメリカとは距離をおいて独自路線で、上手く立ち回っている、という。
各国それぞれの立場で、立ち回る。まさに、インターナショナリゼーションなのかもしれない。
第四章:ロシア外交
日本が独自に外交を行っている国の一つがロシア。北方領土問題があるからだ。毒を盛られてドイツで治療を受けた、反政権活動家、アレクセイ・ナワリヌイ氏。プーチン批判を繰り返すナワリヌイ氏を巡って、ロシアでは様々な活動、事件が起きている。が、ナワリヌイ氏の毒薬未遂を含め、プーチン政権の対応に対して、日本はあまり制裁や避難をしていない。それは、上手いやり方だ、と佐藤さんは言う。
一方で、北方領土交渉についてのロシアのメッセージを日本のメディアはきちんと受け止められていないことは問題だ、という。
佐藤さんの認識では、ロシアは、歯舞群島、色丹島については、譲歩するメッセージを出しているのに、日本は受け止めきれていない、ということ。
コロナもあって、すっかり北方領土問題が影を潜めている気がするけど、まだまだ、続く課題だ・・・。
第5章:オリンピック問題に見る日本の現状
2021年7月30日初版の本なので、執筆中はまだ開催が確定していなかったと思う。でも、佐藤さんは、「もはや開催は確実なのでそれを前提にして、、、、」と書いている。
様々な人が口にしていることだが、今回のオリンピック開催の意思決定は、第二次世界大戦のガダルカナル戦に似ているという。
続ける方が、やめるより楽・・・・・。
立憲民主党や共産党が政争の具にしてしまったから、余計に菅政権はオリンピックに突き進むしかなくなった・・・。
なるほどな、と思う。
政党を選んでいるのは、私たち国民だ。
一人一人が、もっと社会の仕組みを理解して、社会の一員として自分が何をしなければいけないかを考えなくてはいけない、という事なのかもしれない。
そして、人間の感情でもっとも処理することが難しいのは、アイデンティティーであり、アイデンティティーは、誰もが複数持っている、という。
佐藤さん自身は、外交官として、プロテスタントとして、沖縄人として、3つのアイデンティティーを持っている。それぞれのアイデンティティーでの良心で考え、発言、行動する。佐藤さんが沖縄人、ということはあまり感じたことはないけれど、佐藤さんの中では沖縄問題が深刻化するほどに、そのアイデンティティーが高まる気がしているようだ。
先日読んだ、「不条理を生きる力」のなかでの香山さんとの対談で、沖縄問題についても言及されていて、そうか、そういう事だったのか、と、本書を読んで気が付いた。
世の中、複雑系だな、、、とつくづく思う一冊だった。
この本一冊で、国際関係が読み解けるわけはないのだけど、こういう情報も時にはインプットしたほうが、自分も社会の中の一人である、という自覚につながる気がした。
昨日、市長選のチラシがポストに入っていた。
選挙の時、国政選挙でも地方選挙でも、私は結構悩む。
選挙は行こうと思うけれど、100%自分の考えと同じ政党はないし、かといって棄権するのは、良心の呵責がある。
自分のアイデンティティーは何で、何を良心の軸とし、政党を選ぶのか。
政治に関心がない、なんて言っていてはいけないのだなぁ、と、ちょっと考えた。
税金も払っているしね。
すぐに、ポイっと捨ててしまう選挙のチラシだけど、ちょっとは目を通してみようかな、と思った。。。。
佐藤さんの一冊、なかなか、刺激的。
読書は、楽しい。