「経営の知的思考  直感で発想 論理で検証 哲学で跳躍」 by  伊丹敬之

経営の知的思考  直感で発想 論理で検証 哲学で跳躍
伊丹敬之
東洋経済新報社
2020年7月9日発行

 

図書館の棚で見つけたので借りてみた。伊丹さんの経営関係の本。いつも論理的でちょっと難しい話が多いが、論旨が明確。本書も、わかりやすい一冊のように思う。

2020年7月の発行、コロナ禍で発行された経営に関する本、ということで、なかなか興味深い。

 

伊丹さんは、1945年愛知県生まれ。一橋大学商学部卒業。カーネギーメロン大学経営学大学院博士号。一橋大学名誉教授。著書多数。

 

本書の骨子は、まさにタイトルの通り、 直感で発想し、論理で検証し、哲学で跳躍する。それが経営という「決断」の集合体。直感、論理、哲学をどう鍛え、養っていくか、ということ。

”はじめに”、でとても重要なことが語られる。伊丹さん曰く、
「哲学のない人は問題の先送りを続けてしまう危険や世間と横並びの判断をしてしまう恐れがある。」
優れた経営者には、判断し、跳躍するための「哲学」が欠かせないということ。
本当に、そう思う。
経済学ではない。最後は、哲学だ。

 

随所に、ふむふむ、と納得の話。
目新しい話ではないかもしれないけれど、こうしてまとめてあり、かつ、
直感・論理・哲学
と、繰り返されることから、文脈が取りやすい。

経営とは決断の集合体。
決断 → 判断 + 跳躍
判断 → 発想 + 検証

 

直観力を磨くことで、発想を。
論理を鍛えることで、検証を。
哲学を育むことで、跳躍を。
より、深めていくべし、という話。

三段論法。
シンプルで分かりやすい。

 

発想力」の事例として、チキンラーメンの父、安藤百福さんの話が引用されている。
大人気の屋台に集まった人々の様子。人々の楽しそうなディテールの観察から、ラーメンを家で食べられるようにしたい!という発想。
ディテールを見よ!神は細部に宿る、だ。
麺を乾燥させるのにはどうすれば、、、と考え続けていたから、自宅で天ぷらを揚げている様子の観察から、揚げればいい!という発想へのつながり。

 

検証」の事例として、ヤマト運輸小倉昌男三の話。日本で初めて宅急便を事業にした。それは、これまでの大手百貨店との取引を辞めてまでの取り組みだった。
マンハッタンの街角で見かけた4台のトラック。日本で、家庭から家庭へ荷物を運ぶ事業への発想。どうしたら事業になりえるか。日本全国翌日配送を実現するために、検証の繰り返し。全国をカバーする為に必要な店舗数は、警察署の数と同じ程度と考え、1200店舗。
はじめは、難儀するという事も想定内だった。だから、「サービスが先、利益は後」を従業員に徹底して、サービスの周知に務めた。そのことで、扱い個数は増加。利益の出る事業へと成長を遂げる。

 

検証には、3つの視点での倫理が必要だと、伊丹さんはいう。
1 金の倫理 → 経済
2 情報の倫理 → 学習
3 ヒトの倫理 → 感情

3点セットを複眼で検証することが大事。

そして、なにより、「現実を見る」こと。
人は、不都合な事実は見たくない、という心理が働く。また、大きなデータをエビデンスとしたがる傾向がある。
データと言うのは、あくまでも過去の蓄積。データに頼りすぎるのも危険だという。
そして、流行り言葉に騙されるな、とも。
ROE経営」「DX:デジタルトランスフォーメーション」。。。。

 

検証するときは、自分のアタマで考えること。
コンサルトが言っていたから、、、、では、不測の事態に対応できない。

流行り言葉、コンサルタント、、、、あるあるだ。

 

小倉さんは、あらゆる事を想定していた。だから、取り扱い個数を増やせば、必ず採算性は上がる、と信じていた。翌日配送に立ちはだかる「配達先の不在」の壁は、たとえ人件費が上がろうとも、配達時間の延長で対応した。即断。「サービスが先、利益は後」へのこだわりを捨てなかったから、即決できた。


「跳躍」では、本田技研や、川崎製鉄の事例が紹介される。
本田さんの「やってみもせんで、何がわかる」というのは、まさに跳躍するための哲学。

哲学がない跳躍は、エセ跳躍。メンバーの心に火が付くことは無いし、成果につながることもない。
人は、データに共感するのではない。魅力的な考えに共感する。
それを支える、哲学。
それがないと、経営はできない。

 

哲学無きエセ跳躍の事例。
1 たいした跳躍ではない。ローリスクローリターンの決断。
2 ビジョンや理念と言葉だけ勇ましい。内容がない。
3 論理の詰めがなく、ただの傲慢な跳躍。

2などは、本人は跳躍しているつもりになっていうのがたちが悪い、という。


そして、美しいものを目指すと、シンプルになる。

 

決断の本質は、発想→検証→跳躍の、跳躍にある、という。
いきなり、浅慮のままに跳躍するのではない。それは、無謀というもの。

考え抜いた果ての跳躍、それが決断である。

観察やデータ分析をいくら積み重ねても、それだけではいい発想は生まれない。基礎情報の蓄積の上に、何かが気になる。その気になることについて考え続けていると、発想が生まれる。まさに、麺を揚げる!の発想。その瞬間は、は直感だ。

 

「今日の直感は、昨日までの論理の蓄積の成果である。」

「考えない犬は、歩いても棒にあたれない」

「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」(孫子

などなど、心に刺さる言葉がたくさんある。

 

本書の最後の方、第8章 哲学がもたらす、安定と奥行き、と言う中に、なるほどな、と思った言葉があった。

神の隠す手の原理」(経済学者 アルバート・ハーシュマン)

ハーシュマンは、想定外の困難を乗り越えて、波及効果を伴った成功のことを、単なるラッキーな結果オーライではなく、原理があると考えた。
それが、「神の隠す手の原理」。

人間は、起こりうる不具合や障害をある程度想像する能力がある。一方、その問題解決能力は過小評価してしまう。
神は、不具合を隠す。だから人は挑戦することが出来る。そして、困難に対峙すると、人は、問題解決能力を発揮することもできる。

最初から見えていたら挑戦しなかったかもしれないような困難が、神の手によって隠されていたことによって、人は挑戦し、かつ、結果的にも困難にも対応し、プロジェクトは成功することがある、ということ。

なるほど、神の隠す手。
大事かもしれない。

 

明日どうなるかは、誰もわからない。
だからと言って、刹那的に生きるのではなく、人間の可能性を信じて、今できることを今頑張る。
それが、「今ここに生きる」という事かもしれない。 

 

私もそろそろ「経営」という視点で次の一歩へ進もうかな、という気持ちになった一冊だった。

 

読書は楽しい。

 

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