「騎士団長殺し」 by 村上春樹

騎士団長殺し」 

村上春樹

2017年2月25日

新潮社 書き下ろし

 

村上春樹

久しぶりに読んだ。

久しぶりの春樹ワールドだった。

 

1980年代、村上春樹が大好きで、単行本と文庫本と両方買うくらい、何度も読んだ。

話に出てくる、オイルサーディンやウィスキーに憧れてみたり、音楽に憧れてみたり。

ねずみ男に夢の中であってみたり。

 

大学時代の恋人が好きな作家だったから、私も好きになった。

その彼と別れたら、なんとなく、村上春樹とも別れた。。。

ノルウェイの森も、1Q84も、、、世間で騒がれれば騒がれるほど、たいした本じゃない、と思った。

 

とは言いながら、読んでいた。

 

騎士団長殺し」は、あまりに露骨なタイトルに、読む気が失せていた。読んでいなかった。気にはなったけど、、、、読んでいなかった。2017年の本。

 

手に取ったきっかけは、佐藤優さんと富岡幸一郎さんの「〈危機〉の正体」に出てきたから。

”無いものを書く、虚無を実体化する”小説として、話題にされていた。顔のない肖像画、、、。

 

図書館が1週間休館になるというので、その前に何かを手元に借りておこうと思って、図書館をうろうろしているときに、目についたのが、「騎士団長殺し」だった。

分厚い。1,2巻。重い、、、、けど、借りて帰ってきた。

 

読み始めたら、一気読み。

春樹ワールドは、しょっぱなから全開!だった。

 

第一部 顕れるイデア偏 507ページ

第二部 遷ろうメタファー偏 541ページ

 

あらわれるイデア、うつろうメタファー。

タイトルからして、春樹ワールド全開だ。

 

とくに、ストーリをここに覚書するつもりはないけれど、

以下、ネタバレあり。

 

ストーリーは、肖像画家である「私」を巡る、物語。

騎士団長殺し」は、「私」が妻に「もうあなたとは暮らせない」と言われて家を出た後、友人が貸してくれた友人の父親の家にあった、日本画のタイトル。

友人の父親というのは、高名な日本画家、雨田 具彦(あまだ ともひこ)。

1938年、ナチスが勢力を増し、オーストリアを併合したころ、雨田 具彦は洋画の勉強でウィーンに留学していた。様々な混乱の時代、具彦の恋人はナチスの拷問で死亡。すでに名の知れた洋画家だった具彦は、日本への強制送還と言う形で、奇跡的に日本へ生還する。

その彼が、日本画家に転身してから書いた作品が「騎士団殺し」。でも、世に出ることのなかった、一枚の絵画。なぜなら。具彦自身が、自宅の屋根裏に封印してしまったから。

なぜか、飛鳥時代の装束を身にまとい、太刀で胸を刺されて血を流す一人の老人と、老人を刺している一人の若者。見学者のような男女。地面の穴から顔を出している「顔なが」。

「私」が、屋根裏に封印されていたこの絵画を開封したところから、イデアが動き始める。

 

ストーリーの中に、1930年代の暗い歴史の話がいくつも出てくる。

イデアでも、メタファーでもない。

現実に起きた話。

 

1937年 盧溝橋事件、南京入場

1939年 アンシュルス(ドイツによるオーストリア併合)、クリスタル・ナハト(反ユダヤ主義暴動)

戦争に一兵卒として出兵し、帰国後に自殺した具彦の弟の話。

具彦の弟が実在したということではなく、そういう風に傷ついて、命を亡くした人はきっといたのだろう。

 

2部の最後、「私」は、妻とよりを戻し、一緒に住んでいるのだが、そこで2011年の震災発生。

 

これも、史実だ。

 

イデアは、「騎士団長」として顕れる。

騎士団長殺し」の絵画から抜け出たイデアだ。

「私」が、「顔なが」と名付けた、「騎士団長殺し」の絵の中で、土の穴からのぞき見している男は、行方不明になった「まりえ」を探す道案内としてのイデア

 

メタファーは、なんだったのだろう。

絵画の中から抜け出した「騎士団長」と「私」の物語。

「私」にしか見えないはずの「騎士団長」に会ったという「まりえ」という少女の物語。

 

第一部の終わりのころに、とうとう登場する身長60cm「騎士団長」。

そこからは、それこそ、春樹ワールドにどんどん引き込まれる。

オウム返しのような会話。

女に困らない、男。

清潔好きな男。

過去を引きずる男。

男に惚れる女。

結ばれる男女。

母親を亡くした少女。

 

普通にそこにありそうな物語であり、世界の一部でしかない物語。

 

大きな屋敷に一人で住んでいる清潔好きな免色(めんしき)さん(「私」に自分の肖像画を依頼した主)は、「私」に、「広さを持て余したりしないのですか?」と聞かれて、答える。

 

「人類は素晴らしく精巧にできた高性能な大脳皮質を与えられています。でも我々が実際に日常的に用いている領域は、その全体の10%にも達していないはずです。豪華で壮大な屋敷に一人で住んでいるというのは、例えてみれば、そのようなもので、さして不自然なことではない。」

 

ちょっと、面白い。

使っていない領域があるというのは、たいして不自然なことではない。

全部なんて、使えない。

そういうものだ。

これが、どういうメタファーなのかは、わからないけど、ちょっと、共感。

 

騎士団長の言葉。

「目に見えるものが現実だ。しっかりと目を開けてそれをみておればいいのだ。判断はあとからすればいい。」

「真実とはすなはち表象のことであり、表象とはすなはち真実のことだ。そこにある表象をそのままぐいとのみこんでしまうのがいちばんなのだ。」

「人は、何かを考えるのをやめようと思って、考えるのをやめることはほとんど不可能だ。何かを考えるのをやめようと考えるのも考えの一つであって、その考えを持っている限り、そのなにかもまた、考えられているからだ。」

共感。

 

この小説で、村上春樹は何をいいたかったのだろう、なんて考えずに、ただ、ここにあるストーリーを楽しむ。そういう、読み方でいい。ような気がした。

 

本書は、第一巻が1~32、第二巻が33~64の章からなる。

1000ページにわたる物語。

 

描写される人物像、景色、食卓、、、それを頭に思い描きながら、あっという間に読んでしまった。

 

ウィスキーが飲みたくなった。

 

「人は考えることをやめられない」

そして、喜んだり、悲しんだりすることも、やめられない。

それが、人と言うものなのだ。

 

久しぶりに、どっぷり小説につかった。

こういう日があってもいい、ことにしよう。

 

村上春樹を読んだ後は、なにか現実とは違う世界に自分の思考が飛んでしまう。考えなずにはいられない。

考えずにはいられない。

イデアは、そのことを知っていた。

 

 

 

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騎士団長殺し