「〈危機〉の正体」 by 佐藤優 富岡幸一郎

「〈危機〉の正体」 

佐藤優 富岡幸一郎

2019年10月28日 第一刷発行

講談社

 

図書館の棚で見つけた本。手に取ってみた。
表紙には、
「暴発するテロ、迫るファシズム、広がるインターネットの闇、底なしの格差と貧困。見えない危機の時代を生き抜く最強の読解力を身につけろ!」
とある。

 

著者の一人、富岡幸一郎さんは、1957年東京都生まれ。文芸評論家。関東学院大学国際文化学部比較文化学科教授。鎌倉文学館館長。そしてプロテスタント神学者


プロテスタント神学者である二人の対談。

 

「まえがき」の中で佐藤さんは 、危機について語るときには、単に危機を分析、認識するだけではなくて、危機から抜け出すための処方箋についても考えなくてはならない、と言っている。


そして、そのことを徹底的に語り合いたかったのが、富岡幸一郎さんだという。富岡さんも佐藤さんも、日本基督教団に所属しているプロテスタント。二人に共通しているのは、スイスのプロテスタント神学者カール・バルトから、強い影響を受けているということ。

 

カール・バルトは、第一世界大戦の大量殺戮、大量破壊によって、キリスト教文明が崩壊する状況を見て、神とは?ということを根本的に見直した神学者。バルトの神学は、危機の神学ともいわれる。

 

神学も、いくつかの種類があるそうだ。また、時代のなかで色々と変わってきたわけで、最近つくづく、世界の歴史や哲学を理解しようとすると、神学に触れないわけにいかないということを思う。


そして、この本を通じて、ようやく、少し、佐藤さんのいわんとすることが、少し、、、少しだけ、見えてきたような気がする。

 

時代を円環でとらえる日本の文化と、直線でとらえるキリスト教の考え方。
その違いがあるのだという事を認識すると、キリスト教終末論を前提に危機を受け止める佐藤さんたちキリスト教徒の考え方と、昨年のことは水に流して新年を迎える習慣がある一神教ではない日本人の物事の受け止め方、違って当たり前、ということが見えてくる気がする。


その違いがもたらす危機への対応も異なる。だから、危機が起きた時に、個人の受け止め方も異なる。

 

始めがあって、終わりがくるまで続く直線的な時間への理解。
始めがあって、終わりはなくいつまでも輪廻する、円環な時間への理解。

 

なるほど、そういうことか、と、ふと、腑に落ちた気がした。

 

そして、「まえがき」のなかで、佐藤さんが、
キリスト教徒である私は、私を含む全ての人間が罪に濡れていると思っている。罪が形をとると悪になる。危機の時代には、罪が形になりやすく、世界が悪であふれることになる。このような状況で救済が外部から到来することを『急ぎつつ、待つ』ことが重要なのである。この『急ぎつつ、待つ』ということの意味について、本書を最後まで読んでくださった読者には理解していただけると信じる。」
と書いているのだが、「まえがき」として最初に読んだ時には、さっぱり意味が分からなかった。
さらっとだけれど、2回続けて読んでみた。
そしたら、少し、分かった気がする。

 

佐藤さんは、「二人のプロテスタント使徒として」この本をつづる、という事も言っていて、お二人の対談が、「使徒の言葉」なのだと、それは、読者にとっては外からの救済なのだと、そいうことなのかな?と思った。

 

佐藤さんは、「救済」がくるのを黙って待っていよう、と言っているのではない。だから、「急ぎつつ、待つ」のだと。

 

新自由主義によって、あらゆることが「自己責任」と言われる時代に生まれ育った若者たちは、やもすると、「自己責任」という価値観を押し付けられているところがある。いやまてよ、生まれた時代は、自己責任とは違うだろう。

 

生まれた時代、国、家庭、自分ではどうにもならない外部環境もある。それを「自己責任」で何とかしろ、と言うのは間違っている。すでに格差のなかで生まれたことを、「自己責任」で片づける社会は、無責任だ。
だからこそ、声をあげる。
それは、文学という形をとることもある。


本書では、さまざまな文学作品が取り上げて、そこで語られている危機、それこそは一つの声である、という。

 

なかなか、面白い本だった。

 

最後の方で、富岡さんが、戦争孤児は言葉をもっているけれど、今の貧困にあえぐ子供たちは、言葉がない、、、という事を言っている。
言葉を持たない。
つまりは、自分を表現することができないということ。
相対的貧困の深い闇。
絶対的貧困は、わかりやすく、救済の手ものべやすい。
でも、義務教育は受けた、高校も通ってはいる、けれど続かない。相対的貧困
難しい課題だな、と思った。


でも、そいう現実こそが「危機」であり、その危機をより多くの人に知ってもらうためにも「文学」で表現する世界がある。

 

本書の中では、いくつもの小説が紹介されている。
沖縄の問題、在日の問題、貧困の問題、、、、ちょっと、読むと辛そうだな、、、と思う作品も多く紹介されていて、そいう類の本は、手に取るか、、悩むところだ。
でも、読むことで世界が広がるのだろうな、とも思う。 

小説という形で読むことで、悲惨なニュースで知るよりも、救いようがあるかもしれない・・・。

 

表紙に「見えない危機の時代を生き抜く最強の読解力を身につけろ!」とあった意味が、本書を2回通して読んでみて、少しわかった気がする。

 

なかなか、深く、じんわりと、考えさせられる一冊だった。

小説も、ただストーリーをなぞるだけではない読み方もあるな、と改めて思う。

 

難しくても、

悲しい話でも、

やっぱり、

読書は、楽しい。