「日本人は思想したか」
平成11年1月1日発行
日本を代表する思想家たち3人の鼎談。一番若い中沢さんが全体の進行役を務めるような形で鼎談が続いていく。
あとがき含めて343ページの文庫本。なかなか、充実。
吉本隆明さん、1924年(大正13年)東京生まれ。詩人。思想家。
梅原猛さん、1925年(大正14年)仙台生まれ。哲学者。
中沢新一さん、1950年(昭和25年)山梨生まれ。宗教学者。チベット密教に詳しい。
大体、なぜこの本を読もうと思ったかと言うと、聖徳太子のことを書かれた何かを読みたいなと思って検索していたらこの本が引っかかった。
「聖徳太子」「お薦め本」かなにかで検索したと思う。ただの歴史の教科書ではないものがいいな、とおもって選んだのがこの本だった。
確かに聖徳太子のことも少しは出てくるのだが、まぁ全体には昔の日本人の宗教観とか政治、文学、、あるいは和歌を作った時代の人の話。聖徳太子とは別に、なかなか興味深かった。
鼎談で、わかりやすい話ことばだし、三人の軽快なやり取りが小気味よい。だが、難しいと言えば難しい。何が難しいかというと、出てくる固有名詞、単語が、聞きなれていないというか、すぐにその言葉の背景やら概要が把握できないと、読んでいても思考がハタと止まる。
で、よく、工夫されているなぁ、と思うのが、単語の説明が各ページの下に記載されているのである。つまり、文庫本であるが、本文はページの下2割程度を使わずに記載されていて、*のついた言葉が、同じページの下に説明されている。
これは、なかなか、読みやすい。きっと、毎度毎度ページをめくって*の説明を見にいかなくていいような工夫なのだろう。
おかげで、知らない人の名前を、それなりに理解して読み進めることが出来る。
そうしないと読み進めないくらい、たくさんの固有名詞がでてくるということだ。
本の後ろ表紙に書かれた説明。
”縄文人と弥生人、半目から共存への図式。「あいだ」の表現としての歌。城壁なき律令国家の誕生。仏教変容の宇宙的規模。「近代の超克」はさらなる超克へ。極東のこの島国で連綿と演じられてきた精神のドラマ。その独自性と真価を、広く世界をも見据えつつ徹底検証する。常に時代と切りむすんできた三知性が集い、火花を散らした全記録。5つの鼎談が今、価値大転換期の混迷を照らす。”
なんて、分かりにくい説明、、、、、。と思うけど、、、、。
最後の一文にあるように、5つのテーマで鼎談が進む。
1 日本人の「思想」の土台
「日本思想」と言う言葉の意味について語り合いながら、国家というものへの日本人の、ものの見方、アイヌ・沖縄・本土との関係性、などなどが語られる。
壬申の乱(672年:皇位継承内乱)やら、神仏習合の話がでてきて、天皇と神、国家神道などについて語り合う。
日本の思想の土台というと、やはり、神話が切り離せないようだ。
2 日本人の「思想」の形成
ここで17条の憲法の背景が出てくる。聖徳太子、といえばやはり仏教。日本の仏教に一番大きな影響をあたえたのが天台本覚論で、仏性はすべてものに存在するという「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」の考え方。これは、神道にも近づく。
それが、人間中心から自然中心へと大きな思想の流れになったのではないか、というのが梅原さんの説。
そして、梅原さんが重要な思想家として「行基」(668~749)をあげる。私にはあまりなじみのない人の名前だったけれど、本書の引用文によると、
行基:薬師寺で修行した後、弟子たちと諸国を巡業し、弾圧を受けながらも民衆教化や社会奉仕に尽力した。後に聖武天皇より専任され大僧正になり、奈良の大仏の建立などに当たった。
と、奈良の大仏を作った人。
本書のなかでは、他にも行基の話がたくさんでてくる。
行基は、思想家だけども本を一つも書いていない。
梅原さんは、
「私はどうも本をかかない人の方が書く人より偉いという考え方をこの頃持っているんですけどね(笑)」といい、
それに吉本さんが、
「ああ、そうですか。僕は恥ずかしいですね。百以上あるそうです(笑)」
と返す。
難しい議論の合間に、なかなか、楽しい会話が合間に挟まる。
3 歌と物語による「思想」
和歌の発生について、語り合う。『古事記』は歌物語ではないのか、という話。ほか、竹取物語や源氏物語、今昔物語等、懐かしいタイトルが並ぶ。
「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜を一人かも寝む」
久しぶりに目にした。柿本人麿。
百人一首にもなっているから、懐かしい人は多いのでは?
西暦600年代の人の言葉の巧みさ、現代人よりよほど旨いのでは?
頭の使い方、使いどころが違ったのだろうなぁ、という気がする。
また、中沢さんが、レヴィ=ストロースもフランス語で「古事記」を読んでいたという話をする。そして、レヴィ=ストロースは「日本神話は素晴らしい」、と。
へぇぇ!という、感動。レヴィ=ストロースなりに、南米神話と日本神話を比較していたらしい。面白い。古事記、やるなぁ、って感じ。
4 地下水脈からの日本宗教
ここでは結構詳しく宗教のことが話される。
面白かったのが「毛坊主」の話。坊主ではなくて毛が生えてるから毛坊主。普段は他の人と変わらない生活をしているのだけれども、お葬式があったりするとお葬式を取り仕切ったりちょっと僧の役割をしていた人たちのことらしい。そういう毛坊主が普通の仏教を伝えていたのではないかと言う話。
そこから話は、親鸞から聖徳太子。親鸞は聖徳太子の生まれ変わりではないかという話。法然がデカルト的な思考であったと言う話。
多神教と一神教の起源に関すること。やっぱり怨霊鎮魂というのが日本人の宗教の基本だったのではないかと言う、梅原さんの得意な学説。
5 近代の超克から現代の超克へ
空海や最澄は新興宗教だ、といった人の話。結局、分裂性パラノイア的でなければ新しいものを生み出せないのではないか?という話に飛ぶ。
最後に吉本さんが「終わりに一言」、梅原さんが「鼎談の楽しさ」、中沢さんが「とりあえずここまで」と言うあとがきを書いている。
日本人は、思想したんだね。
それが詩になり、文学になり、政治になる。
とにかく、たくさんの人の名前がでてきた。
平安~室町の人々、最近でいえば、
折口信夫、和辻哲郎、鈴木大拙、丸山真男、西田幾多郎、などなど。。。
海外の思想家で言えば、デカルト、ニーチェ、ハイデガー、などなど。。。。
とにかくたくさんのバックグラウンドとしての知識がないと読み進むのは大変だろうなと思う本だった。ページごとの引用に感謝。
でもなんとなく全体的に言いたい事は、昔から日本人はやっぱり何かを考えてきた。
そしてその根底にあるのは、確かに仏教だったかもしれないけれども、その昔はやはり八百万の神、自然の中の神様、あるいは怨霊となってしまった霊魂。
怨霊を神様とは言わないかもしれないけれども、怨霊となってしまった故人を鎮魂するために作ったお寺、神社。そう梅原さんはそういう意味で法隆寺を見つめた人。
日本人の思想と言う話をしたときに、アイヌや縄文、沖縄の話が必須というのも、こうして順序立ててくるとよくわかる。
ちょっとした、日本史の教科書のような本だった。
聖徳太子についての情報を求めてよんだけれど、そういう意味ではちょっと違ったけど、「日本のこころ」を考えるという意味では面白い。
日本人って、いつの時代から日本人なんだろうか?
縄文人もやはり、日本人なのか?
言葉を持ってからなのか?
どうでもいいけど、そんなことも考えてしまった。
なかなか、日本の成り立ちを勉強するのにも面白い本。
やっぱり、歴史を理解するのって大切かもなぁ、と思わされる。
また、もう少し日本の中世の歴史を勉強してから読み直してみよう。
読書は、楽しい。