『多様性を楽しむ生き方』 by ヤマザキマリ

多様性を楽しむ生き方 「昭和」に学ぶ明日を生きるヒント
ヤマザキマリ
小学館新書
2020年12月1日 初版第1刷発行

 

図書館で”ヤマザキマリ”で検索して出てきた本。借りてみた。
2020年だから、コロナの最中、日本にとどまっている間の作品。
「昭和」の香りがする一冊。
サラーーっと読める。

表紙の裏には、 
「『生きていればきっといつかいいことがあるはずだ』ーーー人々が楽観的かつ貪欲で明日へのエネルギーに満ちた『昭和』という時代は、世界の歴史の中で特に興味深い時代だったとヤマザキマリは語る。先を見通せない不安と戦う今、明るく前向きに生きるヒントが詰まった『昭和』の光景を様々な角度から思い出しながら丁寧に綴られた考察記録」

 

コロナで先行きはわからないけど、昭和をおもいだしつつ、明るくいこうぜ!って感じ。

 

昭和の最後はバブルだったし、たしかに、ガンガン前向き行こうぜ!の時代だった気がする。今のような、同調圧力みたいなものもなかったかもしれない。ネットがまだ一般に普及していなかったことも、情報拡散のスピードが緩やかだったことにつながっていたのだろうと思う。その分、牧歌的平和な感じもなくはなかったような気がする。

もちろん、それは、昭和後期の話だが。

1960年代生まれの日本人にとっては、そんな感じ。

 

本書は、昭和にまつわるエトセトラのエッセイ集。

目次
1 おやつに問われる想像力  ジャンクなお菓子に胸が踊った時代
2 昭和的「自分の演出」  手作りで行きたいものを作った昭和
3 懐かしい風景  昭和の下町商店街には人情があった
4 家に魅せられて  昭和は家に気兼ねなく人が集まった
5 「おおらか」がいい  昭和を道端にエロ本が落ちていた
6  CM の創造性  昭和の CM には遊びや知的教養があった
7 昭和のオカルトブーム  童心大人から勇気をもらった
8 憧れた大人のかたち  前に進んだ昭和一桁世代の女性
9 私とエンタメの世界  昭和の点が線につながっていく
10 大気圏の中で生きる  貧しくても裕福でも生き方は人それぞれ
11 地球人類みな兄弟  昭和は多様性社会だった
12 昭和流ののいじめ  いじめっ子のバックグラウンドが見えた時代
13 24時間働けますか  昭和の仕事人
14 孤独を自力で支える家族  離れていても繋がっている共同体
15 幸せを待っているだけでは訪れない  人生100年時代の老後、終活
16 不条理と向き合う生き方  孤独を味方にしていた昭和漫画の主人公たち


それぞれの章がそれぞれで完結しているので、興味のある所だけを立ち読みしても面白いかも。

駄菓子、エロ本、手作りの服、こっくりさん、、、、。

 

14歳のころ、ヨーロッパへ一人旅に送り出されたはなし。中学生で一人旅は、ホントに送り出すお母さんの勇気のおかげ。画家になりたかったマリさんは、17歳でイタリアへ。
フィレンツェで長く暮らすことになる。貧乏イタリア人と同棲し、11年目に息子デルスを生む。
でも、産むとほぼ同時に、彼とは別れてシングルマザーでデルスを育てていた。
今の夫は、最初にイタリアでお世話になったマルコおじいさんの孫。
夫ペッピーノは、マリさんの14歳年下。そして、息子デルスとペッピーノの年の差も14歳なんだそうだ。
なかなか、楽しい家族。

お母さんの話も出てくる。
ヤマザキマリさんのお母さんといえば、音楽家。お嬢様が家族の反対を押し切って音楽をやるために単身札幌へ渡った方。指揮者と結婚して、マリさんがうまれてからしばらくして旦那さん、つまりマリさんのお父さんは病気で亡くなってしまう。今回の本で、妹さんは再婚相手とお母さんの子で、お父さんが違うのだという事を初めて知った。ま、だからどうした、、、だけど。でも、再婚相手とは比較的早くに離婚してしまっているので、ほぼ女手一人で二人の娘を育てた方。
最近では、そのお母さんも高齢になっていることもあって、マリさんは日本とイタリアと行ったり来たりの生活をしていたらしい。で、今は、コロナでイタリアに帰れなくなって、日本にとどまっている、というわけだ。

 

昭和といえば、駄菓子屋。今じゃぁほとんど見かけなくなったけど。。。。たしかに、なめれば舌が真っ赤になる苺飴とか、いかにも人工着色料満載のお菓子って、あった。よっちゃんいかとか、丸いガムが4つ入っているやつ、オレンジ色のみかんが主流で、時々ピンクのがあった。あれは、、、、苺だったのだろうか??


先日、駄菓子屋ではなく、とある浅草のBarで、お年賀だと言ってあのガムのつかみ取りをさせてくれたのだが、なんと、6個入りになっていた。

 

そして、昭和のエンタメといえば、居間にはTVはあったけれど、子供部屋にはTVなんてないわけで、大学時代にはラジオを楽しんだものだ。
東京FMのジェットストリームをマリさんも楽しんだらしい。めっちゃ懐かしい。
「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、、、、、」って渋い男性の声のナレーションで始まる。城達也さんという肩だったらしい。そして、音楽。すきだったなぁ。

 

自分で洋服を作るというのも、結構、普通にやっていた気がする。マリさんは自分で色々工夫していたそうだ。私も手芸が好きだった。手芸という言葉が死語っぽいな。。。

そういえば、「ぷち」とか「める」とかいう子供向けの手芸や料理の雑誌があった気がする。どっちも好きで、よく読んでいた。私にとっては、型紙さえあればスカートやブラウスを縫うのも結構朝飯前。高校生の時は、自分で制服のスカートの丈はもちろんのこと、ブレザーの丈も短く改良したりして、ミシンが大活躍していた。手編みのセーターなんて、1シーズンに何着も編んでいた。。。彼にプレゼントしたりね。あ、、、誰にあげたか、ふと思い出した。。。

今日日、手編みのセーターなんてプレゼントする若者はいないだろう・・・・。ユニクロで簡単に買えてしまう時代、、、。手編みのマフラーなんて、完全に死語・・・?!

 

昭和を懐かしんでばかりいてもいけないのだが、たまにはこういうのもいい。

仏教についても詳しくなったデルスに、「過去のことに執着するのはよくない」と言われるくだりがでてくる。

そうね、過去に執着するより、未来のために時間を使った方がよいのだ。
でも、ときに、過去を懐かしんでもいいじゃないか、いいじゃないか。

なんてことない、、、なんて言っては失礼だが、さーーと、聞き流すかのように読める一冊。


マリさん、面白いなぁ。
仕事は、自分が心地よいのが一番だと。
そりゃそうだ。


わたしは、サラリーマンを辞めてから、顔が優しくなった、、、と友人に言われる。
別に、会社が嫌だったわけではないけれど、それなりに、ストレスを抱えていたんだなぁ、と今になって思う。

わたしが、入社したころはまさに、「24時間はたらけますか?」の時代だったから、生き急いだ感じは否めない。ずっと、走り続けた気がする。

燃え尽き症候群ではないけれど、ま、50も過ぎれは色々ある。部下はかわいかったし、仲間にもめぐまれていたけれど、、、それでもね。この先も見えてきちゃうし。
まぁ、ホントにストレスフリーで仕事がガンガンに楽しかったら、辞めていなかっただろうし・・・。

 

そして、ボツボツと仕事をしながら思うのは、やはり、労働の対価として報酬が貰えるというのは、いいなぁ、、、って。
会社の仕事は、お給料として決まっていたわけだけど、自分の仕事と会社の売り上げが直結するわけでもないし、自分の貢献って、見えにくい。
個人で仕事を請けおうと、自分が相手に提供したものが何なのかが明確にわかる。
そういう仕事、結構楽しい。

心地よい生き方、心地よく働く。

コロナで、失われた2年になりそうな気配だけれど、のんびりやれてよかったこともあるよなぁ、と思う。

 

多様性を楽しむ。
自分の多様性も、誰かの多様性も、世の中の多様性も。

ま、楽しんだもの勝ちなのだ。

 

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『多様性を楽しむ生き方』