時々、不思議に思う事がある。
夫婦というのは、何でもかんでも共有するのだろうか?
物のことを言っているのではない。
情報、人の話、、のことだ。
たとえば、外で友人との会話ででてきたことを、自宅に帰って旦那に話すということには、一般的な夫婦は、何の躊躇もないのだろうか?
例えば、私(女)が、友人A(女)に、個人的な恋の悩みを話したとしよう、、、。
恋の話というのが、ちょっと現実離れしているから、親の介護の話、、とでもしておくか。。。
それを、後日、友人Aの旦那(男)から、「介護で大変だね」と言われたとする。私は、Aの旦那のこともよく知っていて、私とA夫妻がよく知っている仲だとしても、私にはちょっと不思議なのである。
あ、A(妻)が、A(夫)に話したんだな、と、流れはわかる。
内容にもよりけりだけど、誰かと会話するのに、いい年して
「内緒のはなしなんだけど」とか、「秘密にしてほしいんだけど」とか言わない。
大人の良識として、ペラペラしゃべったりはしないだろう、と思うから。
でも、きっと、夫婦の会話として、「○○さんが、お父さんの介護で大変なんだって」みたいな会話は、普通なのだろう。
まぁ、特に、介護の話は、別に良いとして、なんでもかんでも共有するのはどうなのか??と、思ったりするのである。
たとえば、本人にとってそんなに喜ばしくない話。
失敗、失恋、降格、、、、。
夫婦ともによく知る仲なら、それとなく、共有しておいてもらった方が楽なこともあるかもしれない。
逆に、まったく知らない配偶者なら、どうでもいいかもしれない。
でも、夫婦だからって、何でもかんでも共有するものなのかなぁ、、、って、
時々不思議に思う。
夫婦の間には、秘密は無い方が、当たり前なのか?あるいは、夫婦より、恋人同士の方が、秘密を無くしたがるのか?
秘密が無いのが、仲良しなことなのか?
まぁ、人それぞれで、良いのだが、、、
人は、誰でも人に話さないことが、あるものではないか、、、と、思う。
共有するのは、信頼の証拠でもある。
黙っているのが、優しさであることもある。
と、そんなことを思った。。
何でもかんでも、家族であっても、話さなくてもいいこともある、、、。
LISTENのなかで、相手はなぜその話を自分にするのかを考えて話を聞け、、、というレッスンが出てきたけど、自分はなぜこの話をこの人にするのか?を考えることが、必要なこともあるな、、、と、思った。
https://megureca.hatenablog.com/entry/2021/10/11/085146
沈黙が金のことも、あると思う。
それでいい。
語るのが金のことも、あると思う。
それでいい。
にぎやかも好きだけど、黙っていても、幸せな時間も、好きだ。
それでいい。