臘八大接心(ろうはつだいせっしん)

臘八大接心(ろうはつだいせっしん)

いつも坐禅をしに行くお寺の住職に教えてもらった。

臘は、12月のこと。

臘八は、12月8日のこと。

接心とは、ひたすら坐禅に専念すること。

 

お釈迦様が12月(臘月)8日未明に悟りを開かれたことから、12月1日~8日でおこなう、坐禅の強化週間のようなものらしい。
多くの禅寺でおこなわれるとのこと。

修行の強化週間、ということかな。

その間は、床に横になるという事をしないそうだ。
夜中でも座っている。
普通の人にはムリだ。

 

しらなかった。


そして、そんな厳しい坐禅週間を先週終えたお寺で、仲間と坐禅に参加してきた。
山岡鉄舟ゆかりのお寺、全生庵
コロナのために、以前は50人くらいでやっていたのが、今は半分の24人。
住職含めて25人。

寒かった。。。


夏の虫の声を聴きながらの坐禅もいいけれど、冬の寒さの中もきりっとするきがしていい。

季節によって、坐禅もかわる。

 

冬の坐禅は、警策(けいさく)、あの棒でたたかれるやつ、も、4打になる。
左右、それぞれ4打。バシ、バシ、バシ、バシの4打が一回。
夏は、2打、バシ、バシ、なので、うっかりすると、2打で違う肩を出しそうになる。。。

私が行くのは、臨済宗のお寺だし、私は修行僧なわけではない。いきなり背後から叩かれるわけではない。住職が回ってきたときに、叩いてほしければ自ら手を合わせてお願いする。


今回は、20分、2回の坐禅で、2回とも叩いてもらった。住職は、二周くらいされるので、一回の坐禅で、2回叩いてもらう人もいれば、一度も叩いてもらわない人もいる。

 

私は、なんとなく叩いてもらった方が「無」になれるような気がして、叩いてもらう。
でも、実際には、「どうしようかな、やめようかな、あ、住職が近づいてきた」とか、雑念に見舞われることになる。

昨日は、坐禅中にお腹がぐぅぅ、、、となった。
あまり空腹で坐禅に行くのは良くない、、、。
「あ、きこえちゃったかな」とか、また、雑念が。

 

年に数度、坐禅をしにいくようになって数年になるけれど、「無」になれたことなんて、一度もない。でも、「無」になろうとする時間があるだけでもちがう気がする。

だから、Zoom坐禅も、時々参加する。

なぜ、わざわざ出かけてまで坐禅をしにいくのかというと、一緒に座る仲間がいるから、というのもある。
おしゃべりするわけではないけれど、お堂で仲間が一緒に座っている時の空気は、自宅で一人でZoom参加坐禅をするのとは、だいぶ違う。

 

周りの人は、視界に入るけど、入らない。
坐禅は瞑想とちがって、半眼といって目はつぶらない。
自分の1mくらい前の床に静かに視線を落としている感じ。
視界に入る畳の目が、だんだん海のような深さを持って見えてくる感じ。
見つめるのではなく、ぼーーーーっと視界に入る感じ。
そして、呼吸を数える。
1から10まで、、、。また、1にもどる。

お釈迦様を信じているわけでもないけれど、「無」になる感じを求めて坐禅をしているのだと思う。

 

何も考えないでいることは、難しい。
いつも、あれこれ考えていて、ダン・ハリスの言葉を借りれば、「頭の中がおしゃべり」している。

megureca.hatenablog.com

だから、時々、意識して「無」になろうとする。
脳の休息。

音のない時間も大事。

自然の中で、風の音だけ聞いて、ぼーーーーっとできたらいいなぁ、と思う。

 

12月に入って、なんだか色々なことが怒涛のように押し寄せてきていて、全部受け取っていたら、パンクしそうになってきた。

欲張らないようにしよう。

優先順位をつけて、対応しようと思う。

あれもこれもやりたいけど、時には本当に重要なことは何なのかを、ちゃんと考えよう。

「重要だけど、緊急ではないこと」にも、ちゃんと時間をとらないと、「緊急で重要なこと」に追われていると、やった気になるのだけれど、振り返ったときに、あれれ?ってことになる。

 

「重要だけど、緊急ではないこと」

今、一番にやらなくてはいけないことは、やっぱり〆切のあるやらねばならないことなのだけど、「重要だけど、緊急ではないこと」でやりたいと思っていることは、メモに書いて目に見えるところの貼っておこう。

 

人の脳は、そんなにたくさんのことは一度に記憶できない。

 

年末に、To Do List の再考だ!

まだ、今年も二週間以上あるではないか。

 

焦らない、あきらめない、人と比べない。

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。