「ひとりでも生きられる」 by 瀬戸内寂聴

ひとりでも生きられる」 いのちを愛にかけようとするとき
瀬戸内寂聴
青春出版社
2020年6月1日 新装版
(1973年初版 → 2002年46版 → 2020年新装版)

 

2021年11月9日、瀬戸内寂聴さんが亡くなってしまった。
寂しい。。。

寂聴さんは、1922年徳島県生まれ。
99歳、大往生だから、なにより、お疲れ様、ありがとうございました、と言ってさしあげたいけれど、寂しいものは寂しい。
別に、頻繁に寂聴さんの話を聴くほどの熱心なファンだったわけではないけれど、頼りになる大先輩、という感じがしていた。

私は、出家してからの寂聴さんしかリアルタイムで知らないから、激しい愛の持ち主であるとは知っていても、人にやさしい寂聴さん、元気をくれる寂聴さん、出家までした心穏やかな寂聴さん、というイメージだ。

そして、高齢になられてからも、社会のために自分自身で動かれた方。言葉と行動が一致している、それが何より魅力の方。

 

ふと、寂聴さんの小説を読もうと思って、女流文学賞受賞作『夏の終わり』を初めて読んだのが、今年の初め頃。激しい物語だなぁ、、という感想だった。そして、本書でも語られる、「寂聴さんの愛の形」をストーリーにするとこうなるのかな、、、と、感心というのか、生きるエネルギーを感じて圧倒されるというのか、よくこんな話をかいたなぁ、、、と思ったものだ。

 

本書は、もともと1973年出版だという。
巻末に、2002年刊行・46版に寄せられた寂聴さん自身の「あとがき」がそのまま載せられている。

1973年、寂聴さんがあちこちの雑誌や新聞に書いたエッセイの中から、愛に関するものだけを選び抜いて単行本にしたのが、『ひとりでも生きられる』。ベストセラーのロングセラーだったらしい。わたしは、今回、寂聴さんが亡くなったことをきっかけに、初めて読んだけど。
ほっておいても勝手に一人でどこへでも行く私は、一人で生きるための指南を必要としてこなかったから?!この本に呼ばれたことがなかったのかもしれない。

 

寂聴さんは、この本を出版した1973年11月14日に、出家得度された。
べつに、本書の出版とは関係なく、たまたま、そういうタイミングになったと。
それは、51歳。
51歳で、出家。

ひゃ~~~~。
ムリです。
私は、53歳にもなって、まだまだ、煩悩の塊です。
たぶん、一生出家することは無いと思うけど、、、。

 

そして、あとがきの中で寂聴さんは、「30年近くたった今読んでみても、一行も書き直したいとは思わない」、と述べられている。

本書は、女性も男性も、人間はもっと愛に生きるべきだ、と言う話。処女性がなんだ、不倫が何だ、愛をもとめるのが人間だ、不倫だって愛があるならそれでいいじゃないか、、、と、、いうのは拡大解釈かもしれないけれど、やはり、愛に正直にいきればいい、ということ。

 

寂聴さんの時代、当たり前のお見合い結婚。県立高女の善良な優等生だった寂聴さんは、お見合いに「成功」して、見事に結婚。夫は出兵。寂聴さんは、北京で一人で子供を産むことに。一人で子育てと、生きていくためのお金作り。そして、終戦を北京で迎え、内地に帰りたがらない夫。死ぬ思いで帰国してから、寂聴さんの中のなにかが変わる。。。文学への渇望。

25歳で、夫と娘を置いて、家出。
21歳の青年との駆け落ち、、、。
半年で破綻、、、、。

そして、ペン一本で生活を始める。
そして、妻子ある男性との同棲。破局


2021年11月16日 日経新聞朝刊 44面 文化 に、井上荒野さんの「瀬戸内寂聴さんを悼む ただ悲しくて寂しくて」という記事が掲載されていた。
そこに書かれていたのは、
「寂聴さんと私の父、小説家であった井上光晴は、私が5歳の時から7年間、恋愛関係にあった。私の母はその事を知りながら、寂聴さんと親しくなり、その交流は父の死後も続いた。この3者の関係をモチーフにして、私は『あちらにいる鬼』という小説を書いた。」
ということ。

井上さんの『あちらにいる鬼』は知らなかったし、不倫関係だった男性の家族とそういう関係を築いていらしたとは、知らなかった。

寂聴さんは、井上さんが病気になったときにサポートしたり、小説をなかなか書けなくなったときに背中を押してくれたり。井上さんにとっては本当に大切な人であったようだ。

不思議な人だ。

記事の最後に、井上さんは、
「 追悼のコメントを求めてくるインタビューアーの方々の多くは、私が寂聴さんに対して『複雑な思い』を抱いているはずだと信じて疑っていなかった。でも私は今、ただ悲しくて、寂しいだけだ。父の恋人であった彼女の事を疎んじる気持ちが私に全くないのは、私が育った家や、母のありようのためもある。けれども一番の理由は、寂聴さんその人の在り様が人の生き方として私を惹きつけてきたためだと思っている。」

と。

生前、寂聴さんは本当に井上さんとも仲良しだったようだ。

 

寂聴さん、愛の人なんだな。

寂聴さんの寂庵に集まってくるのは、愛に悩んだり、愛に傷ついた女性たちが多かった。ファンの多くは、女性だ。
幸か不幸か、私は、愛に傷ついても、愛に転んでも、一人で立ち上がるタイプだったので、寂庵に駆け込みたくなるような衝動をもったことは、一度もなかった。
ただ、お話はおもしろいし、元気でご活躍なのは励みになるし、一度くらい、直接お声を聴いてみたかったなぁ、と思う。

 

録音ではなく、生の声で。。。

 

2021年、また、一つのお別れがあったわけだけど、こうして、本を残していただけているので、私たち、そして今はまだ生まれていない未来の子供ですら、本を通じて彼女の内なる声に触れることができるのだ。


本と言うのは、本当にすごい。

文字にするって、すごいことだ。

 

そして、ピンクの表紙のこの本。

一人でいても、二人でいても、、、、

やっぱり、自分の心の中に愛があればそれでいい。

と、そう思う。

 

f:id:Megureca:20211117082339j:plain

ひとりでも生きられる 瀬戸内寂聴