「近代神学の誕生」 シュライアマハー『宗教について』を読む   by 深井智朗 佐藤優

「近代神学の誕生」シュライアマハー『宗教について』を読む
深井智朗 佐藤優
2019年1月25日
春秋社

 

佐藤さんの神学関係の本、読んでみた。
シュライアマハーは、神学者であるということ、『宗教について』を書いた人、という事以外はほとんど知らない。
なので、読んでみたものの、理解できたのは、1割?
読んだと言えないかもしれない。
でも、目は通してみた。

覚書として残しておこうと思う。

 

著者の一人、深井智朗さんは、東洋英和女学院院長。1964年生まれ。佐藤さんより4歳若い。佐藤さんがもっとも尊敬するプロテスタント神学者の一人だという。 最近、『宗教について』の新訳を出された。

プロテスタント二人の対話。 

 

深井さんは東京神学大学を卒業されていて、牧師の資格もお持ち。
一方の佐藤さんは、同志社大学神学部の卒業で、牧師の資格を持っているわけではない、普通の信徒。
教会の実情について詳しい深井先生と、外交や国内政治についての内在的論理がわかる佐藤さんと二人の対話。 それぞれの得意な分野を持ち寄っての対話、という事。

 

しかし、その深みまでは、私には理解できなかった。

頭の整理に、少しだけ、覚書。

 

シュライアマハーは、1768-1834年、ドイツのシュレジェン地方の都市ブレスラウで生まれる。父は改革派の牧師で熱心な敬虔主義者。マクデブルク近くのバルビーの敬虔主義の神学校で学んだ後、ヴュルツブルク大学の神学教授などを経て、1811年、ベルリン大学教授、初代の神学部長を務めた人。『宗教について』という本を書いた。

 

日本では、西田幾多郎がシュライアマハーに影響を受けているという。でも、実は西田幾多郎は外国語があまり得意でなかったので、最初の数十ページを読んでその先を読まず、それでも大体の理屈がつかめるから、、、という事だったらしい。オリジナルな思想を持つ人にとっては、それでいいらしい。

 

私なんて、わけわからないままによんで、わけわからないまま、、、、だが・・・。
比べるものではないか。

 

シュライアマハーは、その時代の教会のありように疑問をもっていたから、『宗教について』という本を書いた。副題には、「宗教を侮蔑する教養人のための講話」とあった。でも、深井さんと佐藤さんの読みは、そう書きながらも実際には、教会の内部にいて、教会を取り仕切っている当時の人々に対して書いたのではないか?と。内部批判のようになるから、そうは書かなかった。「今の教会指導部に対する根源的批判」なんて書いたら、大変なことになる。。。佐藤さん曰く、シュライアマハーの特徴として、めんどくささを避ける傾向にある、と。平和主義、対立を好まなかったのかな、と思う。

 

そして、シュライアマハーが言いたかったことは何かというと、「宗教と道徳を一緒にしてはいけない。区別するべきもの。」ということ。宗教は、一人一人が直感と感情で感じる普遍的なものであって、教会が「このように生きなさい」と説教するのは違うのでないか、という事だった、、と、私は理解した。


啓蒙主義のように、教会が生き方を啓蒙するのではなく、一人一人が、直感で感じればよい。啓蒙主義は理性が必要なわけだが、理性だけでは人は上手く生きていけないから、感情とのハイブリッドでいいのではないか、ということ。
啓蒙主義の克服、というのがシュライアマハーが目指したものだった。それは、形而上学の否定、という事でもあった。


とまぁ、難しい話が続くのだが、シュライアマハーが対峙しなくてはいけなかった、啓蒙主義形而上学というのがなんとなくわかるような気がした。

 

広辞苑から復習。


啓蒙主義
ヨーロッパ思想史上、17世紀末に起こり、18世紀後半に至って全盛に達した旧弊打破の革新的な思想。人間的・自然的理性を尊重し、宗教的権威に反対して人間的・合理的思惟の自律を唱え、正しい立法と教育を通じて人間生活の進歩改善幸福の増進を行うことが可能であると信じ、宗教・政治・社会・教育・経済・法律の各方面にわたって旧慣を改め、新秩序を建設しようとした。代表者にイギリスのロックヒューム、フランスのモンテスキューヴォルテールドイツのヴォルフ・レッシング・カントなど。
 
形而上学
元来「自然学の後に置かれた書」の意で、ロドスのアンドロニコスがアリストテレスの死後、著書編集の際に、存在の根源的原理を論じた書を自然学書の後に配列したことに由来。アリストテレスにおける第一哲学。
現象を超越し、その背後にあるものの真の本質、根本原理、存在そのものなどを探求しようとする学問。神、世界、霊魂などをその主要問題とすることが多い。

 

理屈や理性もいいけど、直感と感情も大切にしよう。でも、人とのかかわり、社交も大切にする。。。と、そういうことなのか?

 

シュライアマハーが「宗教について」で、言いたかったことを読み解く、というよりは、どうしてこういう本を書いたのか、その背景は何だったのか、という事の対談だったように思う。

 

廣松渉の言葉が引用されていた。
「哲学者は失敗した政治家だ」

なるほどね。

 

神学も哲学も、やはり、まだまだよくわからない。
わからないから、色々読んで、点と点がつながる日を待ってみようと思う。 

 

難しい本だったけど、つまらない本ではない。

つまらない本は、途中で読むのをやめるけど、途中で投げ出したくなる感じではなかった。

難しい本は、一度で理解しようとしないでいいと思う、、、ことにしている。

似たような言葉が、またどこか出てて来ると、あ、あれかもしれない、って点と点がつながることがある。

たぶん、それが、読書や勉強していて楽しいことの一つだ。

 

ヨーロッパの歴史、哲学、宗教をもう少し読んでみたら、また読み直してみようと思う。

だいぶ先になりそうだけど。

こういう本がある、ということが認識できただけ、収穫だ。

 

そう、だから、それでも、読書は楽しい。