『JR上野駅公園口』 by  柳美里

JR上野駅公園口
柳美里
河出文庫

2017年2月20日初版発行
2021年1月9日17刷発行
2014年3月単行本

 

2020年の全米図書賞(National Book Award 翻訳文学部門)を受賞したモーガン・ジャイルズ訳 『TOKYO UENO STATION』の原作。
気になったけれど読んでいなかったので、図書館で、英語と両方借りてみた。

久しぶりに、柳美里の本を読んだけれど、やっぱり、セツナイというのか、胸がぐっとつかまれるような、寂しい気持ちになった。

 

著者の柳美里さんは、1968年生まれ。高校中退後、東由多加率いる「東京キッドブラザーズ」に入団。役者、演出助手を経て、86年演劇ユニット「青春五月党」を結成。93年『魚の祭』で岸田國士戯曲賞を最年少で受賞。97年『家族シネマ』で芥川賞を受賞。2011年の震災の後から、福島の復興にかかわるようになり、今は、南相馬市で暮らして執筆活動と地域の社会活動を続けている。

本書の主人公は、南相馬出身だ。


裏表紙の本の紹介文は、
「1933年、私は『天皇』と同じ日に生まれた。東京オリンピックの前年、男は出稼ぎのために上野駅に降り立った。そして男は彷徨い続ける。生者と死者が共存するこの国を。高度経済成長期の中、その象徴ともいえる『上野』を舞台に、福島県相馬郡(元・南相馬市)出身の一人の男の生涯を通じて描かれる死者への祈り。そして日本の光と闇・・・・。『帰る場所をなくしてしまったすべての人たちへ』 柳美里が贈る傑作小説。」


あとがきには、柳美里のことば。
 ”この小説を構想しはじめたのは、十二年前のことです。
 2006年に、ホームレスの方々の間で「山狩り」と呼ばれる、行幸啓直前に行われる「特別清掃」の取材を行いました。
「山狩り」実施の日時の告知は、ホームレスの方々のブルーシートの「コヤ」に直接貼り紙を貼るという方法のみで、早くても実施一週間前、二日前の時もあるということで、東京在住の友人に頼んで上野公園に通ってもらい、貼り紙の情報を送ってもらいました。
 上野恩賜公園近くのビジネスホテルに宿泊し、ホームレスの方々が「コヤ」を畳みはじめる午前七時から、公園に戻る五時までのあいだ、彼らの足跡を追いました。
 真冬の激しい雨の日で、想像の何倍も辛い一日でした。
「山狩り」の取材は、三回行いました。
 彼らと話をして歩き、集団就職や出稼ぎで上京してきた東北出身者が多い、ということを知りました。彼らの話に相槌を打ったり質問をしたりしていると──、七十代の男性が、わたしとのあいだの空間に、両手で三角と直線を描きました。
「あんたには在る。おれたちには無い。在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ」と言われました。
 彼が描いたのは、屋根と壁──、家でした。”
と。


恥ずかしながら、行幸(ぎょうこうけい)って、しらなかった。
 天皇・皇后がご一緒に外出されること、だそうだ。

本書は、「天皇」についても、かくれテーマになっているように思う。

 

天皇皇后がいらっしゃるから、上野公園のホームレスは、お目に触れさせるわけにいかないので、どこかへ退去してください、というのが、山狩りということのようだ。
その苦しさ、辛さが描かれた一冊。
明るい希望に満ちたストーリーではない。
自分が元気がないときに読むのはおすすめしない。
三者の視点で読めて、かつ、金銭的余裕があり、お金の心配がない人なら、冷静に読める一冊、という気がする。いつか、老後でもなんでも、もしかすると自分もホームレスになるかも、、、なんておもっていると、かなりつらい。
ありがたいことに、私は、社会の一面を知るための一冊の本として、冷静に読める生活をしている。今のところ、、、、。そして、都会生活に執着しないので、もっとお金のかからないところにすめば、ホームレスになることは無いかな、、、なんて、お気楽に思っている。

 

以下ネタばれあり。

 

本書は、主人公の過去の回想と、今とが行ったり来たりする。
家族を支えるために出稼ぎに出るというのは、昔はそんなに悲壮感漂う事ではなく、家族のために頑張るぜ!!だったのだろう。
高度成長期においては、上野は、頑張るために出てくるところであり、逃げてくるところではなかった。主人公は、父親というのは出稼ぎをすることを当たり前として育ち、自分自身もそうして生きていた。平凡ながら、幸せに。しかし、ある時、息子を突然死で21歳の若さで亡くす。福島で暮らしていた時、妻も、ある日の朝、自分の隣で寝ていたのにいつの間にか冷たくなっているのを発見する。21歳の息子の突然死に、その理不尽さに立ち直れずにいるところに、妻までも。。。娘が、気にかけて孫を連れて自分の元へ足しげく通ってくれるようになる。
誰に、疎まれていたわけでもなく、娘も優しかった。


なのに、ある日、上野に逃げてくる。ホームレス同然の生活をするようになる。そして、2011年。震災で南相馬の自宅も流される。帰る場所は、流された。。。娘も亡くなった。
そして、ホームレス暮らし。。。
生きているのか、死んでいるのか。

にぎやかな上野の景色と、闇の世界。
だれがどんな死の瀬戸際にいようと、


”ポォォォォン、ごとごと、ゴトゴトゴト、ゴト、ゴト、、、、
様々な色の服を着た人、人、男、女の姿が闇の中から滲み出し、ゆらゆらとプラットホームが浮かび上がった。
「まもなく、2番線に池袋・新宿方面行の電車がまいります。危ないですから、黄色い線までお下がりください。」”

の一文で、小説は終わる。

 

彼が、死んでも、生きていても、山手線は走るのだろう・・・・。
ただただ、自分は運のない人間なんだ、、、と、希望もなく、死ぬこともできず、生きている。

ただただ、自分の運の無さを嘆いて暮らしている。

想像もできないくらい、辛いだろうと思うけれど、それでも生きている。
そういう人もいるのが現実。

息子を亡くし、妻を亡くし、帰る場所も娘も震災で亡くし、、、何を希望に生きて行けというのか、、、、。辛いお話だ。


そして、小説の中で、天皇が「国民のみなさん」というときには、俺たちは含まれていないと感じる、と。
だって、「山狩り」されるわけだから。。。。


1月に読む本としては、ちょっと、暗かった・・・・。
でも、それが現実なんだな、、、、と思う。

私は、屋根があって、壁がある家に住んでいる。
持っている人だ。

だからといって、私に何ができる?

こういう時、キリスト教の人なら寄付をすることとかで、心の平穏を保つのだろうか。

私は、ただ、自分には関係のないこと、、、、として忘れることで心の平穏を保とうとしているかもしれない。。。。

う~~~ん。辛いなぁ。


でも、佐藤さんが言うように、こういう小説から社会を学ぶってことも大事なんだろうな、と思う。

 

社会には、光と闇がある。
そんなことは、50も過ぎれば知ってはいるけれど、やはり、闇は見ないで生きていきたいと思ってしまう。

ちなみに、英語の方は、全部は読まなかったけれど、シンプルな文体で読みやすい。なぜ、この本を翻訳して、アメリカの人に読んでもらおうと思ったのかなぁ、、、と思う。

日本の現実をさらすため。
アメリカ人は、これを読んで、どういう感想をもったのかな、と気になった。

 

ちなみに、柳美里の山手線シリーズは、他もある。

おいおい、読んでみようと思う。

 

読書は、バーチャル経験。

そう思って、楽しんで読もう。

 

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『JJR上野駅公園口』 柳美里