人生論ノート 他2編
三木清 著
岸見一郎 解説
角川ソフィア文庫
平成29年3月25日初版発行
これまでも何度も読もうと思ったけれど、難しそうだなと思って手にしていなかった。
まずは図書館で借りて読んでみることにした。
人生論ノートは、もともと1938~1943年、『文学界』に断続的に連載されていたもの。1941年、創元社から、「人生論ノート」単行本として刊行された。
今回、手にしたのは、平成29年、2017年に岸見さんの解説付きで、角川ソフィアから発行されたもの。
難しそうで、敬遠していたのだけれど、すっと入ってくる感じのエッセイ集だった。
著者の三木さんは、1897年兵庫県生まれ。
旧制第1高等学校を経て京都帝国大学文学部哲学科に入学。西田幾多郎に師事するために京都大学へ行った。大学卒業後は、岩波書店の後援を受けて、ドイツ・フランスへ留学。当時のドイツ哲学を代表していたリッケルト、気鋭の哲学者ハイデッカーの元で学んだ。パリでは パスカル の研究に着手。帰国後1926年に『パスカルにおける人間の研究』として刊行された。1929年に結婚。結婚翌年、共産党に資金を提供したとして治安維持法で検挙起訴。拘留されていた間に一人娘が生まれた。
1936年の夏、妻喜美子が急病に倒れ、亡くなる。まだ33歳だった。
その後1939年再婚。しかし再婚した妻も、1944年に病気で亡くしてしまう。戦時中のことだ。
娘とともに埼玉に疎開。農家の2階に間借りし、穏やかな暮らしをしていたが、この疎開先で1945年3月17日に逮捕される。反戦容疑だった。思想犯として拘留されていたところを逃走した旧友の高倉輝が、三木を頼って尋ねてきた。それが警察の知れるところとなり、逮捕された。
三木さんは、結局、敗戦後もすぐに釈放されることなく、そのまま48歳で獄死した。
なんて、、、不運に振り回された人生だったのか、、、と思う。
本書の「人生論ノート」は、テーマごとに、
死について
幸福について
懐疑について
習慣について
虚栄について
名誉心について
怒りについて
人間の条件について
孤独について
・・・・・・・
と、つづられていく。
どの項も、覚書として書き残しておきたいことが満載。
全体に特徴的なのは、多くの哲学者らの名前、言葉が引用されていること。
言論の自由が今ほど保障されていなかった戦前、レトリックを駆使することを、想いを伝えるための手段としてつかったのだろう、と岸見さんは解説している。
死について
パスカル「人は誰ひとり、死ぬるであろう」
偽善について
ラ・ブリュイエール「人間は生まれつき嘘つきである」
健康について
ベーコン「何が自分のためになり、何が自分の害になるのか、の自分自身の観察が健康を保つ最上の物理学である。」
引用だけでなく、三木さんの言葉にも心うたれるものがたくさんある。
”幸福は徳に反するものではなく、むしろ幸福そのものが徳である。もちろん他人の幸福について考えねばならぬというのは正しい。しかし我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善い事をなし得るであろうか。”
大切な人の幸せのためには、自分が幸せであること。
”愛は統一であり、集合であり、連続である。怒りは分離であり、独立であり、非連続である。”
行き過ぎたナショナリズムは、統一であり、排他的であり、、、、排他的なものは怒り、恐れ、から来るのかもしれない。。。国民国家がある限りは、戦争はなくならないのか、、、。
怒りについては、
”怒りを避ける最上の手段は、機智である。”とも言っている。
名誉心(自分に対するもの)と虚栄心(世間に対するもの)との区別があいまいになり、怒りの意味があいまいになる。怒りの意味をあいまいにしないことが、怒りを避ける手段、ということか。
”孤独というのは独居のことではない。独居は孤独の一つの条件に過ぎず、しかもその外的な条件である。むしろひとは孤独を逃れるために独居しさえするのである。隠遁者というのはしばしばかような人である。”
”孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。”
よくわかる。
一人でいることは、孤独ではない。一緒にいるのに、心の中の何かを共有していないことが孤独を呼ぶのではないだろうか。
離婚間際の夫婦が、別居を選ぶのは、一緒にいる方が孤独だからだではないのか。
また、三木さんは、
”孤独を味わうために、西洋人なら街に出るであろう。ところが東洋人は自然の中に入った。”と言っている。
東洋人にとっては自然は社会のひとつであり、東洋人にとっては人間と自然とが対立的には考えられないからだ、と。
なるほど、面白い視点だと思った。
キリストという神を信じるていきているのか、アミニズムに生きているのか、、そういうことなのか?ちょっと、難しいけど、孤独を味わうために自然に入るっていうのは、わかるような気がする。自然に見捨てられることほど、恐ろしいことは無い・・・。
”もし無邪気な心というものを定義しようとするなら、嫉妬心でない心というのが何より適当であろう。
自信がないことから嫉妬が起こるというのは正しい。もっとも、何らの自信もなければ嫉妬のおこりようもないわけであるが。”
嫉妬心についての項にでてきた言葉。自信がないから、嫉妬する。いや、ちょっとだけ自信があるけど、自分より高みにいる人に嫉妬する。
劣等感と嫉妬は、もしかすると同じなのかもしれない。
劣等感なんてものは、、、自信があれば持たずに済むものかもしれない。
自信を持てるかどうか、、、最後は自分にしかできない。
どんなに人から応援されても、褒められても、自信は自分でしか持つことはできない。
と、そんな風に思う。
”誰も他人の身代わりに健康になることができぬ。また誰も自分の身代わりに健康になることができぬ。健康は全く銘々のものである。”
至極、その通り。
自分の健康は、自分で守る。。。。
ほかにも、たくさん、たくさん、、、うなずきながら本を読んだ。
人は、一人だ。そして、一人では生きていけない。
やはり、自分を幸せにするのも、不幸にするのも、自分なのだ。
自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。
私は、自分で決めた時間の使い方をしているだろうか?
大切だと、思い込んでいることに振り回されていないだろうか?
自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。
ちょっと、時間の使い方を振り返ってみたいな、、、と思う一冊だった。
読書は、楽しい。