『第一阿房列車』 by  内田百閒

第一阿房列車
内田百閒(うちだひゃっけん)
新潮文庫
平成15年5月1日発行
平成27年3月25日14刷

(昭和27年6月 三笠書房 『阿房列車』)

 

茂木健一郎さんの『脳を鍛える読書のしかた』で、紹介されていた本。

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内田百閒さんは、1889年生まれ。岡山市に酒造家の一人息子として生まれる。本名・内田栄造。別号・百鬼園。旧制六高を経て、東大独文科に入学。漱石門下の一員となり芥川龍之介らと親交を結ぶ。

私は、初めて読んだ。漱石の弟子の一人であり、”俳諧的な風刺とユーモアの中に、人生の深遠を覗かせる独特の作風を持つ”、、と、紹介文に書いてあった。

面白かった。
ぷっ、って時々吹き出しちゃう感じ。

Amazonの紹介文を引用すると、

”「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」。
借金までして一等車に乗った百閒先生、
世間的な用事のない行程を「阿房列車」と名付け、
弟子の「ヒマラヤ山系」を共づれとして旅に出た。
珍道中のなかにも、戦後日本復興の動きと地方の良俗が描き出され、
先生と「ヒマラヤ山系」の軽妙洒脱な会話が彩りを添える。”

 

百閒さんが、山系という国鉄社員の若者を伴って、電車に乗ることを目的として電車に乗る旅。JTBの時刻表が大好きだった私には、たまらなく、おもしろく、楽しい一冊だった。

世間的な用事のない行程、、、いまなら、不要不急といわれそうなものだけど、それがどうした。世の中、生まれてくること以外、不要不急だ。

 

目次は、
特別阿房列車
  (東京・大阪)
区間阿房列車
  (国府津御殿場線・沼津・由比・興津・静岡)
鹿児島阿房列車前章
  (尾ノ道・呉線・広島、博多)
鹿児島阿房列車後章
  (鹿児島・肥薩線・八代)
東北本線阿房列車
  (福島・盛岡・浅虫)
奥羽本線阿房列車前章
  (青森・秋田)
奥羽本線阿房列車後章
  (横手・横黒線・山形・仙山線・松島)

 

渋い!昭和27年の本なわけで、もちろん、国鉄時代。改札は駅員さんがいて、切符を切ってもらっていた時代。電車は1、2,3等席。D51、デゴイチが走っていた時代。百閒さんは、1等席での旅を楽しむために、電車にのる。でも、ケチンボだ。お金はそんなにない。1等席の車両では、ボオイなんて人が出てきたり、食堂車なんてでてきたり。なつかしぃぃぃぃ!!!!

 

食堂車を楽しめたのは、いつまでだろうか??
我が家は、父も母も車を乗らない人だったので、旅といえば電車、バス、飛行機、タクシー、、だった。私も、鉄子だった時代があるが、父がマニアックに鉄道好きだったので、電車での旅もよくした。三島まで鰻を食べにいって、自宅の横浜まで帰ってくるのために、わざわざ御殿場線回りでかえってくるとか、結構マニアックなことをしていた。私は、東京から鹿児島の志布志まで電車の一人旅をしたことがある。途中、広島で一泊したっけ。鹿児島までの往きは百閒さんの旅と一緒の線路だ。車両はちがうけど。

 

百閒さんの旅の途中、駅で5分の停車時間中に電車をおりてバナナを買うシーンが出てくるのだが、東海道線でもよくあった、停車時間が懐かしい。昔の電車の発車のベルは、現在のような音楽ではなく、ジリリリリリリ!という、まさに、アラームだった。そして、待ち時間での数分の停車というのが、よくあったように思う。

 

家族で旅行に行くと、その数分のあいだに父が煙草を吸いに電車を降りるものだから、私たち姉妹は、「パパ、早く早く!!」と、いつもドキドキさせられたものだ。

 

この本の面白さはなんといったらいいのだろうか。
鉄道の旅物語としても面白いし、乗り継ぎに間に合わないのに走ろうともしない百閒さんの開き直った人生観も面白いし、、、ものの表現が面白い。お酒も好きなようで、よく飲んでいる。美味しくないものは、「まずい」と直球で言ってしまったり。

爆笑するというより、プッと吹き出しちゃう表現がいっぱい。

 

プッと笑える表現を、覚書。

満員電車での出来事。
”水道橋の駅についたら、私のうしろの方から「少少おろしてください」というおばさんの声がした。それで隣の人と食(く)っついている身体を少し捩じたら、そのすきを小さなおばさんがすり抜けて、やっとドアに近づいて降りて行った。挟まれやしないかと心配していたので、ほっとしたが、少少おろしてもらって後の残りはどうするのだろうと気になった。抑も(そもそも)、おろして下さいというのは、何をおろすのだろう。自分の身体をおろしてくださいと云っているのなら、傍の者がだれかおばさんを抱くなり、ひっさげるなりして車外へださなければならない。。。。”

 

視界に入った「遺失物取扱所」をみてヒマラヤ山系との会話。
”百:右の窓口に何と書いてある?
ヒ:遺失物取扱所です。
百:何をするところだろう?
ヒ:遺失物をとりあつかうのです。
百:遺失物と云うのは、落として、なくなった物だろう。なくなった物が取り扱えるかい?
ヒ:拾って届けてきたのを預かっておくのでしょう。
百:拾ったら拾得物だ。それなら実体がある。拾得物取扱所の間違いかね
ヒマラヤ山系はだまっている。相手にもならぬつもりらしい”


どうでもいいようなことをつぶやいたり、問いただしている百閒さんがおかしい。

あとは、人や物の形容のしかたが、、、おかしい。口が悪いったらない。

百閒さんの旅に道連れ?!にされている若者、ヒマラヤ山系が持っているカバンがみすぼらしいから、宿での仲居の態度が悪いと、人のせいにする。
そのカバンの形容ったら、
”犬が死んだ様な汚らしいボストンバック”
”死んだ猫に手をつけてさげた様な、、、、”
”猫が死んだようなボストンバック”

くたびれて、形をなさなくなったボストンバックが目に浮かぶ、、、、。


そんな百閒さんだって、宿屋について靴を脱いでみて、靴のボロボロさに気が付いてしまう。
”穿いていればずぼんの裾にかくれるから気にすることは無い。それで、忘れていた。鹿児島まで来て立派な玄関の式台の前に脱いでみると、まったくのぼろ靴である。”

あ、、、わかる。
よそのお家で脱いだ靴の中敷きに足の跡がついていたりしたときの恥ずかしさ、、。

 

自分をもてなしてくれた人も、興味がなければ、

”垂逸(たれそれ)君と何樫(なにがし)君”

女中や仲居のことも
”綺麗なのやら、そうでないのや、、、”

ヒマラヤ山系の容姿を
”どぶ鼠”
そして、その百閒さんの質問につまらなそうに答えると、
”まだか知らないかと云ったら、もうじきでしょう、と響きのない貧相な声で言った”


「フラウ」という言葉が、このころの作家の作品にはよく出てくる。先日も何かで出てきた。。。

フラウ;Frau ドイツ語:既婚女性の姓に冠する敬称。女性、婦人。妻、細君、婦人。

漱石の影響なのかな?

 

なんとも、なんじゃこりゃ?という本ではあるが、面白い。

時間つぶしに、、、いい。

気分が落ち込んだ時に読むと、どうでもいいことに笑えていいかも。

 

電車の旅がしたいなぁ、、、。

昔は、JTBの時刻表を毎年買っていた。3月のダイヤ改正に合わせて新調するのだ。JRの時刻表より、JTBの方が見やすくて好きだった。

地方の、一日数本しかないバス路線ものっている。私の日本一人旅のお供だった。

今のように、携帯電話で路線検索なんてできない時代。バスの時刻表を写真にとって後で確認する、なんてことも簡単にはできない時代。

不便は不便で、たのしかったなぁ、、、なんて思う。

 

また、オミクロンでGo To トラベルもどうなることやら、、、、。

はやく旅に出たい。

阿房列車は、第二、第三、とあるらしい。次の旅のお供かな。

 

読書は楽しい。

 

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『第一阿房列車』 内田百閒