『言葉からの触手』by 吉本隆明

言葉からの触手
吉本隆明
河出文庫 文藝コレクション
1995年7月25日初版印刷
1995年8月4日初版発行

 

古本で購入して読んだ本。
とても薄い。吉本ばななの解説がついて132ページ。ページの上下の余白も多いので多分文字数にするとそんなに多くはない。

 

目次を見ているだけで言葉のリズムのようなものを感じる。
読むというよりも感じる本。
気になる単語を2 B の鉛筆で丸く囲みながら読み進めると自分の絵本のようになっていく。書き込みたくなる一冊だ。

目次
1 気づき 概念 生命
2 筆記 凝視 病態
3 言語 食物 摂取
4 書物 倒像 不在
5 思い違い 二極化 逃避
6 言葉 曲率 自由
7 超概念 視線外 像
8 思考 身体 死
9 力 流れ 線分
10 抽象 媒介 解体
11 考える 読む 現在する
12 噂する 触れる 左翼する
13 映像 現実 遊び
14 意味 像 運命
15 権力 極 層
16 指導 従属  不関(イナートネス)
あとがき
解説 吉本ばなな

なるほど、言葉からの触手だ。

 

いま、改めて気が付いた。「像」と言う言葉が二回出てくる。

半年くらい前に、一度読んで、書き込んで、2022年にもう一度読み直して、、、なぜ、あの時自分はこの文字を丸で囲み、こんなところに傍線を引き、絵を書き込んだのだろう?
と、思う。

 

吉本隆明のことばが溢れ出ている感じの一冊。
要約しようがない。

 

吉本隆明の言葉の覚書。

 

文字と言葉。
”文字が誕生してからあと、私たち人間は理念の生命を原料に、〔概念〕をまるで産業のように大規模に製造できるようになったのだ。文字による大量生産体制の出現は、ひろがっていく一方の過剰生産の系列をうみだした。それは必然的に〔概念〕の中に封じ込められた生命の貧困化を代表するほか、源泉はどこにもなかった。現在ではほとんど全ての文字、それを組み上げた語は、自然としての生命など土壌に使わず人工的に培養していると言った方がいい。”

 

精神にとっての食物、つまり言語

 

沈黙は、精神が空腹、飢餓、断食の状態にあるとき。沈黙に耐えられなくなったとき、私たちは、ひとりでにしゃべったり、書いたりするのだ。”

 

沈黙にたえられないから、書く。
Twitterだって、そうかもしれない。
黙っていることが出来ないから、誰にいうともなくつぶやく。
アカウントをブロックされてしまっても、きっとほかでつぶやき続ける。
トランプ元大統領や、共和党のだれかさんも、きっと、どこかでつぶやき続けているのだろう。

言葉にすることというのは、精神を空腹から救い出すことなのか。
こうして、ブログを書くというのも、心の飢餓を埋めるためなのか。
心の飢餓と言うより、頭の中のモヤモヤを言葉にすることで解消するために書いている気がする。

 

言葉を持たなかった原始の時代は、精神が空腹になるとか、モヤモヤするという事はなかったのかもしれない。
原始人が、メンタルヘルスにやられる、ってことは想像がつかない。
動物はどうだろうか?
動物も、メンタルになるってあるのだろうか?
飼い犬がすねて家の中でおしっこしちゃう、ってきいたことがるけれど、、、昔のことを思い悩むなんて、なさそうだ。

 

”わたしが思い違いをする。そしてあなたも思い違いをする。わたしやあなたが思い違いをしやすい主題は、その発想の型がどこかで、じぶんと親たちとの関係に源泉をもつものではないだろうか。”

 

親の考え方は、子供につたわる。家庭での会話から、思考のくせがつく。
私たちは、自分が思っているほど、自分の考えでできていない気がする。
人は、社会的動物だ。だから、常に誰かからの影響をうけて、考えているし、行動している。たとえ一人で暮らしていても、親からの影響はずっとつづく。そんな気がする。


”わたしたちは胎内で羊水のなかに浮かんでいるような状態を、ほんとは理想としてさがしているのだ。別の言葉で言えば、この世界を羊水のなかにあるかのように思考するのが、いちばん本来的なのだと無意識に思っている。でも実際にわたしたちがやっているのは過大評価か過小評価であり、有害な結果か有益な結果であり、美化しすぎるか卑小化しすぎるかであり、愛しすぎるか憎みすぎるかである。つまり羊水が破れて涸れた(カレタ)すぐ後の記憶の世界みたいに思考しているのだ 。”

 

なんか、せつなくなる一文だ。

愛しすぎたり、憎みすぎたり、羊水のなかにいればしなかっただろう。
でも、わたしたちは生まれてきてしまった。
母の胎内で、羊水に守られていた時代は、誕生とともに終わってしまった。 

思い違いのなかで、生きていくしかないのだ。

 

吉本ばななの解説から、引用。

”私は、イタリアの古城の壁に描かれたダ・ヴィンチの書きかけのスケッチを見た時、なぜか父を思い出しました。もしかすると、エネルギーの質がにているのかもしれませんね。”

 

なるほどなぁ、、、

吉本隆明ダ・ヴィンチかぁ、、、と思った。

吉本隆明は、言葉でスケッチするひとなのかもしれない。

 

言葉は、楽しい。

 

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『言葉からの触手』