寒中坐禅会 禅の言葉 松樹千年翠

全生庵 寒中坐禅

2022年最初の全生庵での坐禅会に参加してきた。
寒かった。

いやぁ、寒かった。


住職が、「0.1℃くらいは、暖かくなるかも」と、お堂の障子を閉めてくださったが、寒かった。

20分間の坐禅を、二回。
寒かった分、雑念よりも寒い寒い、、、で、あっという間の20分だった。


コロナのマンボウのためか、いつもより参加者が少なく、広いお堂の中に、住職をいれても16人という、贅沢な坐禅会だった。

 

そして、今日の住職の話は、「修行」について。
紹介いただいた言葉は、「松樹千年翠(しょうじゅせんねんのみどり)
出典は、不明。

 

解説:
松樹は千年の長い年月を経てもその風雪に耐え、少しもその色を変えない。
長寿、繁栄の言葉として祝いの席の床の間に用いられることが多い。
落葉樹が秋冷と共に葉が落ち始め、冬には一葉も残さない姿になるのに対し、松はいかなる気候の変化にあってもそれに耐え常緑を保っていくたくましさがあるところから、人もどんな苦境にあっても、堅忍不抜(けんにんふばつ)の精神節操を守る高潔さをもってことに処し、そこにはじめてその人の真価があらわれる、という意味でも用いられる。

 

 

住職が、若いころに修行した、三島の龍沢寺(りゅうたくじ)の話をしてくださった。冬の臘八大接心(ろうはつだいぜっしん)、坐禅修行の際、坐禅堂の扉は、全部開けたままなのだそうだ。臘八大接心とは、坐禅強化週間のようなもの。。。

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12月に、窓全開で坐禅を組む。

そりゃ、寒かろう。食事、睡眠もほとんどとらずにひたすら座り続ける8日間。坐禅堂で過ごす8日間。龍沢寺の坐禅堂は、目の前に松の木が一本立っているそうだ。ちなみに、禅寺は、必ずどこかに松の木があるそうだ。で、寒い中座っていると、松の木は青々としてすっくと立っている。そうか、松は寒いとか感じるのかしらないけど、松の木も頑張っているんだから、寒さにまけず、頑張ろうと思った、というお話。

 

そして、修行というのは、苦しいことではない。苦行が修行になるわけではなく、どんなことでも、なにか物事が起こったとき、そのことにどのように真摯に向きあうか、ということで、修行になるかどうかが決まる、とおっしゃっていた。

 

住職が書かれた「全生」という発行物の令和4年正月号に、次のような言葉が書いてあった。
「お正月の初詣、初参りの時、皆さんは神仏にお願い事をされると思います。仏教では願うことを「願」と呼びます。願を立てる、願をかけるというように言い表します。しかし願をかけてお参りしたからといって、それだけで願い事が叶うわけではありません。
お参りは神仏に願い事が叶うように、自らを省みて日々精進することを誓うことです。そういう姿があって初めて願い事が叶うのです 。
と。

「導きたまえ」という、「願」ということかな。

 

今やるべきことを、一生懸命に、真摯に向き合って、やり切る。
それが修行、ということ。

その通りだな、と思う。途中で投げ出したら、修行じゃない。楽しみながらやっても、やり遂げれば修行みたいなものだ。苦しければいいわけではない。 

 

そういえば、通訳の先生も、通訳の勉強は修行みたいなもの、と、よくおっしゃっている。先生のような同時通訳のプロでも、必ず毎日Vocalizationの練習時間をとるそうだ。禅の坐禅みたいなものか。修行のように、ブツブツVocalizationをしなさい、とよく言われる。

 

2021年、目標としていたTOEICの点数は、未達だった。2022年も、目標にむけて、こつこつ頑張るつもり。これが私の修行かな。。。。

 

ふと、松の木を見たくなった。

松の木を探して、散歩でもしてみるか。

どこにでもある松とおもっていたけれど、いざ、見に行こうと思うと、近所だとどこにあるのか思い浮かばない。

ちょっと、松の木を意識して歩いてみよう。

そして、松の木に、頑張れますように、とお願いしてみよう。

 

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龍沢寺 2019年9月に坐禅会の有志で訪問したときの写真

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