『ヒトの壁』 by 養老孟司

『ヒトの壁』
養老孟司
新潮新書
2021年12月20日発行

 

気になっていた養老さんの壁シリーズの最新本。ようやく、読んでみた。

 

養老孟司さんは、1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。1962年、東京大学医学部卒業後、解剖学教室へ。1995年東京大学医学部教授を退官。現在、同大学名誉教授。

養老さんが、臨床へ進まずに、解剖学へすすんだというのは、有名な話。本書を読んで、初めてお母様が開業医だったことを認識した。
養老さんの本、たくさん読んでいるけれど、これまでにも書かれていたかもしれないけれど、私の記憶にはとどまっていなかった。 本書には、95歳で亡くなったお母様のはなしが結構出てくるからか、なんとなく記憶に刻まれたのかもしれない。

 

表紙の帯には、養老さんとまるの写真。今は亡き、愛猫、まる。養老さんもふっくらしているから、結構前の写真かもしれない。二人とも、いい顔している。あ、ちがった、一人と一匹か。

そして、
「コロナ禍の2年間、84歳の知性が考え抜いた、究極の人間論。
たかがヒト、されどヒト。
たかがネコ、されどネコ。」
とある。

 

84歳か。。。まだまだ、お元気で書き続けてほしい。

死んでる暇はない」と、おっしゃっているので、まだまだ、きっと書いて下さるだろう。

 

コロナ禍の2020年、病院嫌いな養老さんは、あまりにも体調がすぐれず、とうとう東大病院へ足を運んでみた。そこで、心筋梗塞が発見され、即入院!という事を経験された。

そして、無事に生還された。
そして、つづった本書。

 

しみじみ、うんうん、そうなんだよね、、、
と、共感したくなる言葉がいっぱい。
そうか、そうくるか!ま、そうかもね、、、
と、共感したくなる言葉もいっぱい。

何ということは無いというのか、養老さんにかかると、小難しそうなことがなんだかわかったような気になってしまうから、不思議。

さらーーーっと、かつ、しみじみ読める一冊だった。

生死観、あの敗戦、については、さすがに、、、深い。


色々な本も引用されているので、またまた読みたい本が増えていく。

 

目次
1. 人生は不要不急か
2. 新しい宗教が生まれる
3. 人は AI に似てきている
4. 人生とはそんなもの
5. 自殺する人とどう接するか
6. なせばなる日本
7. コロナ下の日常
8. ヒト、猫を飼う

 

結局のところ、人生など不要不急なのだ、、、、と、言い切っているわけではないけれど、まぁ、そんな感じ。それでも生きていくのが人間
養老さんは、他のところで、「人生を一番効率良く生きようと思ったら、生まれてすぐ死ねばいいんだ」、というようなことをおっしゃっている。
「自分探しなんてやめちまえ」、もそうだけど、あれのこれのいわず、 自分の道をいけ、ってことなのかもしれない。

 

なにが不要不急かは、他人が口出しすることではない、と思う。

パチンコが不要不急と言われると、私にとっては否だけど、必要な人だっているかもしれない。。。。善とか悪とかのはなしではない。

 

物事は、なにかにフォーカスしようとすれば、別の何かはボケる。
部分にフォーカスすれば全体がボケるし、全体にフォーカスすれば部分はボケる

そんな話が、コロナウィルスと人間の大きさの違いで言及される。

ニュースでよく見かけるコロナの電子顕微鏡写真。同じ倍率で人間を映したらどうなるか、、、。数nmのものと、2m弱のものと、双方を同時にフォーカスるのは無理なのだ。

 

同じように、なにかに秩序を持たせようとすれば、別の何かは無秩序になる、という。
それが、エントロピーの法則
構造にフォーカスすれば、機能がボケる。
機能にフォーカスすれば、構造がボケる。

仕組みと働き。
解剖学と生理学。
秩序と無秩序。

自分が認識したいものにフォーカスしていると、周辺はボケる、気が付かない。
そういう事があるのかもしれないなと、つくづく思う。

ウクライナのことを心配していると、コロナを忘れる。
コロナのことを心配していると、ウクライナのことを忘れる。

腰痛で悩んでいても、歯が痛くなると腰痛を忘れる・・・。

人間なんて、そんなものだ。

 

そして、世の中の苦しみ、悩みはほとんど人間関係なのだから、人間関係じゃないものにフォーカスすれば、人間関係なんてわすれちゃうんじゃない?
と、ストレートに書いてあるわけではないのだけど、そうな風に思った。

モノを相手にすればいいのだと。

自然を相手にすればいいのだと。

そう、時々大自然の中に身を置いて、自分がどれだけちっぽけでたいしたことないか、でもそれがどうした、って感じるのは大事。

世の中、すべては自分がどう認識するか、っていうこと。

 

AIのところで、理解と解釈の違いという話が出てくる。
AIは、解釈はできない。
理解というのは、外からやってきて、自分の中に入ってきたときに、あぁ、そうか、、と、感覚として入力されるもの。

AIは、それを1か0かの信号として入力する。

解釈というのは、内なる認識で、運動としてアウトプットするもの。
AIには、内なる認識はない。
昨今の人間は、解釈ではなく理解になってしまっているところがAIみたい、、、と。

 

自殺する人、の話の中では、生、という事について。尊厳死、自殺ほう助、、、。養老さんの死生観?みたいなことが、語られる。


死というのは、二人称のとき、悲しみとして存在する
私の死は、もう、私はいないから、一人称の死は、悲しくない。存在しない。

死んだ本人は悲しくない。
遠い国で、、ウクライナで子供が亡くなってしまった。悲しいことだけど、自分の人生がそれで左右されるわけではない。。。三人称の死は、悲しいけれど、影響は小さい。
あなた、愛するあなた、一緒にいたあなたがなくなるのは、悲しい。二人称の死。

死とは、二人称でしかない

 

共感の話で、医療従事者が心の平静を保つためには、三人称として患者を観なくてはいけない、惨事を他人事として見る必要がある、という話が、『スタンフォード大学の共感の授業』にでてきた。

megureca.hatenablog.com

 

養老さんも、同じようなことを言っている。
共感は大切だけど、自分は自分。
そうだよな、と、強く思う。

 

そして、『ライフ・スパン』の著者が、老化は病気だから直せるし食い止められる、と主張することに、反論するわけではないけれど、「人は老いて死ぬのが自然だ」と言い切る。
これは、私も、同感。
不老不死なんて、そんな辛いことは無いだろう、、、と思う。

『ライフ・スパン』は、知人(私より10歳年上)がすごい本だ!というので読んでみたけれど、私には、で、だから???という感じだった。もちろん、アンチエイジングには興味はあるけれど、高額サプリメントを飲んで老化を食い止めて長生きしよう、とは思わない・・・。

人は、最後は結局死ぬんだから、だから、、、みっともない自分も、ダメだった自分も、最後は消えてなくなるんだから、だから、まぁ、生きている間は楽しもう!!と思えるような気がする。

手塚治虫の『火の鳥』は、子供の時にはなんだかよくわからなかったけど、大人になって読むと、これは、地球と人間の本来の姿をもとめた作品なのかもしれない、と思う。

生き物は、死ぬのだ。
だから、生き物。

火の鳥に頼ってはいけない、というような気がする。

 

”なせばばる日本”では、森喜朗さんの「女性がいると会議が長くなる」発言が引用されている。女性が、という事ではなく、養老さんは、「会議が長くなって何が悪い!」という意味合いのことをおっしゃっている。
異議なし、しゃんしゃん、全員一致で賛成!は、おしまい!なんてものは、単に議論を怠けているだけではないか、と、、、。
そりゃそうだ。

反対意見も含めてそれぞれの意見が交換され、だれもが納得できるような、、理解するだけでなく、自分なりの解釈、認識ににたどり着けるような意義ある意見交換の時間なら、多少長くてもいいではないか。

それをしないで、時間だからと会議を打ち切るのは、反証主義からの逃避、ってやつだ。

もちろん、時間を守る、っていうのは大事だけど。

そうなっているからそうする、ではなく、今、何が一番必要かを考える姿勢は常に重要。

 

さいごは、まるのはなしで締めくくられる。
やっぱり、猫、いたら愛おしいのだろうなぁ。。。
先日、コロナ禍、毎日在宅するようになり猫を飼い始めた友人宅にお邪魔した。まだ、ちびっこだけど、ずーーっと部屋の中を駆け回っていた。まるのように、いつものんびりしている猫とは大違いだけど、やっぱり、可愛かった。

けど、、私には無理だなぁ。

哺乳類は飼えない気がする。。。ホモサピエンスも、、、?!


たかがヒト、されどヒト。

自分の人生の主人公は、自分しかいない。
つまり、自分の人生をつくれるのは、自分しかいないということだ。

壁を作っているも自分。

 

でもね、やっぱりね、ヒトには壁があってもいいと思う。

だからこそ、自分の頭でその壁をどうするか考える。

 

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。

 

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『ヒトの壁』 養老孟子