『骨董と葛藤  物数寄考』 by 松原知生

『骨董と葛藤(こっとうとかっとう) 物数寄考(ものずきこう)』
松原知生
2014年3月7日初版第1刷発行 
平凡社

 

出口治明さんが、何かの本で面白いと言っていたので、図書館で借りてみた。
A5版で394ページ、結構なボリュームの一冊。
私にとっては、なかなか斬新でおもしろかった。骨董なんてあまり興味はなかったけれど、小林秀雄川端康成、、、、確かに、昔の人は骨董に嵌っていった。その物数寄(ものずき)が面白い。

 

著者の松原さんは、1971年岐阜生まれ。西洋美術史が専門だそうだ。

 

目次
第Ⅰ部 生死の往還
第一章 死のメディウムメディウムの死  川端康成と古美術
第二章 物質(化)への情熱  小林秀雄と骨董

第Ⅱ部 真贋の此岸
第三章 共振する両義性  青柳瑞鳳と骨董
第四章 「おもしろいもの」の誘惑  青柳瑞穂と新佐野乾山事件
第五章 骨董とその影  青柳瑞穂における偽物(ギブツ)の潜在性

第Ⅲ部 虚実の斑点
第六章 残欠のフェティシズム  安東次男と陶片・疵物愛好
第七章 「往生際」のトポグラフィー  つげ義春と古物

 

全体に調査報告書のような、、、、分析書のような感じ。
本書の全体に流れている雰囲気が、古風だ。骨董の話だから、という事もあると思うけれど、言葉の使い方、文章が古風。松原さんは、京都大学文学部卒業というから、文学っぽいところがあるのかもしれない。

でてくるのが、川端康成小林秀雄なのだから、時代的に古いという事もあるけれど、いたるところに出てくる、カタカナも、古風な存在感を感じる。

両義性をわざわざ、「アンヴィバレント」といってみたり、関東大震災を「カタストロフィックな」と形容したり。青柳瑞穂が翻訳したルソーの『孤独な散歩者の夢想』の中で「混合」を「アマルガム」といってみたり。

 

骨董というものに、さして興味はなかったのだけど、川端康成小林秀雄白洲正子が嵌っていたという話をきくと、骨董というくくりではなく、美術品という意味では興味は湧いてきた。たしかに、博物館に飾ってある品は、骨董なわけだ。前に江戸時代の螺鈿細工を見た時に、実のところすごく心惹かれたけれど、あぶない、あぶない、、、と思って近づかなかった。螺鈿細工師になってみたい、、、と瞬間、思ってしまった。

 

骨董というと、なんだか真贋のあやしげな、、、、街の裏通り、怪しげなお店で売っているもの、、、という偏見があったけれど、いわれればそんなことは無い。

 

広辞苑によれば、
骨董(こっとう)
①種々雑多な古道具。また、稀少価値あるいは美術的価値のある古道具・古美術品。
②古いばかりで役に立たないもの

だと。

脱線するが、「こっとう」とひいたら、「兀頭(こっとう)」というのが出てきた。はげあたま、、、だそうだ。。。。辞書って思いがけない楽しみがある。

 

小林秀雄が、良寛の「地震後作」と題した詩軸を得意になって掛けていたところ、
友人の吉野秀雄がやって来て、「偽物だ」といわれて、軸をバラバラにしてしまった事件というのは、逸話としてよく耳にする。でも、今回、本書を読んで、小林秀雄が一時、どれほど骨董にいれこんでいたのか、という事が垣間見えてきた。

川端康成も然り。

 

終戦を経た昭和なりのVUCAな時代背景のなかで、古くから存在して意味あるものに、生と死と、その両義性をみていたのではないかという気がした。

川端文学にでてくる、登場人物が、実は実在の誰それをモデルにしていて、そこに骨董が絡んでいるという説明は、なかなか興味深い。

川端の作品の中で、登場人物の夢の中の夢で、アルブレヒト・デュラーの『使徒の手』がでてきた。

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使徒の手』

私自身、何度か模写したことがある。友人の手と、『使徒の手』と、他の素描と、、、記憶の中で混沌とする。あれは、、誰の手だろうか、、と。

作品というのは、象徴であって、時に記憶の中で混同される。現実の世界でも混同が起きてもおかしくない。そんなことが作品の中に見え隠れする。

登場人物の名前も、古美術がモチーフになっているものが多く、菊・月・松といった名称がよくつかわれているという。なるほど。

そういう目で川端康成の小説を読み直してみると、楽しいかもしれない。

 

本書を読んでから、川端康成小林秀雄を読み直すと、新たな発見がありそうだ。

 

青柳瑞穂の話は、知らなかった。そういう人がいたことも、新佐野乾山事件という、真贋の大スキャンダルがあったという事も。陶磁器界で戦後最大の真贋事件という事だが、結局、白黒はついていないようだ。ちなみに、青柳瑞穂の本職は、骨董収集家ではなくて仏文学者。ジャン・ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』を翻訳した人。そうか、そうなのか、と思って、思わず、新潮文庫『孤独な散歩者の夢想』をポチってしまった。。。

 

贋作って、本当に難しい。人の目による鑑定なんて、さしてあてにならないと思う。だからこそ、「なんでも鑑定団」という番組も意味があるのだろう。専門家が言っているのだから、真だ偽だ、と言いつつも、、、はたして、どれほど信じている??きっと、偽物だと言われても、どこかで鑑定士が間違っている、、、なんて思えたりするから骨董なのではないだろうか?なんて思う。

現代の技術をもってすれば、非破壊検査で真偽が確かめられるものもあるだろうけれど、本物だと信じていればそれはそれで幸せだし、、、、知らなければいいこともありやなしや、、、なんて。

 

そして、白洲正子だって、気に入ったモノは贋作だとわかっても愛用していたというし、モノとして美しければそれはそれで価値があるように思う。

青柳瑞穂も、「それが美しかったら、贋作でもいい」と言っていたようだ。

 

この真贋事件からヒントを得て書かれたのが、松本清張の「真贋の森」とのこと。おもわず、これも、ポチってしまった。

 

骨董、、、奥が深いかも。。。

 

出口さんのお薦めだったので手に取ってみたけれど、そうでなかったら出会わなかった本だったと思う。

全体にボリュームが大きい一冊で、第Ⅰ部、第Ⅱ部は、わりとしっかり読んだけれど、第Ⅲ部は、さらっと読み。

安東次男も、つげ義春も、良く知らない。
でも、つげ義春は、ヤマザキマリさんが、マンガを描くときの手本にしていたと言っていたので、名前はしっているけれど、作品は読んだことはない。

 

まったく、普段は手にすることのない分野の本だったけれど、結構、面白かった。

図書館でかりたのでなければ、積読になっていたかもしれないけど。。。

 

点と点がつながっていく読書は楽しい。

やっぱり、読書は楽しい。

 

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『物数寄考 骨董と葛藤』