「体験」が意味を持つとき Connecting the dots

「宇宙からの帰還」を読んでいて、ハッとする文章があった。

 

megureca.hatenablog.com

 

"別に宇宙体験に限ったことではないが、体験はすべて時間とともに成熟していくものである。とりわけそれが重要で劇的な体験であればあるほど、それを体験しているまさにその瞬間においては、体験の流れの中に身をゆだねる意外に時間的余裕も意識的余裕もないから、その体験の内容含意をつかむことができるのは、事後の反省と反芻を得てからになる。”

 

これは、立花さんの文章だ。

 

この文章が出てきたきっかけは、アポロ9号の宇宙飛行士であったラッセル・シュワイカートへのインタビュー。

シュワイカートは、宇宙から戻って8年後ある時、「宇宙船地球号」の概念を提唱した数学者であり建築家・思想家のバックミンスター・フラーと対談の機会を得た。そして、その対談の合間に、フラーがサラサラと走り書きした詩をシュワイカートに渡した。

 

Environment to each must be

"All that is, exceptomg me."

Universe in turn must be

"All that is including me."

The only difference between environment and universe is me.........

The observer, doer, thinker, lover, enjoyer

 

それぞれの人にとって環境とは

「私を除いて存在する全て」

であるにちがいない。

それに対して宇宙は

「私を含んで存在する全て」

であるにちがいない。

環境と宇宙の間のたった一つの違いは、私、、、

見る人、為す人、考える人、愛する人、受ける人である私

 

シュワイカートは、目を開かれた思いがしたという。

宇宙からもどって、8年目。

この詩によって、自分の8年前の宇宙体験をより掘り下げることが出来たのだという。

 

そして立花さんは、

”どんな体験でも体験者を少しは変えずにはおかない。
取りに足りない体験は取るに足りないくらいに、小さな体験は小さく、大きな体験は大きく、その人を変える。といっても体験の価値的対象は主観的判断だから、ある人には取るに足りない体験に過ぎないものが、別の人にはその生涯を変えるような大きな体験になると言うことも、またその逆もしばしばある。

いずれにしろ潜在意識下で始まった変化が、当人が気づかずにはいられないくらい大きくなったときに、人はそれをもたらした体験の内的意味を解釈しようとして、意識的な反省を始める。それがどれだけ成功するかは、もっぱらその人の内省能力に関わる問題だ。”

と続けている。

 

経験している最中は、気がつかない。

そこに、どんな意味があるのか。

ある時、点と点がつながる。

 

スティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学の伝説のスピーチで言っていたのも同じようなことかもしれない。

Connecting the dots

未来でつながる点と点。

 

「宇宙からの帰還」が、出版されたの1983年。立花さんは1940年生まれだから、この時43歳。うむ。確かに、そいういう事に気が付くのって、40を過ぎてからかもしれない。でも、43歳は早い!

 

スティーブ・ジョブズは、1955年生まれ。スタンフォード大学の卒業式で語ったのが2005年。50歳。

 

若い人たちに、”どんな経験も絶対無駄にはならないから”、と言うようになるのは、きっとそれを自分で自覚してからだ。

若いときに言われても、やはり、そんなこといったって、、、、と思ってたし、そういうものだ。

 

経験しないと、わからないものは、やっぱりある。

何が、人生を変えるほどの経験になるかは、その人によって違うから、自分と同じ経験を押し付ける必要もなければ、薦める必要もない。

ただ、その人が何かを経験できる機会を提供する。それでいいのだと思う。

機会をえられるように、支援する。

それでいいのだと思う。

 

ひるがえって、自分にとっての、人生を変えるほどの経験はなんだったか。

とくに、人生が激変した、とは自分では思わないものだけれど、たしかに、10年、20年前の自分は、今の自分とは違う。

でも、自分の続きの自分ではある。

 

少しずつ、点と点がつながる経験を重ねて、線がつながっていく。

それがどれだけ成功するかは、もっぱらその人の内省能力に関わる問題だ。

時間がかかってもいいから、やっぱり、内省しよう。

 

内省して、内省して、繰り返して、繰り返して、堂々巡りして、、

進んでいないようだけど、確実に毎日、歳はとる。

何かの経験は重ねる。

50も過ぎれば、はたから見れば、後退していくこともある。

でも、代わりに何かが前進しているような気がする。

 

体験に意味があるという事に、気づく体験。

それが、50を過ぎての楽しみかもしれない。

 

内省する時間、たちどまる時間も、時には大切だ。

たまには、立ち止まって考えよう。