『オーバーストーリー』 by  リチャード・パワーズ

オーバーストーリー
リチャード・パワーズ
木原善彦 訳
新潮社
2019年10月30日
(原書:The Overstory 2018

 

森田真生さんの『僕たちはどう生きるか』の中で出てきた本。

megureca.hatenablog.com

図書館で借りてみた。674ページの分厚い単行本。それでも、短い文章でリズムよく読みやすい。訳がうまいのかもしれない。話の内容は、時の流れとしてはシンプルであるが、人々の出会いが複雑だ。主な登場人物が多い。9人それぞれの生い立ちを語るだけで、200ページが費やされる。

 

目次



樹冠
種子

 

「根」で9人が環境問題に関わるようになるまでの物語が語られる。「幹」以降は、それぞれ別の世界で生きてきた人々が、「森林保護」という活動を通じて交わっていく。時に深く、時に破滅的に。。。

 

著者のリチャード・パワーズは、1957年イリノイ州エバンストン生まれ。イリノイ大学で物理学を専攻、のちに文学に転向する。文学博士号を取得後、プログラマーとして働くがアウグスト・サンダーの写真と出会ったのをきっかけに退職。デビュー作となる『舞踏会へ向かう三人の農夫』(1985)を執筆し、各方面で絶賛を浴びる。現代アメリカにおける最も知的で野心的な作家の一人。

本書は、2019年ピュリッツァー賞を受賞している。

 

わたしは、初めて彼の本を読んだのだが、ストーリーそのものも興味深いけれど、背景にある知識やその前提が、地に足がついている感じがした。訳者が、日本人には馴染みのない単語については簡単な注釈をいれてくれているので、読みやすい。
森林における環境問題と人間の活動を主題にしたストーリーなので、たくさんの木の名前が出てくる。主な9人の登頂人物たちにも、それぞれ、人生にまつわる木がでてくる。栗の木、桑の木、楡の木、、、、。

 

主人公9人を紹介するだけでも、長文になってしまうので、ここに覚書はしないけれど、もともとは別々のところで生まれ、育った9人がそれぞれのきっかけで、森林保護に目覚めていく。
9人は、それぞれ、人生の転機となる事件をきっかけに、これまでの人生とはことなる道を歩み出す。


代々続く庭の栗の木を大事にしていた芸大生は、いきなり強盗で両親を殺される。森にこもって、芸術作品を作り続けるようになる。

 

中国からの移民を父に持つ三姉妹。父は中国から持ち込んだ「阿羅漢(アラハット)」が描かれた巻物を大事にしていた。その父は、仕事がうまくいかなくなり、庭の桑の木の下で拳銃自殺する。姉妹の一人は形見としてその巻物を以後大切に持ち歩く。美しい「阿羅漢」の巻物は、後に、行き過ぎた環境活動で手配者となった彼女の人生やり直しの資金となる。

 

戦争で、脚をケガして、あまり自由には歩けなくなった元軍人。「阿羅漢」の巻物を大事にする女性との出会い。

 

言葉と耳が不自由でありながら、木々たちの声をきくのが得意な少女は、森林科学大学院に進み、博士となる。害虫などに襲われた樹は、忌避物質をだすことで「樹々のコミュニケーション」をとっているという論文は、一時、脚光を浴びるが、後にブーイングの対象となってしまう。そして、森で研究に身をひそめるようになる博士は、「毒キノコ」の料理で自殺をしようとするが、すんでのところで、「それはちがう」という声に目覚める。そして時代と主に再び彼女の論文は脚光を浴び、教壇へと戻る彼女。

 

そんな風に、色々なひとが、人生のある場面で、はたと我に返り、幼いころから親しんだ森を、木を守る活動に関わっていく。

エコテロリズムの歴史」とも言われた過激な活動。

実際、樹上占拠、木の上にいすわることで伐採反対を叫ぶ運動は、1990年アメリカで盛んだったそうだ。


林保護活動のくだりは、だんだん過激になっていくところが、環境保護というよりは人間の活動というのは結局なにもかもが破壊行為なのか?と、疑問に思えてくる。

平和的活動をと言いながらも、だんだんエスカレートする活動。
ついには、敵(森林伐採を進める組織)への放火。
暴発。
仲間の死。

 

本書は、こやって環境を守ろう!という理想の世界を語っているのではない。自然、地球の営みにくらべれば、人の人生はほんの一瞬であるという事実を思い知らされ、でも人々が過ちを繰り返すことで、取り返しのつかない大きな傷を地球へ与えてしまう事もあるということ。


Still という言葉が、一つのキーワードのようにでてくるのだが、
「じっとしている」「たちどまる」「凍り付く」「動かなくなる」、と色々な意味を込めて使われている。

木はじっとそこに立っているけれど、死んでいるのではない。

動かないことと死んでいることは同義ではない。

そんな、あたりまえのことをふと思う。

 

タイトルとなっているStoryというのも、「物語」と訳してしまいがちだけれど、「層」「階」という意味もある。三階建ての建物は、Three-story buildingというように。

9人の人生の層の物語。

9人の人生が重なる物語。
そんな感じ。
もちろん、9人以外にもたくさんの人が出てくる。
それぞれの伴侶だったり、子供だったり、生徒だったり、仲間だったり、、、。

それぞれの人の人生が層になって地球に重なっていく。

今の地球は、これまでの生き物の、人類の活動の層からなる。


なかなか、ずっしりと、静かな物語だった。
森からの風を感じるような場面もあり、静謐な空気を人が破壊する暴力的な場面もあり、静かでいて激しい、そんな一冊だった。

読み応えがある。

 

博士がブラジルの森林を訪れる場面は、『悲しい熱帯』を思い出さずにはいられない。自然を破壊するのは、いつも人間だ。取り返しのつかない悲しみ。

megureca.hatenablog.com


森林伐採による生態系の変化は、沈黙の春を思い起こす。

megureca.hatenablog.com


クリ胴枯病(クリどうがれびょう)で次々と枯れてしまう栗の話は、フィロキセラによるぶどうの木の壊滅的被害と重なる。物や人の移動が大陸間で自由になることによる、おもいがけない病原菌の侵入。 

 

人が動けば、病原菌も動く。

『銃・病原菌・鉄』

 

本書の最後の項「種子」からの引用。

「惑星が生まれたのは夜中としてその歴史を一日だとしよう。

初めに、無があった。

2時間は溶岩と隕石の世界。

生命は午前3時か4時まで現れない。現れた時でもまだ担任自己複製をするだけの欠片でしかない。

夜明けから午前の半ばにかけても何百万年にもわたる分岐に次ぐ分岐を経ても、存在するのは痩せた単細胞だけ。

正午過ぎに何か奇妙なことが起こる。ある種類の単細胞が別のものをいくつか奴隷にする。核が膜を持つ。細胞が小器官を進化させる。かつては孤立していたキャンプ場だったものが街へと成長する。

1日が2/3ほど終わったところで動物と植物が袂を分かつ。それでもまだ生命は単細胞のみだ。

日が暮れる前に多細胞生物が現れる。大きな生物はみな夜になってから現れた新参者だ。

午後9時クラゲと蠕虫(ぜんちゅう)が出現。9時台には一度にたくさんのものが生まれる。背骨、軟骨、多様な体の形。刻一刻と無数の新しい幹と枝が進化の樹冠で伸び広がる。

10時前に植物が陸に上がる。次は昆虫。昆虫は陸に上がるとすぐに空に飛び立つ。その直後四足類が水際の泥の中から這い上がる。その皮膚の内側内臓の中には以前の生物の世界が丸ごと入っている。

11時前までには恐竜たちが力を出し尽くして残り1時間を哺乳類と鳥類に任せる。最後の60分のどこかにおいて系統樹の林間で生命が意識を持つ。生命が思索を始める。動物が、子に過去と未来を教えだす。

解剖学的に現代人と考えられる種は、真夜中の4秒前に出現する。」

 

私たち人間は、まちがいなく、新参者だ。

地球の主ではない。

人間が勝手に国境をひき、勝手に誰かの土地にして、地面を掘ったり、木を切ったりしている。

地球からお借りしているものと思えば、ちゃんと返さないとね。

 

著者の様々な知見と感性が満載、っていう感じの本。

本書の大半は、人々の人生の重なりだが、最後にはこれから先も続く長い時間を思い起こさせられる。

長期休みとか、ゆっくり時間を取れる時に、じっくり読むのに向いている気がする。

 

森田さんの本を読んでいなかったら、手に取らなかったと思う。

本と本がつながるのも読書の楽しみ。

 

読書は楽しい。

 

f:id:Megureca:20220209084929j:plain

The Overstory