「PASSION SIMPLE シンプルな情熱」 by  アニー・エルノー

PASSION SIMPLE シンプルな情熱 
アニー・エルノー
堀茂樹 訳
早川書房
1993年1月20日 初版印刷
1993年1月31日 初版発行

 

アニー・エルノーをふたたび読んでみた。
先日読んだ、『場所』は1984年の作品。死んだ実父の人生を記録した話。

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そして、今回読んだ『シンプルな情熱』は、1993年の作品。原書も1993年。訳者の堀さんは、アニー・エルノーを翻訳したくて待っていた、という事らしい。

 

どちらも、自らの人生に関わる事柄を作品の主題としたもの。

ルノーは、1940年生まれだから、本作は、53歳の作品。

 

ほぉ、、、なるほど。
うん、セツナイと言うより、ヤルセナイ、というのか。
愛しているとか、好きだとか、そんなことではなく、ただ、肌を重ね合わせたい。
その、シンプルな情熱。。。

50を過ぎた女性が書くから、エロチックでもあり、文学でもある。。。そんな感じ。


以下、ネタバレあり。

 

「この夏、私は初めて《カナル・プリュス》(有料契約方式の民放テレビ局)のチャンネルで、ポルノ指定を受けている映画を見た。」
という一文で始まる。50を過ぎた離婚歴のある女性がポルノをみた、という告白から始まる。

 

これは、エルノー自身の恋の物語だ。いや、恋というと、語弊があるかもしれない。ロマンスという感じではない。肉欲の物語?
いや、情熱の物語なのだ。


だから、『シンプルな情熱』というタイトルなのだ、きっと。と思いながら読み進めた。

淡々とした文章。これが彼女のアジなのかもしれない。行間に様々な情景が浮かんでくる。

 

本書のあとがきにある訳者の解説によると、エルノーは1988~1989年頃、約一年間にわたって、自宅で、ある特定の男性との昼下がりの逢引きを繰り返した。
その、逢引きを待ちわびる自分を文字にしたのがこの作品。

 

描かれているのは、彼と過ごしている時間についてはほんの少し。ほとんどが、彼を待っている間の自分、彼が遠くへいってしまった後の自分。女である自分。あるい意味、会えない時間にもだえる自分を楽しんでいるような独白。何も手につかないほど彼を待ちわびている自分を楽しんでいるのか、苦しんでいるのか。逢瀬と逢瀬との間の自分は、暇つぶしをしているようなものだったのだ、とつづる。

 

彼は、彼女より10歳余りも年下の妻帯者。東欧のどこかの国から外交関係の任務を負ってフランスを訪れ、限られた期間滞在していた。その間のエルノーとの関係。不倫。

ルノーが彼と結婚したいと思っているわけではない。ただ、肌を重ねる関係。

 

本書の中で、「私は、彼が誰だか特定されるようなことは一切書かない」と言っている。といいつつ、このような本を出版するという勇気?!
この恋に生きているさまは、一冊の本を書くときと似ていると、エルノーは言う。書き上げることで、終わる。そう、だから、書き上げてしまえば、自分は死ぬこともできそうだ、という心境が本を書くということとこの恋の共通点。

ルノーにとっては、本にすることで、恋を終わらせた。そういう事なのかもしれない。書くことで、過去になる。終わったこと。

 

淡々と、描かれる彼を待つ時間のエルノー。信じちゃいないトランプ占いに行ってみようかと思ったり。彼が来た時のためにウイスキーを買っておいたり。

 

彼がフランスを去って6か月。自国に帰った彼。

「私が彼に会う事はおそらくもう二度とないだろ。初めのうち、私は、午前二時ころに目覚めたりすると、生きているのも、死んでしまうのも、どうでもよくなっていた。全身が痛んだ。できることなら苦痛を根こそぎにしたかったが、どこもかしこも痛いのだった。強盗がこの寝室に入ってきて、私を殺してくれないものかと思った。」

待ち人が二度と来なくなった空虚感。強盗に殺された方が楽だとおもう脱力感。。。


かといって、彼を愛しているとか、もっと一緒にいたいとか、そういう表現は一切ない。
でも、次に会える時を心待ちにしているエルノー

 

何もしないで座っていることが出来ないから、日中は常時仕事をしているようにする。多忙にすることで、彼のことを思い出さないですむようにする。
大人の恋の忘れ方かもしれない。

 

出張先のコペンハーゲンからの帰り、飛行機の中で、
「もし彼に二度と会えないのなら、それならこの飛行機が墜落してくれればいいと願った。」

「今の私には、贅沢とはまた、ひとりの男、またはひとりの女への激しい恋を生きることが出来る、ということでもあるように思える。」

 

待ち人がいる、というのは贅沢なことなのかもしれない。たしかに、そうかもしれない。

旅に出た時に、お土産を買って帰りたい、と思う人が心の中にいるのと似ている。露天商で売られている観光地のTシャツでさえ、誰かのために選んでいる時間は、無駄に楽しい。誰かを思う気持ちというのは、究極の贅沢なのかもしれない。

 

訳者あとがきによると、passionは、「情熱」「熱情」「恋」「恋心」「恋着」「執着」
などをさすが、もともとは外部から被害を受けた時に生じる「苦しみ」「苦痛」「苦悩」を意味する語だそうだ。
Passionと、頭文字を大文字にして描けば、イエス・キリストの「受難」を意味する。
そうだ、そうだった。

 

「シンプルな情熱」というのは、語源に遡れば、受け身の状態であり、苦しみであるという事。自己の内部から自発的に湧いてくる力ではなく、外から自分に取り憑いて、自分を虜にする力

 

なるほど、外からの力で揺り動かされる情熱。

そんなものに翻弄されるのも悪くない、と、ふと思う。

 

今の私を揺り動かす外からの力ってなんだろう?

虜にされているほどのものがあるだろうか。

虜にされてもいい、、、ものはある。

勝手に一人で盛り上がる、一方通行の恋。

そんなことを思うと、ふとセツナサが押し寄せてくる。

このセツナサを味わえる贅沢を楽しむのもいいかもしれない。

 

読書は楽しい。

 

あ、そうだ。

1993年1月20日 初版印刷
1993年1月31日 初版発行

とある意味を、先日、編集関係のお仕事をされている方に聞いてみた。

初版印刷 → とりあえず数冊刷ってみて、それなりの人に読んでもらう。そこで、およその印刷部数を決めるのだそうだ。

初版発行 → 一般販売に向けて、発行

だそうだ。

 

最初から、そこそこ売れることが予測される本は、いきなり、第一刷発行、となるわけだ。

 

不思議に思ったことは、調べてみると、新しい発見がある。

読書も、学びも、楽しい。

 

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