今日教えていただいた、禅の一言
遠山無限碧層々
(えんざんむげんへきそうそう)
碧巌録第20則
禅語、公案の一つ。
お茶室などにも良く飾られるらしい。
書で書いたら、けっこう、素敵かもしれない。
漢文:
堪對暮雲歸未合、遠山無限碧層々。
読み:
対するに堪えたり、
暮雲の帰って未だ合せざるに 遠山限り無き 碧へき層々。
意味:
遠山は、果てしなく遠い山。山々が、幾重にも、緑をなしてつらなっている。暮れなずんで、夕焼けが出始めた頃の雲の中に、緑の山々が幾重にもつらなっている。
素晴らしい境涯、限りなく続く、素晴らしいではないか、、、。
『十牛の図』という、禅における心境の変化を表したものがある。
牛、というのは、禅で言う心の最高の状態。
1. 尋牛 (じんぎゅう)
2. 見跡 (けんせき)
3. 見牛 (けんぎゅう)
4. 得牛 (とくぎゅう)
5. 牧牛 (ぼくぎゅう)
6. 騎牛帰家 (きぎゅうきか)
7. 忘牛存人 (ぼうぎゅうそんじん)
8. 人牛倶忘 (じんぎゅうぐぼう)
9. 返本還源(へんぽんかんげん)
10. 入鄽垂手(にってんすいしゅ)
どうしたら心が安定するかと、牛を探すところから修行が始まり、牛を見つけて、牛を捕まえる。そのうちに、牛は捕まえておかなくても、心が安定してくる。
修行の途中の状態。
第7段階の『忘牛存人』(ぼうぎゅうそんじん)の段階は、もう、悟りや心境のことを忘れてしまって、人だけがある。
迷いはもとより悟りの臭みをもきれいに拭い去り、人格の完成という修行の目的の一半をなしとげた段階。
これを『長い苦しい旅を終えてわが家に帰り、威儀も軌範も忘れてドッカと安坐する』境涯という意味で、『帰家穏坐』ともいう。
「堪對暮雲歸未合 遠山無限碧層々」は、そんなドッカとした安坐している感じ。
でもそれでも、まだ修行は終わらない。
日々の暮らしは続き、その中で、ゆったりと、どっかりと、安坐しつつも暮らしていく。
ただ、そこに安住するのではなく、日々、暮らす。
出かけたり、商売をしたり、家族と暮らしたり、、、
そして、修行は続いていく、、、
毎日が、修行、ってことかな?
あれもこれもと欲張らずに、小さな感動に感謝して、そして日々暮らしていく。
そんなことかな。
今日も、コーヒーが美味しい。
そんなことにも感謝しよう。
今日の朝の坐禅は、「無」というより、「眠い」、、、だった。
それでも、自宅からオンラインで参加できる坐禅を毎週開催してくださる主催の方に、感謝。
先週は、うっかり寝坊してしまったので、今週は出たかった。
眠かったけど、坐った。
坐れば、すっきりする。
ありがとうございます。
朝から、ありがとうを口にすると、ちょっと気持ちいいね。
ありがとうございます。
今日も一日、がんばろう。